本コーナーの前回の更新で、ある事件について簡単に触れました。
実のところ、私はその事件については、以前、聴いたことがある程度でした。そこで、事件をもう少し知っておこう、とネットで少しばかりあたりました。
事件のあらましは、YouTubeにある次の動画を参考にしました。本動画は埋め込みができないように設定されている(?)ので、リンクで紹介します。
本事件は「木原事件」と呼ばれています。木原というのは、自民党で役職をする木原誠二衆議院議員(1970~)の木原から来ています。
ただ、事件そのものに木原氏は直接関わっていません。ですので、木原事件と呼ぶことは、木原氏には気の毒なことかもしれません。
本事件には、4人の人間が関係しています。ひとりは実名で書き、ほかの3人はアルファベットのX、Y、Zで表すことにします。
本件で命を落としたのは、「安田種雄(やすだ・たねお)」という青年です。それが起きたとき、彼は28歳でした。身長は180センチ以上です。
ネットの事典ウィキペディアにある記述によると、種雄さんはやんちゃな性格で、中学生の頃から不良仲間と関係を持つようになり、暴走族に入っていたこともあったそうです。
高校時代には、雑誌のモデルをすることもあったようです。ということは、女性にモテそうなイケメンの青年だったのでしょう。
私はあとで知ったのですが、種雄さんがしたモデルというのは読者モデルだそうです。ですから、プロのモデルというわけではなく、事務所に所属していたわけではありません。
Xは女性なので、わかりやすいよう、X子とします。X子の父親が警察官であることがわかっています。X子の身長は163センチです。
X子も容姿に恵まれているのか、雑誌のモデルをしたりしたそうです。X子の場合も、読者モデルです。何かの縁で種雄さんと知り合い、2002年5月にふたりは結婚しています。
結婚した年に息子が生まれ、その2年後に娘が生まれています。家族4人は、X子の父が持ち主の東京・大塚(大塚駅)にある一戸建ての家で生活しています。住宅は2階建てです。
のちに、ほかの情報から、種雄さん夫婦が暮らした家は、もとは、X子の実家であるらしいことがわかりました。種雄さんとX子の結婚が決まり、その家を、X子夫婦に譲ったのでしょう。
と上のように書きましたが、その後に得た情報で、違う状況が見えてきました。
種雄さんがX子と結婚したあとは、数年、X子の両親とX子の実家に同居していたらしいです。X子には兄と弟がいることがわかりました。
兄が結婚したのがX子よりも前であるかはまだ確認していません。兄は結婚後、もちろん、実家からは離れて住んでいます。
種雄さん家族がX子家族と食事をする機会が何度かあったそうです。種雄さんの父は、X子の弟は見たことがないと離されています。
種雄さん夫婦が結婚した年に息子が生まれ、2年後に娘が生まれています。娘が生まれたタイミングで、X子の両親は新築マンションに移ったようです。
ということは、種雄さんが結婚して2年間ほどは、X子の両親とX子の自宅で暮らしたことになります。
X子の両親が移ったマンションは、種雄さん夫婦の家になった元実家からは、歩いて10分以内ぐらいの距離のところにあったそうです。
種雄さんは風俗店に勤務していました。この事実を私はまだ確実に掴んでいるわけではありません。
ネットの情報では、X子の兄が風俗店の経営をしていたらしいことを知りました。その経営で暴力団関係(ヤミ金融?)に借金を作ったという情報もあります。
その風俗店では、X子の母がレジ係をしていたという話もあります。
また、その風俗店の経営を種雄さんに譲るという話があったらしいことも知りました。
どちらにしても、X子の父親は当時、警視庁で現役の警察官をしています。その家族は、妻が風俗店のレジ係、息子が風俗店の経営、そして、X子がキャバレーでホステスというように、警察官の家族らしくない働き方をしています。
これとは別に、高級車のベンツをX子の兄と種雄さんが共同で購入し、それを暴力団関係の借金の担保にしていたらしいという情報があります。そして、そのベンツが、種雄さんが亡くなったあと、どこかへ消えたらしいです。
妻のX子は、子供が小さかったので、子育てだけをしていたのか、それとも、子育ての合間に仕事をしていたのかまでは私はわかりません。
X子と種雄さんの姉は、電話でよく話していたそうです。姉の記憶では、種雄さんが亡くなる半年前、あるいは、3カ月前だったかぐらいまでは、X子は働きに出ていなかったというような話ではなかったかと思います。
X子は種雄さんの姉に、経済的に苦しいというような話はしていたらしいです。
