映像の魔術師

数日前、AmazonのPrime Videoであるドキュメンタリー作品を見ました。はじめからそれを見るつもりはなく、何かおもしろそうな作品がないかと思っていたら、それがお勧めにあったのです。

私はAmazonの有料会員です。その会員は、Prime Videoで該当の動画を追加料金なしで楽しめます。

私がそれを利用するときはPCのモニタではなく、テレビ受像機(テレビ)で見るようにしています。YouTubeの動画も、できるだけテレビで見ます。

AmazonのFire TVを使うと、ネット動画がテレビで見られるようになるからです。

私が見たドキュメンタリーは、日本では昨年9月29日に公開された映画監督アルフレッド・ヒッチコック18991980)の撮影術を紹介する内容のものです。

公開されたとき、邦題は『ヒッチコックの映画術』だったのでしょうか。

私がAmazonで見たときは、そんな題名ではなく、“My Name IS Alfred Hitchcock”でした。

また、同じ作品がAmazonでは『I AM アルフレッド・ヒッチコック』とされています。

My Name Is Alfred Hitchcock – Official Trailer (2024) Documentar

映画が好きな人であれば、ヒッチコックの作品に興味のない人は少ないでしょう。私もヒッチコックは好きで、彼の作品を見る機会があれば、そのたびに興味を持って見ます。

【ヒッチコック徹底解説】世界一有名な映画監督/譲れない演出のこだわりとは?

マーク・カズンズ1988~)という監督が、ヒッチコックのサイレント映画作品も含めてすべて分析し、ヒッチコックの撮影術を六つのテーマに分けて解き明かす内容です。

作品は、ヒッチコック自身が、自分の語りで、自分の作品をどのように撮っていったかを説明する作りとなっています。まるでヒッチコック自身が話しているように感じられますが、彼の声は別の人が吹き替えをしています。

ヒッチコックがあらゆる場面で残した文章や、ヒッチコックが実際に話す場面の映像を交えて構成されています。

随所に、ヒッチコックの顔を撮影した白黒の写真が登場します。その眼の部分が映像的に加工されており、ヒッチコックの黒目の部分が滑らかに反射するように見せたりしています。

冒頭は、ある男が、ある家の中に入って行く場面です。カメラはその男を追って、家の中に入って行きます。

通常、家に入ればドアは閉めます。しかし、カメラが男のすぐ後ろをついていくため、男が家の中に入ったあと、ドアが閉まりますが、閉まるドアはカメラに写りません。

ヒッチコックはここで映像的な工夫をしています。男の背中にドアが閉まる様子を暗示する影を見せ、同時に、ドアが閉まる音を加えることで、観客は、男の後ろのドアが閉まったことがわかる仕組みになっています。

こんな風に、ヒッチコックは、映像的な仕掛けを、作品のあらゆる場面に仕掛けているのです。

それらに注意を向けて見ると、ストーリーとは別に、映像表現としてヒッチコックの作品が楽しめるようにできています。

ヒッチコック自身、高所恐怖症ではなく、逆に、高いところに昇るのが好きだと述べています。

ただ、自分が高いところが好きなだけで、高いところから下を見下ろすような映像にしたりしたわけではありません。

高所から撮影したカットをみせるときは、場面を客観的に見せ、観客がそこに描かれていることをすでに知っていることとして描いたりします。

高所から撮影したカットのひとつとして、『北北西に進路を取れ』1959)の一場面が登場します。

ケーリー・グラント19041986)が演じる男は、ひょんなことから、別の男と勘違いされ、敵から追われる運命になります。

その男が、敵の指示で、ある場所で待つようにいわれます。それが、見渡す限り何もない荒れ地です。まっすぐな道路が通っているだけで、ほかには何もありません。

そこに立っている男を、高いところからカメラが写しているのです。

North by Northwest Movie Clip | Crop Duster Chase | Warner Bros. Entertainment

私は、高い建物が何もないそこで、どうやってあれほどの高所から撮影できたのか、その種明かしを期待しましたが、本作でその種が明かされることはありませんでした。

おもしろいアイデアも明かされました。

背の高い女優と、その女優より背の低い俳優をひとつのカットに収めるときのテクニックです。

その場面は、手前に立っている女優に、うしろのドアから、背の低い俳優が歩いて近づく場面です。当たり前に撮ってしまうと、男の俳優が、女優より明らかに背の低いことが観客にわかってしまいます。

しかし、ヒッチコックはある仕掛けをしてその場面を撮りました。昔の作品ですから、今のように、コンピュータグラフィックス(CG)は使えません。

うしろのドアから入って来た男の俳優が、彼より背の高い女優の傍まで歩いてきても、背の高さはほぼ同じです。

この撮影のために、カメラに写らない足元に、傾斜をつけた渡り廊下のようなものを設置しています。そこを男の俳優が歩いて昇るのです。

これも、ヒッチコックの映像魔術のひとつといっていいでしょう。

ヒッチコックはそれらの映像魔術を、「観客をからかうため」につかっていると述べています。いいかえれば、それがヒッチコックから観客へのサービスといえましょう。

私はこれまで、ヒッチコックの作品を数多く見てきました。本作に登場する作品の一部分を見るだけで、どの作品かわかります。

ヒッチコックの初期の作品はサイレント映画です。それらは始めて見るものばかりでした。

あの作品のあの場面が次々に登場します。それらが、ヒッチコックのどのような意図で撮影されたのかが解説されています。

私は一度見たきりですが、もう一度見れば、一度目には気づかなかったヒッチコックの撮影術の秘密に気づかされるでしょう。

映像表現の可能性をここまで追及した監督はヒッチコック以外見当たりません。