前々回の本コーナーで、私は新年になり、Amazonが提供するデバイスやサービスを集中的に利用している実態を書きました。
この傾向はまだ継続中です。
昨日はまた、Amazonが有料会員向けに提供するPrime Videoで古い映画を一本見ました。今回見たのは、『疑惑の影』(1943)という82年前の米国映画です。
本作を監督したのはアルフレッド・ヒッチコック(1899~1980)です。ヒッチコックが英国から米国にわたり、米国で撮った6本目の作品になります。
私はヒッチコックの作品は好きでよく見ていますが、本作は存在すら知らず、初めて見ました。
AmazonのPrime Videoには、本作が2種類用意されています。
私ははじめ、自分でそれを選んだわけではなく、再生が始まって「吹替版」であることに気がつきました。本作を見るならそれしかないのかと思ったからです。
外国映画には吹替版と字幕版があります。どちらを好むかはその人次第です。
このコーナーで、「外国語の映画を見るなら、吹替版? 字幕版?」でアンケートを採ってみたらどんな結果になるでしょう。こんなアンケートは過去にもう採られているでしょうか?
私は断然字幕版が好みです。理由はふたつあります。
ひとつは、原版で作られた音声を楽しめることです。出演している俳優の声も作品の重要な一部です。
もうひとつは、吹替版だと、台詞がうまく聴き取れないことがあることです。それが重要な台詞である場合は、作品の理解を妨げかねません。
半分ぐらいまで見たところで、上に書いたふたつの理由で、字幕版がないか確認しました。すると字幕版も用意されていたことがわかり、続きは字幕版で見ました。
前々回の本コーナーで取り上げた『未亡人の殺人計画』(1953)は、ジョゼフ・コットン(1905~1994)が演じる男が、義姉に疑いを持つ内容でした。
偶然のことに、今回の作品にもジョゼフ・コットンが主演をしています。そして今回、コットンが演じるチャールズという男は、打って変わって、疑いを持たれる役回りです。
コットンが独特なのは、どんな役を演じても、彼独特のダンディさがまったく損なわれないことです。
オープニングは米国のニューヨークです。アパートで独り暮らしをするチャールズは、常に追手の存在を意識しています。今も、高層の窓から下を見ると、ふたり連れが誰かを待ち構えているのがわかります。
チャールズは追手の手をかいくぐり、姉夫婦の家へ電報を打ちます。これから姉夫婦の家へ行くと。
姉夫婦の家族は、ニューヨークとは反対側のカリフォルニア州サンタローザに住んでいます。80年ほど前のカリフォルニアは、ニューヨークに比べてのどかです。
姉家族の長女にチャーリーがいます。まだ十代で、高校へ通っています。父は銀行員、母は専業主婦で、平凡な家庭です。
チャーリーは思春期の女の子で、家族と自分が置かれた環境に満足していません。チャーリーを演じたのはテレサ・ライト(1918~2005)です。
そこへ、チャールズから電報を届き、間もなく自分たちの家族のところへ来ると知り、途端に、見えるものが輝いて見えるようになります。チャーリーにとり、チャールズ叔父さんは憧れの存在で、その叔父が間もなく自分の家にやって来ることを知ったからです。
チャーリーの幸福感は長続きしませんでした。
チャーリーの家が米国の模範的な家庭だとして、政府の調査員だとする男性がふたり訪ねてきます。家族に話を訊き、家族の写真も撮らせて欲しいといわれます。
そのうち、男性ふたりが実は、3人の女性を殺害した事件の犯人を追う刑事であることがわかります。それを知ったのは、家族の中でチャーリーひとりでした。
警察が容疑者として追っている男はふたりいて、どちらかが真犯人で、もうひとりは無関係だということです。ふたりの顔写真を警察は持っておらず、目撃者に容疑者の顔写真を見せれば、容疑者を特定できるということもわかります。
コットンが演じた『未亡人の殺人計画』でも、コットンが演じた男は、義姉を疑いつつ、自分の疑いが正当なものであるか悩みます。
本作のチャーリーは、自分の憧れだったチャールズ叔父さんが、警察から追われている容疑者であろうことを理解します。しかし、警察としても、彼が事件とはまったく無関係である可能性を半分持っています。
ヒッチコックはあらゆる撮影方法を模索しました。本作で印象的だったのは、カメラに向かって歩いて来る人物の撮影です。
チャーリーは、自分でこうだと考えたことは、すぐに実行しなければならない性格です。そのチャーリーの気持ちの強さが、ずんずんと前へ歩く彼女を真正面から捉えた映像からも感じられます。
彼女を捉え続けるカメラは、彼女の進行に合わせ、うしろへうしろへと下がっていきます。
本作は、最後の最後に急展開して終わります。どのような結末であるかは、本作をご覧になって確認してください。
本更新で書いたように、私は本作の前半を吹替版、後半を字幕版で見たことは書きました。
すべての筋書きがわかった今は、途中まで見た吹替版を途中から再生し、字幕なしで、映像そのものを楽しんで見ようと考えています。
