山田洋次監督(1931~)の『男はつらいよ』シリーズの主人公である車寅次郎と、アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)の『シャーロック・ホームズシリーズ』の主人公、シャーロック・ホームズには共通点があります。
それは何だと思いますか?
このふたりが共通すると書いたものを私は見たことがありません。私が見落としているだけでないとすれば、こんなことを指摘する人はほかにいないことになりそうです。
私が考える、ふたりに共通すのは「遊民的」であることです。
ふたりとも生業(なりわい)を持ちます。寅さんは「的屋(てきや)」です。ホームズはいわずと知れた「探偵」です。
寅さんとホームズを比較すると、寅さんのほうが現実的かもしれません。
ホームズはときに、かなりの額の謝礼を受け取ることがあります。しかし、ほとんどの場合は、事件を解決しても、自分が目立つことを嫌い、謝礼も受け取りません。
寅さんは全国各地の祭りへ出かけ、そこで口上を披露し、集まった人に何かを買わせてお金を得るでしょう。
ホームズは金儲けや自分の名誉のために事件を推理するのではありません。それだから、同じ遊民であっても、ホームズに遊民性をより強く感じます。
ネットの事典ウィキペディアで「遊民」を引くと、次のような記述に出会いました。
石川啄木は、旧制中学校卒業後(当時としては高学歴であった)に立身出世がかなわず、父兄の財産を食い潰して無駄話をして生活している者を遊民と呼んだ[2]。
あくせく働くことなく、社会から遊離した生き方をする人間をイメージします。
寅さんが、働く人たちを見て、「労働者諸君」と声を掛けるシーンがあります。周りの人間に馬鹿にされることが多い寅さんが、庶民から離れたところいるような感じです。
こんなことを書き出したのは、コナン・ドイルのホームズ物の最後の短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』の解説として書かれた、小説家・推理作家の有栖川有栖(1959~)の文章に、「遊民」が出てくるからです。
有栖川がコナン・ドイルにどの程度影響を受けたかはわかりません。ホームズ物は小学生の頃に胸を躍らせて読んだそうです。
そのホームズ物の短編集に文章を書くことになり、ホームズ物を読み返したそうです。しかし久しぶりに読むまで、内心は「恐る恐る」だったと書いています。
その意味は、「こんなものだったのか」と幻滅するのではという危惧があったからだそうです。しかし、それは杞憂でした。「感服するところが多く、安心した」と感想を書いています。
有栖川曰く、ホームズ物の楽しみ方は多様であるといい、その多様性を次のように分類しています。
シャーロキアンにかかると、次のような、一種、考古学的楽しみ方が加わるとしています。
- 事件の発生順の考察
- ワトスンの傷の位置や結婚回数などの推察
有栖川は、それらをすべて味わったうえで、あまりそれを指摘されることがないと感じる「本格的推理小説」としてホームズ物を満喫したと書いています。
有栖川はそれらについてより細かく書いたあと、ホームズが持つ特異性を書いています。
有栖川はそれについて「単なる個人的見解かもしれませんが」と断ったうえで、ホームズ物に追随するように登場した名探偵の設定に欠けるものがあるとすれば、それは、ホームズが持つ「うさん臭さ」だとしています。
有栖川は、笠井潔(1948~)が『機械じかけの夢』の序説に書いた次の一文を引用します。
「〈被害者〉と〈犯人〉が舞台から退場した後、探偵小説の謎は、それまで片隅の暗がりで舞台をまわしていた〈探偵〉の存在の謎に凝縮されて、読者の前に残されるのだ。だからこそ〈探偵〉は、〈犯人〉同様に都市の群衆に根拠をもった遊歩者なのでなければならない。〈探偵〉と〈犯人〉は、その遊歩者的本性において、本質的に相互転換的な存在なのであ」る。
アーサー・コナン・ドイル. シャーロック・ホームズの事件簿 【新版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫) (pp.475-476). 株式会社 東京創元社. Kindle 版.
有栖川は、笠井氏の文章を引用したあと、次のように書いています。
体制の為に尽力しても、信頼できる有名な職業探偵であっても、ホームズはとにかく遊民であり続けたから名探偵という本格推理小説ファンの見果てぬ夢を私たちに与えてくれるのだと思います。
アーサー・コナン・ドイル. シャーロック・ホームズの事件簿 【新版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫) (p.476). 株式会社 東京創元社. Kindle 版.
私自身、一種、遊民的な生き方だといえなくもありません。これはこれで、言葉から受けるイメージほど楽ではありません。社会の一員として示す、特定な「記号」のようなものを持たないからです。
私が本コーナーで書くことは、そんな視点から見た社会のありさまです。
ホームズが事件を解決するヒントを得られるのは、普通とは異なる視点を持つためだといえましょうか。
それは架空のホームズではなく、作者のコナン・ドイルの視点が反映されているわけですが。
寅さんが発するひと言ひと言も、山田洋次の中にある思いを寅次郎にいわせているのです。