撮影監督になったつもりで撮る写真

先月はじめからの一カ月ほどは、自分が使う自作PCを何年ぶりかわからないほど久しぶりに「更新」したことで、関心がPCや周辺に向かいました。

それが落ち着き、ここ数日は、PC周りに関心が向かっている間疎かになっていた写真へ関心が向かっているのを感じます。

私は昔から写真を趣味としてきました。長い年月写真を撮りました。その間、私が撮る写真に変化はほとんどありません。写真を撮り始めた頃と今とで、被写体はほとんど変わりません。

私は写真を撮るためにどこかへわざわざ出かけることがほとんどありません。撮影場所は自宅の建物内と自宅の庭です。だから、被写体は変わりようがありません。

また、考えて撮ることがないため、撮った写真に特別なものは写りません。それでいいと考えてきました。

何かにインスピレーションを受け、変えてみようと考えることがあります。今朝、YouTubeで次の動画を何気なく見ました。

映画のような写真を撮る方法

本動画の配信者が自分のことも話していますが、彼は風景を主として撮影していたようです。そして、その頃は、人物写真を避けていたそうです。

それが何かのきっかけで、映画のワンカットのような写真に興味を持ちます。以来、写真の中に人物を写し込むことも増えていったようです。

風景の中に人物が小さく入ることで、何かの意味を付け加えることができるように感じたかららしいです。

といっても、彼が撮る写真に写る人物は、主題とはなりません。そこに偶然居合わせ、風景の中に溶け込むように、点描として写っています。

人物をひとつのフレームにもっと大きく扱うときも、表情を正面から撮り、人物の内面をわからせるような撮り方はしないようです。

映画のひとコマのような写真が彼の狙うところです。なんとなくイメージできる気がしますが、映画といっても、古今東西に作られた映画は、実に多彩です。

本動画の彼は、ミステリアスなムードを持つ映画が好みなのでしょう。だから、彼のいう映画のワンカットのような写真は、ミステリアスなムードを持たざるを得なくなります。

写真に写る人物は、誰かに頼んでモデルをしてもらうわけではありません。カメラを持って街や自然の中を歩き、たまたま目撃した場面を切り取るだけです。

たとえば、海辺へ行き、浜辺にひとりの人が佇む場面に出くわしたとします。彼はすかさずシャッターを切るでしょう。その中の何枚から一枚を選ぶとき、たまたま写ったシルエットになった人物が、具体的な動作をしているものは省きます。

写真を見た人が、それを見ることで、イメージをふくらませることができないからです。

彼が、自分の撮る写真について話す動画を見て、私も、彼のように、映画のワンカットのような写真を撮ってみたくなりました。

といっても、冒頭に書いたように、私の撮影場所は自宅の庭です。早朝に庭に出て、写真を撮りました。珍しいモノが撮れるわけではありません。

しかし、映画に出てきたワンカットに見えるよう、工夫して撮ってみました。これはこれで楽しめます。この楽しみ方を、いつまで飽きずに続けられるかわかりません。

それでも、当たり前のものを当たり前に撮るだけでなく、イメージをふくらませて撮ることで、自分が撮る写真を少しは変えてくれるのではと考えています。

サスペンス映画の巨匠、ヒッチコック18991980)は、何も考えずにカメラをまわさせることは一度としてしていません。

Alfred Hitchcock’s Rules of Visual Storytelling

彼の頭の中には完成した映像があり、それをフィルムに定借するため、俳優の演技にも非常に細かく指示を出しています。

ヒッチコックは撮影にも最新の注意を払い、無駄なカットはひとつも加えません。

そんなヒッチコックになったつもりでカメラを構え、何気ない被写体を撮ったら、どんな写真になるでしょう。

同じ発想は、油絵具で描く絵画の表現にも応用できるかもしれません。

それを自分の物にできるかどうかは別にして、試みとしてはおもしろいと感じました。