東京オリンピックで日本中が沸き立ったのであろう1964年から4年経った1968年12月10日、東京の府中で、40年経った今なお語り継がれる「三億円事件」が起きます。
本事件を取り上げようと思ったのは、この金曜日、テレビ朝日のワイドショー「スーパーモーニング」が本事件を取り上げらたからです。
私もそれなりに本事件には関心を持っていたため、録画し、昨日、ビデオを再生して見ました。見た率直な感想は、「期待したほどでもなかった」です。
本事件で反射的に思い出す「モンタージュ写真」が、実は別人の顔をそのまま使っていることは聞いて知っていたことで、真犯人の推理も以前に聞いたことがありました。
ただ、当時の捜査員たちに取材したことで、それらの背景を細かく知れたことは収穫といえます。
そこで、今回の放送をおさらいしながら、40年前の事件を振り返っておきます。
事件が起きたのは昭和43年12月10日。当日の天気は雨でした。その悪天候の中を1台の車が走行しています。日本信託銀行の車で、同銀行の行員ら4名が乗車しています。
車が向かうのは東芝の府中工場。そこの社員のボーナス3億円を運ぶ現金輸送車だったのです。
現在では三億円と聞いても、それほど驚かれないかもしれません。現在と40年前ではお金の価値が違います。当時、大卒の男性公務員の初任給が2万7千円だったいいます。
それを現在に当てはめると、当時の3憶円が今は【24、5億円】に相当すると、この日の番組に出演されていた村田晃嗣氏(1964~)から解説がありました。
三億円の現金を輸送する車は、直前の交差点を右折し、午前9時21分、府中刑務所に面する通りに差しかかりました。
車の走行方向左手には、刑務所の高い塀が続いています。その車に、1台の白バイが近づいてきました。「そこの車停まりなさい」といったかどうか知りませんが、車は道路の左脇に停まります。
白バイの警官に扮した男はオートバイから降り、車に近づいてきました。そして車の窓の外から、次のような、意外なことを伝えます。
さきほど、支店長宅が爆破されました。この車にも爆弾が仕掛けられているかもしれないため、調べます。
現代は、多くの人が携帯電話を持っています。だから、もしも支店長宅が爆破されるようなことが起これば、すぐさま携帯電話に一報が入るはずです。本事件は、通信手段がなかった当時だからこそ通用した手口だったいえましょう。
支店長宅爆破の事実を確認する術を持たない行員ら4名は、警官らしき男にいわれるまま、三億円入りのジュラルミンケース3個を車内に残したまま、車から降ります。
4名全員が車から降りたことを確認した白バイ隊員に扮した男は、車体の下を覗き込む仕草をします。おそらくは、このときに、用意した発煙筒を着火し、車のしたに置いたのでしょう。車の下からは発煙筒の白煙が上がり始めます。
男は大きな声で、行員ら4名に危険を知らせます。
爆発するので下がってください!
行員らはその言葉を信じ、車から離れます。それを見た男はすかさず車に乗り込みます。行員らはそれを見て、警官が爆発しそうな車をどこかへ移動してくれるとでも考えたでしょうか。
男が運転する車は、3億円を積んだまま、どこかへ走り去ってしまったのでした。
車が停まっていたあたりには、煙を上げる発煙筒が残されているだけでした。2、3分の出来事です。
重大事件の発生を受け、警視庁は直ちに捜査本部を設けます。日本中の人々の関心を呼んだ本事件解決に、警察の威信がかかっています。一刻も早く犯人を挙げねばなりません。
これから書くことを知っている人は、どれぐらいいるでしょうか?
