47年前の鹿と人間の営みが今によみがえる映像

私は昔から、テレビのドキュメンタリー番組を見るのが好きです。昔に見たそんな番組のひとつにNHKで放送された「新日本紀行」19631982)があります。

若き日の冨田勲1932~ 2016)が作曲したこの番組のテーマ曲は、ある年代以上の人の琴線を刺激するでしょう。

名曲探訪 ・「新日本紀行」 富田勲 / Isao Tomita

この「新日本紀行」はフィルムで撮影されています。そのため、フィルムにゴミや傷がつくなどすることがあります。また、年を経ることで、色の鮮やかさが減退することもある(?)でしょうか。

番組のために撮影されたフィルムをデジタル技術で修復し、毎週土曜日の午前5時27分から6時5分まで、「よみがえる新日本紀行」としてNHK BSプレミアムで放送されていることはご存知でしょうか。

字幕版でも愉しむコロンボ

多くのデジタル機器は多機能にできています。しかし、それを縦横に使いこなしている人は多くない(?)のではないでしょうか。

私は製品の説明書を読むのが億劫でないこともあり、それなりに、機能は使っているつもりです。が、そうはいっても、使うのは一部に限られそうです。

私がテレビ番組を見るのに使う今のレコーダーは2年ほど前に手に入れたものです。

私はオンタイム(「番組が放送されている時間」ぐらいの意味に使っています)でテレビ番組を見ることはありません。それは、家庭用のビデオデッキを使い出した1980年代以降の習慣です。見たい番組があれば録画し、あとで好きな時間に、録画した番組を見ることをしています。

私が見るテレビ番組は限られます。

2009/01/25 『痴人の愛』鑑賞記

お寒うございますm(_ _)m 昨日も全国的にお寒うございました。そんなお寒うございます中(←いい加減しつこい(^m^))、私は欲張ってふたつの用事を済ませてまいりました。ということで、本日はそのことについて書きます。

私がまず向かったのは、東京・六本木にあります国立新美術館です。この美術館へ行くのは何度目になりますか。方向音痴を自認します私ではありますが、さすがに迷わずに辿り着けるようになりました。

昨日のお目当ては「未来を担う美術家たち DOMANI・明日展2008 文化庁芸術家在外研修の成果」という実に長い名前の展覧会です。それを、通常は大人【1000円】のところ、私は【1円】も払わずに鑑賞してきました。昨年末、アンドリュー・ワイエス19172009)の展覧会を鑑賞した時と同じで、チケットのプレゼントに当選したからです。

同展の招待券

もしかしたら、その当選したチケットは昨年中に届いていたのだったかもしれませんが、まだ余裕があると先延ばししているうち、会期の終了が迫ってしまい(1月26日まで)、昨日、慌てて足を運びました。

チケットは今回も2枚セットで当選し、私が1枚使うだけでもう1枚は使う予定がありません。そこでまた、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」宛てに送り、どなたかに使用してもらおうとも思いましたが、あまりにも押しつけがましいかな? と今回はやめました。メジャーな展覧会ではありませんでしたしね。

アリアンヌの背伸びした恋

レコーダーに録画したものの見ていなかった米国の古い映画を本コーナーで紹介することをしてきました。まだ残っている作品はいくつかありますが、今回は、すでに何度か見ている古い作品を取り上げます。

こちらも、オードリー・ヘプバーン19291993)が主演した『昼下がりの情事』1957)です。

原題は”Love in the Afternoon“で、Ariane, jeune fille russeという小説を原作としています。

原作の題名を訳すと『アリアン、ロシアの少女』となり、ドン・ファンと恋に落ちるのはロシアの少女になるようです。本作でも、私が好きなビリー・ワイルダー19062002)が監督をしています。

邦題は『昼下がりの情事』としていますが、日本で公開されたのは、米国と同じ1957年です。今だったら、”love”を「情事」とするでしょうかね。

内容を知らない人が題名だけ見たら、どんなイメージを持つでしょう。暇を持て余した有閑(ゆうかん)マダムをヘプバーンが演じている、と思ってしまう(?)かもしれません。