私は、種雄さんが働いて収入を得ていたと考えていましたが、そのあたりがよくわからなくなってきました。モデルにしても、読者モデルなので、それで生活できるわけではありません。
種雄さんの姉は、弟の種雄さんが風俗店で働いていたという記憶も確かではないような感じです。
ふたりが結婚して4年目の2006年には、ふたりの仲は冷めた状態にありました。のちに、X子の父が警察で、種雄さんの家庭内暴力を相談をしていたことがわかっています。
種雄さんが亡くなる一週間前、X子が種雄さんの自宅に電話をしています。X子は「離婚します」といったそうです。種雄さんは、離婚したらふたりの子供は自分が引き取る考えであることを、周囲の人間に話していたということです。
X子は、Wと不仲になる一方で、外に別の男を作っています。その男はYとします。Yは10歳ほど年上です。のちにYを取り調べた刑事の印象では、素朴な感じの男だそうです。
それ以前、種雄さんとX子は、東京の代々木公園で開かれるフリーマーケットに出店していました。そこで、Yも靴を出品していたことでふたりは顔見知りになります。
やがて、X子がYと会うことが増え、ときには、子供を連れて1カ月もYと一緒にいるような状態であることもあったそうです。種雄さんの心中は穏やでなかったでしょう。
そんな中、2006年4月9日、種雄さんは実家へ行き、父が所有する車(トヨタ・ハイエース)を借ります。X子がYの家に自分の荷物を置き、そこに子供といるから、車で連れ戻すのだと父には話しました。
種雄さんは車でYの家へ行きます。家は東京の近郊にあったそうです。
はじめはX子も交えて話し合ったかもしれません。しかし、やがて、いい争いに発展したことでしょう。ある証言によれば、種雄さんの態度は、壁をバンバン叩くなどして、二度110番通報されるほど激しいものだったそうです。
種雄さんは、妻子と荷物を「奪還」したといったところでしょう。そこまでして、彼は元の生活に戻すことを強く望んでいたことになりそうです。
その日の夜、午後10時頃のことです。種雄さんが自宅で変死しました。
日付が替わった4月10日の午前3時頃、種雄さん宅を種雄さんの父が突然訪れます。種雄さんの実家は歩いて行けるぐらいの距離のところにあったのかと考えましたが、父親はオートバイで来たそうです。
種雄さんの父は、貸した自分の車を取りにきたのです。夜中の3時頃というのは、不自然な感じがしないでもありませんでした。しかし、その後に得た情報で、父親の仕事の関係で、午前4時に家を出て仕事に行かれるそうです。ですから、車はどうしても必要であったことを知りました。
種雄さんが車を返しに来ないので、種雄さんに事情を訊こうと思い、他のお産の携帯電話に電話したものの、呼び出し音が鳴り続くだけで、電話に出ないので、不思議に思っていたそうです。
そこで、直接車を取りに行こうと思い、朝4時に目覚まし時計をセットして眠り、目覚ましが鳴る前の3時に目が覚めたので、そのまま種雄さnの家に向かったそうです。
種雄さんに貸したハイエースは、家の前ではなく、家から20メートルぐらい離れたところに、路上駐車してありました。
家に着いてドアを開けようとすると、深夜にも拘わらず、家のドアには鍵がかかっていません。父親はなんだろうと思いつつ、家の中に入ったかもしれません。
父は種雄さんの家の間取りがわかっていたのでしょう。2階へ上がります。2階に種雄さんの部屋があるのを知っているからです。種雄さんの部屋のドアは開いた状態で、電気はついていません。
窓から外の光が入るなどして、真っ暗ではなかったのでしょう。足元を見ると、種雄さんの頭があるのがわかりました。
父親は息子が寝ていると思い、「こんなところに寝たら風邪ひくぞ」と頭を触ったそうです。すると、頭が冷たく感じます。
なんだろうと思い、部屋の中に足を一歩踏み入れると、柔らないものを踏んだような感触があり、壁にある電気のスイッチを探します。その頃は異変を感じていて、そのときのことはよく記憶していないようです。
部屋の電気がつくと、床は「真っ赤っか」の血の海です。そこに、種雄さんは目を開いた状態で倒れていたのでした。種雄さんの右膝のあたりに、刃と柄の全体で20センチ前後の長さのサバイバルナイフがありました。幅は、太いところで3センチほどです。
父親は、X子が種雄さんと離婚を考え、子供と逃げ回っていたため、そのときも、家の中にX子と子供がいるとは考えていなかったそうです。
種雄さんが亡くなる前に、父親がX子とのことを訊くと、父親には「離婚したよ」といっていたということです。
