どんなことでもそうだと思いますが、何かを自分でやれば、やっただけ何かが得られます。
これはわたくしごとでしかありませんが、油絵具の扱いも、経験を積めば積むほど、何かしらの気づきを得ます。本日、私もそれを得たように感じています。
油絵具を使って何かを表現するわけですが、やることはシンプルといえばシンプルです。絵を描く支持体に、油絵具という物資をどのように扱うかで、結果が異なります。
絵具の色は無数にあります。
私はライトで照らした自分の顔を鏡に映し、それを見ながら絵具をのせていきます。
たとえば、ある部分に絵具をつけようと思えば、その部分をよく観察します。どんな色に見えるだろう、と。
人間の顔の色は、光の当たり方でさまざまに変化します。
もしも、実物や鏡に映った像を見ないで人間の顔を描いたら、顔の色を作り、それを全体に使ってしまうかもしれません。影をつけるにしても、常識的な影になりがちです。
ところが、たとえば鏡に映る自分の顔を見ると、とにかく、同じ色がどこにもないといったように、部分ごとに色が変化しています。
ある部分に色をつけようと思って、取りあえず色を作ります。一度で、見たままの色になることはありません。作った色を試しにその部分にのせます。
実際にのせてみると、違うので、作った色にまた別の色を加え、色合い(色相)や明度を変えます。
このような作業が、描いている間中続きます。
そして、ある部分に作った色がほかの部分に使えないかと、使えそうな部分を探します。実際に使えることがあり、若干色を変えることで使いものになることもあります。
私が敬愛する17世紀の画家、レンブラント(1606~1669)は使った絵具の色が少ないといわれています。
レンブラントの画集を見ると、たとえば顔の部分が、筆を何度も入れて描いていることがわかります。
レンブラントは『自画像』を数多く残しています。レンブラントも鏡に映る己の姿を観察し、気の済むまで、色をのせ、色に変化をつけて、入れ直すことを気の済むまで続けたのでしょう。
油絵具は、如何にして、のせた絵具の色に変化をつけるかがポイントになります。それは、青空を描くときも同じでしょう。晴れた青空だからといって、青色を造り、それを全体に塗ればいいというわけではありません。
空をよく観察すれば、顔の色と同じように、さまざまな青色に見えてくるでしょう。見えてくれば、理屈をいわず、見えたとおりの色を作り、根気よく塗っていくだけです。
晴れた日に、水の流れのそばに腰を下ろし、流れる水を描いたらおもしろいでしょう。水の色はさまざまに変化し、それを追いかけているだけで、夢中になってしまいそうです。
印象派の画家、モネ(1840~1926)は、睡蓮が浮かぶ水を飽きずに描いています。おもしろくて仕方がなかったのだと思います。
このような絵を描くとき、乾きが遅い油絵具が最も適っています。
実際に自分の絵を動かし、自分の目を使ったことで思い浮かんだことをそのまま文章にしてみました。
