贋作絵画が教える絵画ビジネスのからくり

NHK総合で今年の10月から始まった番組に「未解決事件」があります。

未解決事件 メインテーマ「ラビリンス」

このレギュラー番組が始まる前に、同じ趣旨の番組がありました。しかしそれは、ひとつの未解決事件を一回放送の番組としてまとめたときに、不定期で放送されました。

それを毎週放送すると知ったとき、作り込んだ番組を放送できるのかと危惧しました。毎週の放送に間に合わせるため、中途半端に作られた番組を見せられることになりはしないか、と。

これまでに五つの未解決事件(レギュラー化されて最初の「八王子スーパー強盗殺人事件」だけは、前後編2回の放送でした)を番組は取り上げました。私はそれらの事件に興味がなかったので、一度も見ていません。

昨夜、その番組が放送されました。個人的に興味を持ったので、録画し、翌日の本日、それを見ました。

昨夜、その番組で放送されたのは「ベルトラッキ贋作事件 世界をだました希代の詐欺師」です。

今年の2月8日、朝日新聞に「高知県立美術館の絵 贋作濃厚 徳島でも疑い 画家『私が描いた』」との見出しの記事が載りました。

高知県立美術館が、1996年に1800万円で名古屋市の画廊から購入した『少女と白鳥』という作品が贋作であることが濃厚であることを伝える記事です。

1996年に同美術館が購入したあと、それが贋作であることがわかるまで、ドイツ表現主義を代表する画家、ハインリヒ・カンペンドンク18891957)が1914年に制作した作品とされてきました。

徳島県立近代美術館でも、1999年に、6720万円で大阪府内の画廊から購入した『自転車乗り』も贋作の疑いが強まったことを伝えています。

この作品はフランス人画家のジャン・メッツァンジェ18831956)が描いた作品とされ、パブロ・ピカソ18811973)のキュビズムの特徴を持つ作品とこれまで信じられていたものです。

どちらの作品も、贋作画家として知られるヴォルフガング・ベルトラッキ1951~)が描いた贋作であることがわかっています。

【日本の美術館で作品を発見】現代の贋作家ベルトラッキについて五郎さんが解説【山田五郎 公認切り抜き】

NHKの取材班は、ベルトラッキが暮らすスイスのチューリッヒ近郊へ行き、そこで撮影した、彼自身への取材映像を交えて番組にしています。

ベルトラッキは、自分がそれらを贋作したことを認めます。しかし、そのことへの謝罪の言葉は一切ありません。それどころか、贋作であっても、これまで、それを所蔵する美術館の学芸員や、美術館を訪れて鑑賞した人々に、素晴らしい作品と認められ、鑑賞されたことに誇りを持っています。

ベルトラッキの話を聴くうち、疑問がひとつ生じてきます。そして、彼にこんなことをいいたくなってきます。

ベルトラッキさん、ずいぶんと自信を持たれているようですね。そうであれば、贋作などとして売りに出さず、その作品にあなたのサインを入れて、正々堂々と、その作品の評価を得てみてはどうですか?

彼は、取材の中で、普通に絵を描いて売ることはつまらない。贋作を描こうとするとわくわくするといったようなことを語っています。

彼は知っているのです。自分のサインを入れた絵は、一文の価値もないであろうことをです。

彼の贋作を画廊や世界に名だたる美術館が大金をはたいても手に入れたのは、贋作の出来が素晴らしかったからではありません。贋作に記されたサインが「権威」のある画家の名だったからです。

美術館で働く学芸員が、絵画作品の価値を正当に評価できるかといえば、それは怪しいです。その証拠に、贋作を真作として購入することを許可しています。

ベルトラッキによれば、バブル景気に沸き立った1980年代後半の日本が、彼の贋作の「大のお得意さん」だったそうです。日本の美術館や画廊、個人コレクターに、まだ贋作であることを知らず、彼の贋作が収まっていることでしょう。

美術館を訪れる人の多くは、絵画作品の本当の価値をわかっていません。企画展が催されると、多くの人が会場を訪れ、「これが誰々の作品か」と感心しながら作品を見て回ります。

一つひとつの作品を吟味するわけではありません。画家の名にひかれて眺めているだけです。

東京都美術館で、『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』展が、来月21日まで開かれています。