父は、110番通報をします。通報時刻は、10日午前3時59分です。本通報は、所轄の大塚署に直接通じるわけではなく、警視庁の通信指令本部に通じるそうです。
そののち、通信指令本部が、変死事案として、大塚署の宿直に指令を出し、同報が捜査一課の宿直にも入れる流れになるそうです。
倒れた種雄さんの右膝のあたりにナイフが置いてありました。ナイフは拭き取ったように綺麗でした。刃に血液がわずかについていただけです。そしてなぜか、ナイフの柄には、強い粘着力を持つ両面テープが貼られていました。
私は、倒れた種雄さんの右膝脇あたりにあったナイフが、実際に使われたナイフだと考えていました。そして、警察がいうように、種雄さんの死が自殺であれば、ナイフは刺したままでなければ不自然です。
最初に現場を目撃した種雄さんの父が、110番するために一度その場を離れ、また現場に戻ったときにそう感じたのか、あるいは、警察で、現場から持ってきたというナイフを見せられたときに感じたのかはわかりませんが、はじめに見たナイフとは違うように感じたという話があります。
本事案を独自に関わっておられる元検事で弁護士をされている村上康聡氏(1960~)が解説されているYouTube動画を見ると、種雄さんが亡くなって倒れていた現場に「凶器がない」としています。
であれば、種雄さんの身体のそばにあったナイフは凶器とは見なしていないということになりましょうか。
また、新情報ということで、これまで、村上氏も気がついていなかった情報があることについても触れています。それは、亡くなった種雄さんの手の甲に擦過傷があったことです。
それがもしも、刃物で誰かに襲われたのであれば、その人間と争う過程でできた傷という見方ができそうです。
通報を受けて大塚署の警官が駆けつけます。父親は1階で事情聴取を受けます。警察は、種雄さんが、自殺したと結論づけます。
これから書くことは、司法解剖してわかったのだと思います。
ナイフの刺し傷は、喉仏の下にあり、傷の大きさは、縦約4センチ、幅が約2センチです。傷の方向は、身体を正面から見れば、左斜め下です。傷の深さは約10センチで、右肺の上部に達していたということです。
これが他者によって作られた傷とすると、どんな想像ができるでしょうか。
犯人が正面から襲ったとすれば、犯人は右利きと考えられます。そして、背後からであれば、犯人が左利きであろうことが考えられます。
種雄さんが自殺したとは考えられませんが、念のために、種雄さんは右利きだそうです。
種雄さんの遺体を司法解剖した医師の説明により、死因は「その他および不詳の外因」とされています。実際のところは、「失血および右血胸」と見られるそうです。「右血胸」というのは聞き慣れません。
下で紹介する若狭勝氏(1956~)のYouTube動画によりますと、簡単にいえば、右の肺に血液が溜まり、呼吸ができなくなることのようです。
自殺する人が、そんな刺し方をするでしょうか。刃物を使って自殺を試みる人は、少しでも痛いことを避け、手首を切るか、腿の内側を切るケースが圧倒的に多いと聞きます。
さらに不思議なのは、抜き取ったナイフを綺麗に拭いて血を落とした上で、自分の右膝あたりに置いたことです。自殺したのだとすれば、刺したあとにナイフを抜き、自分で右膝あたりに落ちたことになりますが、まったくあり得ない状況です。
現場に落ちていたナイフが必ずしも種雄さんの身体を刺したナイフとは限らないことはすでに書いたとおりです。
本事件の捜査が再び動きだしたのは、種雄さんの死から12年後の2018年です。
その間に、X子は再婚しています。そして、その再婚相手こそが衆議院議員の木原氏なのでした。2014年10月頃に、木原氏とX子の間に子供が生まれ、その時期にふたりは結婚しています。
木原氏について書かれたウィキペディアの家族欄には、「銀座の元ホステスで元モデルの妻」とあります。木原氏がX子と出会ったのは2008年春頃です。そのとき、X子は銀座の高給クラブでかでホステスをしていました。
翌2009年8月の衆院選で木原氏は落選しました。そして、2012年12月にあった衆院選で二度目の当選を果たし、政界に復帰しています。2013年9月には外務大臣政務官に任命されました。
2018年になり、大塚署に勤務していた女性刑事が、昔の捜査資料を整理する過程で、あるものをロッカーから発見します。それが、種雄さんの変死を扱ったものでした。
運命的な発見といえそうです。
資料の内容を確認した女性刑事は、それが自殺とは信じられません。そこから、本事件の捜査が再び動き出します。この捜査に加わったひとりに、元警視庁捜査一課刑事の佐藤誠氏がいます。
