諦められない男・吉太郎

この一カ月ほど、私の関心は、自分が使う自作PCを久しぶりに「更新」することでした。その「更新」は完了し、生まれ変わった自作PCは快調に動いてくれています。

それをする間にも、私の日課は、いつもと変わらずに続けていました。

シャーロック・ホームズが相棒のワトスンを驚かすことがあります。それは、難解な事件を抱え、その解明に頭を悩ます状況にあっても、ホームズは、天才的に自分の気持ちをコントロールできたことです。

ワトスンはホームズの真似はとてもできず、ホームズが扱っている事件を、ホームズ以上に、始終考えてしまいます。

その一方で、ホームズは、そんな事件を扱っていることなどまったく頭にないかのように、気ままにバイオリンを奏でたりすることができるのです。

ひとつの物事に囚われすぎると、窮屈な気持ちになります。ホームズは、事件のことを集中的に考えたあと、頭を空っぽにして、まったく別のことを楽しむことができるのです。

私は、自作PCの「更新」が終わるまで、それが頭の片隅にありました。それでも、日々の生活ですることは、当たり前に続けていました。

夜が明ければ自転車で自宅周辺を30分程度走るのも日課なら、本に接するのも日課です。そんな日課のひとつの読書では、松本清張19091992)の短編集『黒い画集』を読み終えました。

本短編集は以前に読みました。それを再読しました。きっかけは、NHKで清張原作の『天城越え』がドラマ化し、放送するのを知ったことです。

ドラマは録画し、原作を再読したあと、ドラマを見、感想を本コーナーに書きました。

ドラマ化された『天城越え』を含む短編集のほかの作品も、はじめから終わりまで再読しました。

清張の『黒い画集』は、別々の出版社で単行本化されています。私が読んだAmazonの電子書籍版は、新潮社が編んだ短編集を底本としています。

『黒い画集』についての記述が、ネットの事典ウィキペディアにあります。そこにまとめられた収録作品と、収録順が、新潮社版では異なります。私が読んだ新潮社版の作品を、収録順に書いておきます。

遭難証言天城越え寒流
凶器坂道の家

本短編集に収められた作品は、『天城越え』だけが『サンデー毎日』特別号に収録されています。ほかの作品はすべて、『週刊朝日』で連載された作品です。

連載は1958年10月5日号に始まり、1960年6月19日号で終わっています。短編作品ですから、ひとつの連載が終われば、次の作品はまったく異なる話にしなければなりません。

それを、ほぼ休むことなく連載した清張の頭の構造がどうなっていたのか、興味深いです。現在進行形で連載をしつつ、空き時間に、次の連載の話を作り、構想を立てたのでしょうか?

ともあれ、清張以外の作家には真似がしにくい離れ業といえましょう。

今回の更新では、新潮社版の『黒い画集』の最後に登場する、読み終えたばかりの『坂道の家』を取りあげておきます。

本作は、『週刊朝日』に1959年1月4日号から同年4月19日号まで連載されています。

清張は様々な登場人物を描き分けます。しかし、描き分けられたはずの登場人物には、もしかしたら、生身の清張の人物像が多分に反映されたでしょう。

主人公は、東京で小間物屋の店主をする寺島吉太郎という男です。年齢は46で、妻がいます。子供はいません。吉太郎は、裸一貫から店の経営を始め、20年間、そのことだけに励んできました。

見てくれは悪く、妻には不満を持っています。吉太郎の唯一の楽しみは、1円でも多く金を増やすことです。そのために、着るものも食べるものも切り詰めた生活をしてもまったく苦にならない性分です。

仲間とのつき合いは悪く、商売仲間からはよく見られていません。

女性との交際はなく、体の関係を持つのは、妻ひとりです。

遊び事はなにもせず、商店街で一番遅くまで店を開いています。それが終わったあと、近くのおでん屋の屋台で、安酒を飲むのが関の山です。

毎日店番をする吉太郎の前にある日、ひとりの若い女が客として現れます。あとで名を知りますが、杉田えり子という22、3の女です。

気(け)だるそうな話し方をするえり子に、吉太郎はこれまでに一度もなかったような強い興味を持ってしまいます。それまで遊びをしてこなった分、免疫を持たず、吉太郎はえり子に一方的にのめり込んでいってしまいます。

読者は、吉太郎が「転落」していくさまを、まざまざと見せられる格好です。今の言葉でいえば、吉太郎のえり子に対する想いはストーカー行為そのものです。

えり子はクラブでホステスをしています。吉太郎は、えり子がほかの男にいい寄られることを想像しては、居ても立っても居られない状態となります。

その妄想は高まるばかりで、吉太郎の「異常行動」はエスカレートしていきます。

東京の赤坂周辺は、起伏に富んだ地形なのでしょうか。本作が連載された1959年当時と今では、街の様子も大きく変わったでしょう。しかし、地形が変わることはありません。

【東京町探検】赤坂(歴史と地形)教科書で習った事件の現場①

吉太郎がえり子に買い与えた家は、一息では登れないほど急な坂を登った先にあります。

そこにひとり住まいさせているえり子の様子を探るため、吉太郎は夜にその家に気付かれないように近づき、あるときは、縁の下に潜ることまでしています。

吉太郎の苦悩と転落は、えり子を自分の意のままに動かそうとしたからです。

清張の本作を読みながら、俳優の加賀まりこ1943~)の母親を想像しました。本コーナーで一度、朝日新聞・土曜版で紹介された加賀の母の生き方について書きました。

加賀の母の生き方をひと言でいえば、「諦め」です。

自分の思うようにならない夫や娘(加賀まりこ)には何も期待せず、本人がしたいようにさせました。加賀が高校生の頃、学校を辞めたいといえば、「どうぞ、辞めなさい」とひと言いうだけです。

こんな心境になれたら、生きていく上で、悩みが大きく減るでしょう。

もっとも、本作の吉太郎がそんな考えを持つ人物であったら、小説にならないわけですけれど。

『坂道の家』の吉太郎が転落の末にどうなっていくかは、本作を読んで確認してください。

さて、清張の短編集も読み終えてしまい、次には何を読みましょうか。

1958年から1960年にかけ、短編を連続して連載した清張には、「次はどんな話を書こうか?」などという悠長なことは許されませんでした。

1号も休むことなくそれをこなせた清張は、真の意味での職業作家だったといえましょう。