ざっくばらんな国会論戦を望む

日本の国会では当たり前のように予算委員会が開かれ、その模様をNHK総合が放送します。私は興味がないので通常はそれを見ません。

森友学園問題がその場で取り上げられた折りには、強い関心を持って見ました。

そんな予算委員会ですが、主要各国の国会に、日本の予算委員会のようなものがあり、それが開かれるたびに、テレビで放送されるようなことは行われているのか、あるいは、それに匹敵するものがないのか、私は知りません。

日本の場合は予算委員とされながら、国の予算に関わることばかりを議論するわけではありません。むしろ、それとは直接関係ないことを質問し、首相をはじめとする閣僚が答弁することが多いように思います。

気まぐれにそれを見ると、全閣僚がその場に集まり、自分への質問があれば、答弁席で答弁します。

省庁も重要度にばらつきがあるため、質問される回数が少ない閣僚もいます。そうであっても、その委員会が開かれれば参加し、数時間の答弁時間で、一度も答弁席に向かうことなく、内心は退屈している閣僚もいるでしょう。

その様子を見ていて素人的な疑問を持ちます。

その日の委員会で、質問が通告されている閣僚だけが参加すればいいのではないのか、と。

予算委員会の質問について、本日の朝日新聞が「質問通告、本当に必要? 首相の『未明出勤』で注目」の見出しで、そのあり方に疑問を投げかける記事が載っています。

きっかけは、高市早苗氏(1961~)が総理になって初めて予算委員会に臨むにあたり、答弁の準備のために、午前3時過ぎに首相官邸(内閣総理大臣官邸)に向かったことが明らかになり、そのあり方が取りざたされたことです。

私が日本の国会中継に興味を持てない理由のひとつは、議員が生の声でやり取りしていないと感じるからです。

数字が絡む質問に対する答弁であれば、事前に用意しておく必要があります。しかし、考え方を問われたことへの答弁であれば、訊かれた閣僚が、自分の考えを述べればいいだけでしょう。

ところが、日本の国会では、質問する内容を事前に通告するということが行われています。

その質問に対する「模範解答」を官僚が答弁書にまとめ、高市総理や閣僚は、それを読み上げるだけの、「答弁書読み上げマシン」になってしまっています。

高市総理は、英国で初の首相になったマーガレット・サッチャー氏(19252013)を尊敬されると聞きます。そのサッチャー氏が首相に就任した1979年に、それまで、今の日本の国会のように、事前に質問通告をしていた慣習を改めたそうです。

サッチャー氏を尊敬されるのであれば、高市氏はサッチャー氏に倣い、総理になられた今、日本も英国に倣い、事前通告なしで審議に臨まれたらいかがですか?

朝日の記事でおもしろいと思ったのは、審議のあり方について、英国の政治を専門とされる明治学院大学の池本大輔氏が紹介してくれたことです。

英国の議会でも、閣僚に対しては審議の3日前までに質問通告をするものの、関連質問に関しては、閣僚が事前通告なしで答弁するそうです。

そして、事前通告に対する答弁書は、各省庁の官僚ではなく、答弁する政党の職員が作成するそうです。納得のいく答弁書を作成するにはその能力が問われます。それが認められた職員が、政治家に転身するケースが英国では多いそうです。

翻って、日本ではどうでしょう。

代々国会議員を輩出する家の子供が成長すると、そのまま国会議員を世襲するケースが未だに多いです。答弁能力が高い遺伝子親に持つ子供が、そのまま答弁能力が高ければいいですが、そうでないケースもあるでしょう。

能力が高くないのに、世襲で国会議員になるような人は、自分ひとりでは何もできません。理想とする国家観も持たず、質問されても答弁に値する考えが自分の中に何もなければ、官僚が寝ずにまとめた答弁書を読み上げるだけのマシンになる残された選択肢はありません。

これでは、何のために国会議員になるのかわからず、それらの議員によって国の行方を左右される国民にとっては不幸なことこの上ありません。

それぞれの議員が、自分の考えをざっくばらんにぶつけ合うような国会であれば、私もそれを見て楽しめるでしょう。

攻守が始終入れ替わり、その新陳代謝によって日本という国が栄えるような国会のあり方を私は望みます。