運河を残した小樽

前回の本コーナーの更新がそうであるように、私は、過ぎ去った昔への想いが強いようです

そんなことから、昔の日本に暮らす人々の営みを記録したNHKの「新日本紀行ふたたび」を、録画して見ることをしています。

といいながら、このところは、ほかのことへ関心を持つなどしたため、録画はしたものの、それを再生して見ることが滞り気味でした。

昨日の夕方、録画したままで見ていなかった昔の「新日本紀行」から次の一本を見ました。

これがNHK BSで放送されたのは、昨年7月23日です。

この番組中、ある場面で、ある音楽がBGMとして流れました。聴いたことがあるような音楽に思えました。懐かしさを感じさせる音楽です。

私は、GoogleのAI Geminiに、録画した番組を再生させて録音した音声ファイルをアップロードすれば、その曲名を教えてもらえるかもしれないと考え、ZOOMのマイクトラックレコーダー M3 MIcTrakで、テレビ受像機のスピーカーから流れてくる音を録音しました。

ZOOM M3 MicTrack(Google Geminiによる加工画像)

下に埋め込んだのが、その場面の音声をファイルにしたものです。

小樽運河沿いに暮らす人々を描くNHK「新日本紀行」一場面

音声ファイルから曲名がわかるかとGeminiに訊くと、次のような回答が返ってきました。

残念ながら、現時点の私は音声ファイルを直接聴いて曲名を特定する(音楽認識)機能は持っていません。

いわゆる「Shazam」のような音楽検索ツールとは異なり、アップロードされた音声ファイルを波形として解析してデータベースと照合することができないためです。

この需要がほかにもあれば、すぐにでも、Geminiに実装するかもしれません。今のAIを使えば、難しいこととは思えないからです。

というわけで、私が知りたかったことを知ることはできませんでした。しかし、そのあと、Geminiと北海道の小樽や、それから派生した話をしばらく「対話」しました。

番組を見ていて私が気になったのは、小樽の街を象徴する運河の上に、広い道路を作る計画が進んでいるということでした。そこで、その運河がその後どうなったのか、Geminiに尋ねました。

その後の小樽の運河を、Geminiは次のように教えてくれました。

ドキュメンタリーで描かれていた「運河論争」は、その後の小樽という街の運命を決定づける歴史的な出来事となりました。

結論から申し上げますと、運河は「全面的な埋め立て」は免れましたが、南側半分が埋め立てられるという「折衷案」で決着しました。

その後の経緯を簡潔にまとめました。


1. 10年に及ぶ「運河論争」の結末

番組でも描かれていた通り、当時は「6車線の道路を作るために運河をすべて埋め立てる」という計画が行政から出されていました。これに対し、市民団体「小樽運河を守る会」などが激しく反対し、全国的にも注目される保存運動へと発展しました。

10年以上にわたる議論の末、1980年代に以下の形で合意に至りました。

  • 南側(浅草橋から中央橋付近): 運河の幅を半分(20m)に狭めて道路にし、残った水面に散策路とガス灯を整備する。
  • 北側(北運河): 当時のままの幅(40m)で残す。

2. 「観光都市」への劇的な変化

1986年に散策路が完成すると、石畳とガス灯、そして立ち並ぶ古い倉庫群が織りなす景観が、皮肉にも「かつてない美しい風景」として脚光を浴びることになりました。

  • 倉庫の再利用: 荷役の役目を終え、取り壊される寸前だった古い石造りの倉庫群は、レストラン、地ビール工場、ガラス工芸店などとして生まれ変わりました。
  • 街づくりのモデル: この運動は、「古いものを壊して新しくする」のではなく「古いものを活かして街を活性化する」という、日本の歴史的景観保存の先駆け的な事例となりました。

3. 現在の小樽運河

現在、小樽運河は年間数百万人が訪れる北海道屈指の観光スポットとなっています。

  • 夜にはガス灯が灯り、ナレーションで語られていた小林多喜二が歩いた時代とはまた違う、幻想的な雰囲気に包まれます。
  • 近年では「小樽運河クルーズ」なども行われており、埋め立てを免れた水面を船で移動しながら、当時の歴史を学ぶこともできます。

番組で見た、埋め立てに反対していた人々の切実な思いが、今の美しい小樽の風景を首の皮一枚でつないだと言えるかもしれません。

Geminiの解説に「浅草橋」が出てきます。もしかしたら、Geminiが間違って回答しているかもしれないと考え、そのあたりを確認すると、次のように回答してくれました。

小樽運河には「浅草橋(あさくさばし)」という名前の橋が実在します。

東京の浅草橋を連想されるかもしれませんが、小樽の浅草橋は運河観光において最も重要な場所のひとつです。

1. 観光の拠点としての「浅草橋」

小樽運河の南端(札幌寄り)に位置する橋で、現在、観光ポスターやガイドブックで見かける「ゆるやかにカーブする運河と石造りの倉庫群」の写真は、ほとんどがこの浅草橋の上から撮影されたものです。