上の動画の中で佐藤氏自身が話されていますが、2004年に捜査一課に移動したあと、2022年に定年で退職するまでの18年間、捜査一課から異動することがなかったそうです。
定年であれば2000年に退職するところ、望まれてなのか、退職を2年先延ばししたそうです。
警察では通常、5年程度で移動になるそうです。だから、佐藤氏自身、18年間も移動なしで捜査一課にいられた自分は希なケースだと話されています。
佐藤氏は、YouTubeにご自身のチャンネルを持ち、動画を配信されています。このチャンネルの運営を始めたのも、本更新で取りあげた事件がきっかけだったように思われます。
私は昨年12月末、偶然、佐藤氏のYouTubeチャンネルを知りました。きっかけは、世田谷一家殺害事件(2000)です。それを佐藤氏が取りあげて動画にしていたからでした。
捜査陣に加わった佐藤氏は、X子が事件当時に付き合っていたYに会い、話を訊いています。そのとき、Yは覚醒剤取締法違反で有罪となり、宮崎刑務所に収監されていました。
Yは佐藤の聞き取りで、2006年4月10日夜、X子がかけてきた電話で話したことを認めます。X子はYに、種雄さんと夫婦げんかになり、ナイフを持ち出して、刺せるものなら刺せといわれ、刺してしまったと話します。そして、「ナイフに指紋がついちゃった。どうしよう」といったいい方もしたそうです。
Yが車で現場に駆けつけます。Yが住んでいた家は、種雄さん宅から車で1時間ほどのところにあったそうです。時刻は10日に日付が替わる頃です。
Yは駆けつける途中でコンビニに寄り、手袋を買っています。また、遺体を見なければならないことなどから、コンビニの前にしばらくいたそうです。それら考慮すると、Yは午後11時前、あるいは10時半頃には車で家を出たのかもしれません。はじめに想像したほど急いで駆けつけたという感じでもないですね。
Yが現場に着くと、X子の背中にも血がついていました。また、天井にも飛び散った血がついていました。YはX子に、服を着替えるよういいます。血のついたX子の服はYが持ち帰ります。
ナイフの柄にはなぜか強力な粘着力がある両面テープが巻き付けてあります。Yはそれを剥がし、家へ持って帰っています。
YはX子に、警察へは夜が明けてから連絡すればいい、警察には「朝起きたら、死んでいた」とだけいえとアドバイスします。
そうこうするうち、日付が替わった10日の午前3時頃、いきなり、玄関から大きな音が聞こえてきます。まさかそんな時間に誰も来ないだろうと思って、玄関に鍵をかけておかなかったからでしょう。
やって来たのは種雄さんの父です。自分が種雄さんに貸した車を取り返しに来たのです。
慌てたYは、X子に2階奥にある寝室へ行き、寝たふりをしろといいます。
Yは、子供部屋へ行き、カーテンのうしろで息を潜めます。YとX子にとっては、恐ろしい時間だったでしょう。
種雄さんの異変に気がついた父は、110番通報します。その通報電話は、種雄さんの家があるあたりの路上で、携帯電話からしたようです。
そのために、父は家から外へ出ています。種雄さんの家の住所がわからないので、どこかに住所が書いてあろうだろうと考え、付近を行ったり来たりしています。最終的には、付近の壁に書かれているのを見つけています。
この隙にYは大急ぎで家から脱出します。玄関に脱ぎっぱなしだった自分の靴を持ち、階段脇にあった小窓から外へ出ます。
110番通報を終えた種雄さんの父が種雄さんの家に戻る途中で、不審な男とすれ違います。男は身長が170センチぐらい。
気になった父は、玄関のところまで来たところで、引き返し、その男のほうに走って行きます。角を右に曲がった男のあとを追おうと思って角を曲がると、男の姿はありませんでした。
父親が遭遇した男がYであるとすれば、絶好のチャンスを逃したことになります。
ただ、父が遭遇した男がYではない可能性も考えられるそうです。というのも、父が見た印象では、背の高かったYよりも身長が低く見えたこと。また、年齢もYよりも上に見えたことです。
その男は、ヘンな歩き方をして、背中の首のあたりから長い棒のようなものが出ていたそうです。それを記憶する父は、今もそれが疑問として残っているようです。
そのあと、警官がふたりやって来るのが見えたので、父は手を挙げて、家の場所を合図します。
そのあと、玄関に入ると、靴脱ぎ場が広く感じます。最初に入ったときは、自分の靴を置く場所がないほどに感じたのにです。消えた靴の一足がYの靴であることは間違いなさそうです。