捜査本部の中の限られた関係者は、ひとりの少年に強い関心を寄せていたのです。重要参考人としてです。そして、その少年の父親というのは、現役の白バイ警官でした。
少年はその地域の不良仲間と付き合いがあり、オートバイや車を盗むなどの犯行を繰り返していたそうです。事件9カ月前の3月には、少年の不良仲間がスーパーを襲撃し、ダイナマイトに見せかけた発煙筒を使い、現金を奪う事件を起こしています。三億円事件でも発煙筒が重要な役割を果たしました。
捜査本部は、事件発生から16日目の12月21日、三億円事件の犯人とするモンタージュ写真を発表します。この事件を思い出したとき、おそらくは多くの人が思い出すであろう、あの、ヘルメット姿の写真です。

しかし、モンタージュとされたその写真が実は、事件とはまったく関係がない男性の顔写真に、白バイのヘルメットや制服を合成した写真であったことは、以前の本コーナーでも簡単に触れておきました。
モンタージュ写真作成に利用されてしまった男性は、撮影当時19歳です。東京・調布に住んでいたその男性は会社を経営し、結婚して奥さんがいたそうです。
モンタージュの元となった正面向きの写真は、男性が銃刀法違反で逮捕されたときに撮影された被疑者写真だそうです。

警察は、重要参考人として注目していた少年にこの男性の顔が似通っていたため、男性の顔をそのままモンタージュに使ったということです。
このモンタージュ写真に似た顔を持ち、一部の捜査員から狙いをかけられていた少年は、事件から6日後の12月16日未明に死亡しています。
一部の捜査員の推理が、ほかの大多数の捜査員には共有されていなかったのでしょう。真犯人であったかもしれない少年がこの世から消えたあと、少年に似た顔からモンタージュ写真を作成し、それを刑事に持たせて、出口のない捜査を延々と続けることになったからです。
モンタージュに使われた男性にしても、事件が起こる1年近く前に建築現場の事故で死亡しています。1月7日に埋葬されたという記録があるそうです。
面影が少年に似ているという理由でモンタージュ写真作成に使われ、「三億円犯人の顔」として長く人々の記憶に残ることとなってしまった男性の名誉は回復されたのでしょうか。
捜査本部の一部の人間による極秘捜査でマークをしていた少年の死因は「自殺」とされています。
少年が自殺したという12月16日の前日(午前1時30分に死が確認されたということで、実質的には当日)。東京・立川署の刑事課長が、少年の父親に出頭を要請します。と同時に、少年の家の周りで聞き込みをしました。
午後7時半頃のことでしょうか。少年の家の隣で聞き込みをしていた刑事課長の耳に、争うような声と音が聞こえてきたそうです。
声と音は少年の家の中からで、声からして、少年と父親がいい争っていたのだろうということです。互いが互いのことを大きな声でののしっていたといいます。また、ガタガタという物音がしたともいいますから、とっくみあいへと発展していたかもしれません。
少年の家から119番に通報があったのは、その物音を聞いた午後7時半から4時間ほどあとの午後11時31分です。電話は少年の母親からで、母親は次のような内容を伝えました。
息子が毒物を飲んで苦しんでいる
少年は日付が替わった16日の午前1時30分に死が確認されたわけですが、死因は、青酸カリ(シアン化カリウム)による中毒死でした。
事態の展開を受け、現金輸送車に乗っていた行員ら4人が呼ばれます。彼らは刑事に扮装させられ、死亡した少年の「面通し」をさせられます。彼らの印象は、かなりの確率で「三億円強奪犯の偽白バイ警官に似ている」でした。
それまでに、少年のアリバイも確認もされていたようです。
犯行に使われたオートバイが盗まれたのは同年11月19日。見張りに使った車(カローラ)が盗まれたのは11月30日。逃走用に使った車(カローラ)が盗まれたのは12月5日。
そして、三億円が強奪された12月10日は、朝5時以降、少年のアリバイがないことが確認されていたのです。
また、少年の窃盗仲間からの聞き込みで、少年の「犯行計画」までが明らかになります。そこには「現金輸送車を襲う計画。東芝か日立の金庫を狙う」とあったようです。
他に得られた証拠からも、少年を犯人と断定できるだけの確証が得られつつありました。
少年が死ぬことになる12月15日の夜、少年の家ではどんなことが起きていたのでしょう。
これは、少年の父親が証言したのか、その夜、少年は父親とテレビを見ていたそうです。それが終わると少年は部屋に入り、間もなくして「うっ…」とうめき声を発したそうです。父親が少年の部屋へ行くと、少年が倒れて苦しんでいたということです。
少年が「自殺」したことについて、かつての悪友らは、「(自殺は)絶対ない。自分でそういうの(青酸カリ)を飲むような男ではない」などと漏らしています。また、当時少年と付き合っていたという女性は、取材者に「福生のスナックでよく仲間と集まりました。(彼は)不良でしたが、まっすぐな性格の美男子で、女性にも人気がありました。将来の夢を話すこともありました」と答えたようです。
「自殺」に用いた青酸カリですが、その後の調べで意外なことがわかります。少年の父親である現役の白バイ警官が、知り合いの板金工場から譲ってもらったものだそうです。また、自殺したあと、少年の家から青酸カリは回収されなかったそうです。
当時、警視庁捜査一課長をしていた平塚八兵衛氏(1913~1979)が少年の父親と「対決」します。
とにかく今日は出してもらう。
「この家の中に青酸カリはあるのだろうから、それを出せ」ということです。現役の警察官同士の対決です。ついに父親が負け、部屋の天井を指さしました。天袋から見つかった青酸カリは500グラム。新聞紙に包まれていたそうです。
不思議なのは、新聞紙に残っていた指紋です。少年の指紋は検出されず、代わりに父親の親指の指紋が残っていたそうです。
以上が、この金曜日に「スーパーモーニング」が伝えた事柄です。
さて、ここから未解決の「三億円事件」の真相はどのように見えてくるでしょうか。当時捜査に当たっていた元警察官は、「そこまでは考えたくない」というようなことを漏らしました。「そこまで」とは、少年に対する白バイ警官であった父親の想像し得る行為です。長く語り続けられる未解決事件は、未だ藪の中です。
個人的には、これとは別に、同じ頃に発生し未解決の「草加次郎事件」に自分なりに迫ってみたいと考えているところです。