  • 観光案内所: 橋のたもとには石造りの建物風の観光案内所があります。
  • 撮影スポット: 広いテラス状のスペース(浅草橋街園)があり、常に多くの観光客が記念写真を撮っている、小樽で最も賑やかな場所です。

2. 「運河論争」の象徴

以前お話しした「運河の埋め立て」をめぐる歴史において、この橋は非常に重要な意味を持っています。

  • 1980年代の工事によって、この浅草橋から中央橋にかけての区間が「幅を半分(20m)に埋め立てて道路と散策路にした」エリアです。
  • 番組が撮影された1974年当時は、まだ埋め立てられる前の「幅40m」の広々とした(そして少し荒れた)運河がこの橋の下を流れていました。

3. なぜ「浅草」なのか

小樽に「浅草」という地名があるのは不思議に感じられるかもしれませんが、これはかつてこの付近に「浅草寺」というお寺があったことに由来していると言われています。 また、小樽は明治・大正期に日本各地から移住者が集まった街であり、各地の地名が取り入れられた経緯もあります。

「1974年」という年が出てきます。番組が放送されたのは昭和50年なので、西暦に直すと1975年です。どうしてそれをGeminiが「1974年」とするのかはわかりません。

ともあれ、小樽にも「浅草橋」があり、「浅草寺」まであるというのは驚きました。

小樽は、明治時代、一旗揚げようと移住してきた人によって作られた街なのだそうです。そんな人々の中に、東京の浅草周辺から移住してきた人がおり、自分たちが新たに住むことになる場所に、かつて住んでいたゆかりの名前をつけたり、故郷の分院を建てたりしたことで、小樽に「浅草橋」や「浅草寺」ができたということです。

小樽の「浅草寺」は、東京の「せんそうじ」とは違い、「あさくさでら」と読みましたが、今は別のところに寺が移され、寺の名も「恵弘寺(えこうじ)」に変わったそうです。

小樽を象徴するのは、運河のほかに、かつては銀行が多かったことです。「北のウォール街」といわれたほどだそうです。

それらの銀行が札幌に移るなどし、番組が撮影された当時、すでにその面影は薄れています。

使われなくなった銀行が入っていたビルが、紳士服縫製工場として使われていることを番組では伝えています。

Geminiは番組を把握して、そのビルに入っていたのが、「旧第一銀行小樽支店」としています。また、そのあとを、1971年からは、紳士服縫製工場として使い、当時「協同組合 紳装」といわれていたのが、今は「ミユキソーイング」になり、今も、職人たちがミシンを動かして、オーダースーツを仕立てているというのは驚きです。

かつての銀行名番組撮影当時の状況(1970年代)現在の様子
旧北海道拓殖銀行ホテルや事務所として利用似鳥美術館(ニトリ小樽芸術村)
旧三井銀行2002年まで現役の銀行(三井住友)旧三井銀行小樽支店(ニトリ小樽芸術村・重要文化財)
旧三菱銀行事務所・倉庫など小樽運河ターミナル(菓子店やバス待合所)
旧北海道銀行北海道中央バス本社小樽バイン(ワインカフェ&ショップ)
【小樽】小樽市指定歴史的建造物 第18号 旧三菱銀行小樽支店

市場周辺の賑わいは、撮影された当時にはすでに、かつての賑わいがなくなったとされていました。それでも、市場で、その日に仕入れる魚のセリに参加した街の鮮魚店の人たちが、運河沿いの一杯飲み屋でくつろぐ姿が描かれています。

そのような店は、今は姿を消したでしょうか。.

小樽の運河は、反対運動があったことで、当初の計画では進められず、運河の南側を幅半分(20メートル)埋めて道路にし、半分を水面を残す折衷案に落ち着きました。

この折衷案が、結果的には、現在、観光で栄える小樽を生む結果となりました。

運河を当時のまま残しても、すべてを埋め立てて片側3車線の道路にしても、今の小樽はなかったのです。

運河南の20メートルは、水辺に面した散策路となり、ガス燈を整備した通りとなっているそうです。

小樽の変遷:1974年から現代へ

今回は、昔の小樽を伝える番組を見て、そこで耳にした音楽を端緒として、小樽の魅力と歴史を知ることができました。

Geminiと小樽について「対話」したことで、NHKの番組とは別に、自分でも、当時の運河沿いの小樽を動画にしてみたくなりました。

Googleの動画生成AI FLOWを使い、生成してもらったのが下の動画です。

運河に面した小樽(1975年)

カットを二つ生成してもらい、1カット目は、動画編集ソフトのDavinci Resolve Studioを使い、速度が2倍ゆっくりのスローモーションに加工しています。

気になるあの音楽は、誰の曲なのか気になります。Geminiがいうように、冨田勲が番組のためにアレンジした音楽なのでしょうか。

一度更新を終えたあと、プロコル・ハルムの『青い影』であったことがわかりました。

青い影 (プロコル・ハルム)

Geminiとの「対話」を基に、NotebookLMで動画にしてもらいました。文章を読むのが面倒な人は、動画をご覧ください。

忘れられた街の歌:小樽はいかにして救われたか