現場では、父親はX子と子供たちに会っていません。そのあと、大塚署で、子供たちには会います。X子には会っていません。
警察には、呼ばれた種雄さんの母親が来て、母親が、X子の父の姿を見ています。その父は警視庁の警察官で、種雄さんが亡くなった2006年当時は、55歳ぐらいの年齢です。出身は三重県桑名です。X子の父が刑事と笑いながら話しているのを見てショックを受けます。
X子の父親は、警視庁を定年で退職後、三重県に戻ったようです。
止まったままになっていた本事件の捜査が、2018年10月に再び動き出します。
捜査班は、10月9日に、X子に任意同行を求めるため、X子のマンションへ行きます。しかし、その日にX子を任意同行させることはできませんでした。
東京・東村山にあるマンションには木原議員がいました。木原氏は係長と管理官に「今日は勘弁してくれ。あとで連絡する」と告げ、「もう行かなければいけない」といって、迎えに来た車で出かけていきました。
たまたまなのかわかりませんが、その9日に、木原氏は自民党情報調査局長に就任しています。
同日、警察は、X子の実家と南大塚の別宅を家宅捜索をしています。
このあたりのことを私はまだよく飲み込めていません。X子が種雄さんと暮らしたいえば、X子の実家だった家です。X子が結婚するということで、実家をX子夫婦に譲っているらしいです。
両親と兄は、それぞれ別々に、元実家近くのマンションに移ったようです。また、南大塚の別宅というのはわかりません。
再捜査が始まった当時、X子の両親は、名古屋のマンションに住んでいます。もしかしたら、X子の実家というのが、名古屋のマンションを指すのでしょうか。
X子の自宅マンションには捜査で入っていません。
木原は、当時、政調会長をする岸田文雄氏(1957~)に事情を報告し、判断を委ねます。岸田氏は、幹事長をしていた二階俊博氏(1939~)に話を上げます。二階氏からは、「妻とは別れろ」「警察の捜査には素直に応じろ」と助言されます。
本更新の参考にさせてもらった動画によると、木原氏は、X子が任意同行云々の動きがある直前まで、自分の妻が元夫の種雄さんの死のいきさつなどについては知らなかったようです。
だから、もしもそれを結婚前に知っていたら、結婚などするわけがないと話しているそうです。
翌10月10日、X子は警視庁本部2階の取調室にいました。おそらくは、木原氏から、任意聴取に応じるようにいわれたのでしょう。
警察が車で家の近くまで迎えに行ったそうです。
X子をひと目見た佐藤氏は、X子が本事件の「本ボシ(真犯人)」でないことを直感します。X子の細い腕で、Wの肺まで達するような殺害行為は無理であろうことが想像できたからです。
X子は、どんなことを訊かれても、率直に話すことはありませんでした。
その日以来、X子は、警視庁へ任意聴取されるために通います。X子が聴取された最初の日のことでしょう。取り調べの様子をいち早く知りたいと思ったのであろう木原氏は、X子が乗ったタクシーに相乗りし、自宅マンションに戻りました。
実は、タクシーのドライブレコーダーが警察によって回収されています。それには、木原とX子が車内で交わした会話が残っていたのです。
木原がX子の手を何度も握り、「俺がなんとかするから大丈夫」「刑事の話にはのるな」「国会が始まれば捜査は終わる」などと話していました。
X子の取り調べをする佐藤氏は、黙秘を続けるX子に一枚の写真を突きつけます。その写真は、X子が種雄さんと暮らした家から約5キロ離れた東京・本郷にある居酒屋で撮られたものです。
写真に写るX子は、カメラに向かって笑顔でピースをしています。彼女の脇には、暗い顔をしたYの姿があります。この写真は、事件が発覚した2006年4月10日夜に撮られたものでした。
種雄さんが死んだ翌日の夜、X子は居酒屋で酒を飲み、笑顔でピースをしていたのです。
X子への任意聴取には期限がつけられました。10月9日から24日までの2週間だけです。
木原が刑事に、「国会が始まる前に取り調べを終わらせろ」と指図していたらしいことがわかります。理由は、「国会が始まってもそれが続いたら、子供の面倒をみる人がいなくなるから」でした。
佐藤氏の頭には、「本ボシ」が誰かわかっています。Zがそれです。Zの正体は書かずにおきます。本ページにリンクを貼ったYouTube動画の最後のほうでZが誰であるかが匂わされています。
今回は、前回の更新の中で触れた事件についてほとんど知らなかったので、ネットで情報をあたり、自分なりに事件のあらましを確認しました。
まだハッキリしないことがわかったり、私の勘違いであることがわかったら、本更新を補足、訂正することにします。
