悪女が主人公 清張の『黒革の手帖』

久しぶりで、松本清張19091992)の小説を読みました。読んだのは、上下巻からなる『黒革の手帖』です。

これを読み始めるまで、昨年から長いこと、アーサー・コナン・ドイル18591930)の『シャーロック・ホームズシリーズ』ばかり読みました。

いずれも、Amazonの電子書籍版で読んだわけですが、その期間、対象作品であれば、追加料金なしに何冊でも読めるKindle Unlimitedの権利を得ていました。それを利用し、ホームズ物をすべて、何度目かで読むことをしたのです。

ホームズ物の短編集の5冊目になる『シャーロック・ホームズの事件簿』だけは、Kindle Unlimitedで読める本がなかったので、購入して読ました。

そのようにして、ホームズ物を読み終えたあと、何も読む物がなくなったと思っていたら、以前、清張の『黒革の手帖』の上下合本版を購入してあったことに気がつきました。

それを購入したあと、ホームズ物に移ってしまったこともあり、清張の作品があと回しになり、そのまま読むのを忘れていたのでした。

『黒革の手帖』は、『週刊新潮』1978年11月16日号から1980年2月14日号まで連載され、連載が終わった年の6月に、単行本化されています。

私は清張の作品はほとんど読んだように思います。本作も読んだことがあったかもしれません。ただ、内容を忘れていたのか、初めて読むように楽しめました。

本作の連載が『週刊新潮』で1978年から始まったことを知り、私は村上春樹1949~)を思い浮かべました。

その年、プロ野球のペナントレースでヤクルトスワローズが初優勝しています。その年の開幕戦を、村上は神宮球場の、当時は芝生だった外野スタンドに寝転んで見るうち、天からの啓示でも受けたように、小説を書こうと思い立ち、そこから村上の作家人生が始まっています。

同じ時期に、清張による本作の連載が始まったことを重ね合わせると、どんな時代に書かれた小説であったのかがなんとなくイメージできます。

1978年 渋谷 昭和53年

清張の作品といえば、殺人事件が付き物です。誰かが誰かを殺し、誰かを殺した誰かが、どうしてその人間を殺さなければならなかったのかが克明に描かれます。

本作では、警察が捜査の対象とする殺人事件は起きません。誰も死にません。裏では経済事件や恐喝事件に相当しそうなことが起きますが、表に出ることはありません。

本作の主人公は、誰からも「殺してやりたい」と思われる女です。

文体は三人称。視点は、主人公の女です。

主人公は「原口元子」といい、30歳過ぎまでは、支店の銀行員です。創作物ですが、元子の器量が良ければ、違った人生を歩んだでしょう。銀行の受付を担当し、そこで誰かに見初められて、早々に銀行を辞め、家庭に収まったでしょうから。

結婚する気配がなく、銀行に残り続ける元子が、上司には扱いにくく映ったでしょう。同僚らからも距離を置く元子は、いつも単独です。

彼女の器量の恵まれなさと、したたかな性格が彼女の人格を作り、どんな手段を講じても大金を手に入れ、のし上がっていく欲望を彼女の中に作りました。

現実の世界でも、三菱UFJ銀行で、貸金庫からお金や貴金属が盗まれる事件が起きたばかりです。

元子は、顧客が脱税目的で作った架空口座無記名預金口座を悪用することに目をつけます。彼女は、仕事の傍らに、それを利用する顧客名簿を黒革の手帳に記録することを始めます。

そして、それに該当する口座から、顧客の弱みに付け込むように、約7千5百万円横領するのです。

そのことに銀行側が気づき、元子を質します。

ただでは起きない元子は開き直り、自分の黒革の手帖に記録した内容がを表に出したら、脱税目的の利用者は困り、銀行の信用だってガタ落ちになるだろうと逆に脅します。その作戦に成功した元子は、横領した約7千5百万円を丸々自分のものにしてしまうのです。

元子は銀行をさっさと退職し、7千5百万円を元手に、東京・銀座バーを持ち、それを経営するバーのママへと華麗な転身果たすのでした。

本日の豆知識
清張は「バー」とは書かず、「バア」と書きます。

そのあとも、弱みを持つ人間を見つけては、それを脅し、金を奪い取ることを続けます。

本作は過去に7回テレビドラマ化されています。私はそれらのドラマは見たことがありません。もしかしたら、女性の視聴者をターゲットに作られたのではありませんか?

虐げられて生きる女性が本作を原作とするドラマを見たら、悪者の主人公に感情移入し、悪事を働く元子の生き様を痛快に感じることがないともいえないからです。

私は男の視点で読むからか、主人公の元子が憎らしくて仕方がありませんでした。元子のいいなりになるよりほかなかった銀行の上司が地団太を踏むように。

何事も順調に運んでいた元子が、終盤になり、立場が逆転していきます。私はそのさまを読んでいて、溜飲が下がる思いがしました。

本作を連載するにあたり、清張は商取引や、それにまつわる法律の勉強もしたでしょう。専門的なやり取りが多く登場します。

多少種明かしになってしまいますが、登記簿のやり取りを巡っては、法律が及ばない盲点のようなものが巧みに利用されます。その道の専門家であれば当然知っていることなのかもしれません。しかし、門外漢の私は、そんなことがあるのかと、ただ驚かされるばかりでした。

本作には、赤坂の料亭で働く「すみ江」という女が出てきます。本作を読む限り、健気(けなげ)で清楚な感じに描かれており、個人的には、すみ江を好ましくさえ感じていました。

結局は、清張によって、騙されて読んでいたことになりそうです。

本作の連載が始まった頃に、村上春樹の作家人生が動き出したことを書きました。連作が始まった年、清張は69歳になっています。村上は今年76歳です。

ふたりの作風が違うので単純に比較はできません。しかし、村上は歳を重ねても、清張作品に登場するような、悪事を生きがいにするような人間を描くことができずにいます。今後も、書けないまま、人生を終えるかもしれません。

村上の小説の特徴は、主人公が村上自身の投影であることが多いことです。だからか、悪人を主人公にすることがありません。主人公はいつも正しいと信じて疑いません。

読者というのは、書かれていることの裏を読んだりするのを好むものです。

元子の悪人ぶりを読みながら、もっと悪い奴が世の中にはいる。元子の悪いことぐらい許してやれ、というようにです。

だから、常に正しいとされる村上作品に登場する主人公に接していると、どうしてこの主人公は、自分が本当に正しいのかどうか疑うことをしないのか、と疑問を持ったりすることになります。

まったく間違いのない人間はこの世にいません。それなのに、正しい人間しか主人公にしないから、村上作品の登場人物に、現実味を感じないという声がいつまで経っても消えないのでしょう。

清張の『黒革の手帖』の手帳の主人公・元子は、自分が犯した罪を咎められるように、転落の道を歩まされます。しかし、最後の最後で、どんでん返しがあり、元子のハッピーエンドで終わるのではと不安を持ちながら読みました。

最後の最後に、元子にどんな運命が待ち受けているのか気になる人は、本作に接することをお勧めします。

顛末がすべてわかった上で、もう一度はじめから読むのも、別の楽しみ方ができそうです。