【公式PR動画】「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」みどころ紹介

フィンセント・ファン・ゴッホ18531890)は、独身のまま、1890年7月、自らの意志でこの世を去っています。享年37です。

ゴッホは死後に名声を得ましたが、生きているときに売れた絵は一枚だけだったというのはよく知られています。

ゴッホの絵画制作に協力したのが、弟のテオ(テオドルス・ファン・ゴッホ)(18571891)です。そのテオが結婚することを知ったゴッホは落胆したと聞きます。テオが家庭を持ったら、それまでのように、テオに頼って絵を描き続けることが難しいと考えたからでしょう。

テオが家庭を持ったあとも、ゴッホはテオに頼らざるを得ませんでした。

世の中からまったく評価されないまま、それでも絵を描き続ける人間の心境を理解できる人がいるでしょうか。他人には、好き勝手なことをして生きているだけだと見られます。

他者と諍いになれば、「何もしていないお前が偉そうなことをいうな」という言葉が決まって投げつけられるでしょう。その言葉は半分真実です。それだけに、その言葉を受け止める人間の心は痛むのです。

ゴッホが自殺する直前、テオの家庭を心配したゴッホの手紙が残っています。そこから想像されるのは、自分が蒔いた種でテオが苦しんでいることに悩むゴッホの心境です。

今、東京都美術館で開かれている企画展では、テオの妻 ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)(18621925)の献身が、今のゴッホ評価につながっていることを称えています。それを知っているため、私は本企画展は見る気持ちが起きません。

以前の本コーナーで、ゴッホが死を選んだのは、ヨーの存在があったからではと書きました。その考えは今も変わりません。

弟のテオが妻のヨーといい争いになれば、必ず、テオに頼りっきりのゴッホを非難する強い言葉が飛び出したでしょう。「どうしてあんな奴のために、私たちの家計が苦しめられなければいけないの!?」と。

ゴッホが、死の前に、テオ夫婦と最後に会ったときも、そんな諍いを、ゴッホは目の前で確認したでしょう。

ゴッホに尽くした弟のテオは、ゴッホが自殺した3カ月後に息を引き取っています。

ゴッホの展覧会へ行った人は、ゴッホが描いた作品としてゴッホの作品を見ます。どんなにつまらない作品であっても、ゴッホが描いたとお墨付きがついていれば、素晴らしい作品として鑑賞します。

ここに、美術鑑賞の「からくり」があります。

贋作事件を扱ったNHKの『未解決事件』のラスト、贋作を贋作と気づかずに購入した高知県立美術館の学芸課長、奥野克仁氏は、絵画作品についての個人的な考えを次のように吐露しています。

そもそも美術品というのが、もともと絵具のかけらとか、ただのカンヴァス。まったくないところから作り上がっていく、一種の虚構の世界なので、その虚構に値打ちがつくという、まったく不思議なところなわけですから、やっぱり、あのう、贋作がわかった時点で、(贋作であることを)隠しますよね。普通はね。隠してしまうと、それが出てくるっていうのは、まずありませんから、それはもう未解決になってしまう。

今、もしも、ゴッホの贋作ではなく、正真正銘の未発見だった真作であることがわかったら、世界的に大注目となるでしょう。それがオークションにかけられたら、どれほどの値段がつくかわかりません。

ゴッホが生きていたときは、一枚の絵が、おそらくは、はした金のような金額で売れただけです。

その時代にも、ゴッホの作品を見た人がいます。彼らは、なぜ、ゴッホの作品を正当に評価することができなかったのでしょう。

その答えは、美術鑑賞の「からくり」で簡単に出せます。そのとき、ゴッホは誰にも認められていなかったからです。画家がどれほど有名であるか、名声があるかで、その画家の描いた絵画の価値が決まるのです。

真作と信じられる贋作を量産したベルトラッキが、自分の贋作に自分のサインを入れないのは、自分のサインでは価値がつかないことを知っているからです。

同じ作品が、サインが違うだけで、価値は雲泥の差となります。

誰々という有名な画家と知れば、画商や美術館の学芸員は、そこに「権威」を見て、作品から必死に何かを読み取ろうとします。

テオの妻のヨーに長けていたのは、ゴッホに物語性を持たせたことでしょう。人がゴッホを語るとき、その物語性が作品以上に意味を持ちます。

美術館に有名な画家の絵画作品が展示されれば、一般の個人が、誰々の作品と保障された「絵具のかけら」に飛びきりの価値を認め、飽きることなく鑑賞します。

同レベルの作品であっても、そこに物語性や権威がなければ、本当は価値があるかもしれない作品であっても、人々は関心を示さず、素通りします。

絵画作品は、誰かによって権威づけされたとき、輝きを持ち始めるのです。その輝きが幻であっても。_