安倍狙撃犯は別にいる_わけがない

早いもので、安倍晋三元首相(19542022)が射殺されて40日以上が経ちました。しかし、事が事だけに、事件そのものが未だに取りざたされています。

その中で奇妙なのは、安倍氏を撃った人間が、逮捕された容疑者以外にもいて、容疑者は、真の狙撃者に利用されただけではないのか、と真面目に考える(?)人がいることです。

私にも断言することはできませんが、ほぼ間違いなく、今回の狙撃犯は、容疑者以外にはいないと考えます。

その容疑者が、統一教会にやむにやまれない強烈な恨みを持つことと、統一教会と自民党清和会が強く結びついていることが明らかになったことが原因して、容疑者以外の狙撃犯がいると信じたい人々がおり、その人たちを中心に、容疑者以外の狙撃犯を吹聴する発言が、ネットの動画共有サイトのYouTubeや、SNSが見られるようです。

ヘプバーンの別の顔

このところ本コーナーでおなじみの、レコーダーに録画した古い米国映画を見る行為ですが、前回に引き続き、オードリー・ヘプバーン19291993)が主演した作品を見ました。

ただ、今回の作品は、世間でイメージされる彼女の作品とは毛色が変わっていました。ヘプバーンが盲人を演じた『暗くなるまで待って』です。

Wait Until Dark (1967) Official Trailer – Audrey Hepburn, Alan Arkin Movie HD

米国で公開されたのは、1967年10月末。日本は翌年の1968年5月1日。当時、すでに大型連休というのがあるのであれば、それに合わせての公開になります。

時代背景としては、日本では、2年後に大阪万博が控えていた年になります。

ヘプバーンのサブリナ

レコーダーに録画したものの、なかなか見られなかった米国の古い映画を見ることを続けています。

このところは、チャールズ・チャップリン18891977)の作品をまとめて6作品見て、本コーナーで取り上げました。これで、レコーダーに録画してあったチャップリンの作品はすべて見ました。

それでも、レコーダーに残っている作品はまだあります。

今回は、オードリー・ヘプバーン19291993)の作品を見ました。

彼女は、『ローマの休日』1953)に出演したことで、一躍人気となりましたが、今回見たのは、その翌年の主演作品『麗しのサブリナ』1954)で、本作の彼女が、最も美しく撮れているのでは、との評価もあると聞きます。

Sabrina documentary (part 1)

監督したのは、私が好きな監督のビリー・ワイルダー19062002)です。ですから、作品としてはまったく問題がありません。

作品としては問題がないのですが、見始めて、あまりにも話が調子よく、演じるヘプバーンも、ちょっと調子に乗りすぎているのでは、と感じないでもありませんでした。

チャップリンからの贈りもの

このところは、レコーダーに録画したままになっていた、米国の古い映画を見ていますが、チャールズ・チャップリン18891977)の作品が続いています。

今回紹介する作品で、私のレコーダーに残っているチャップリンの作品はなくなります。1952年10月16日に、米国より7日早く、チャップリンの祖国、英国で公開された『ライムライト』です。

日本で本作が公開されたのは、翌年の1953年です。

Charlie Chaplin – Limelight (Trailer)

チャップリンは本作のワールド・プレミアを開催する英国行きを決めますが、一度米国を出国すれば再入国できないことを悟り、事実、その後、米国には戻れないままこの世を去っています。

その頃に制作されたことを知ると、感慨深いものがあります。

英雄になれなかった殺人鬼の話

レコーダーに録画したままになっていた米国の古い映画を順に見ています。

本コーナーでは、喜劇王、チャールズ・チャップリン18891977)の長編4作品を取り上げました。

今回もチャップリンの長編作品ですが、いわゆるチャップリン的な作品とは趣を異にする作品です。

作品名は『殺人狂時代』で、米国では1947年に公開されています。日本の年号でいえば昭和22年で、先の対戦で日本が敗戦して2年目の年です。そうしたこともあり、本作が日本で公開されたのは1952年です。

舞台をフランスに設定しているため、原題は”Monsieur Verdoux”というフランス語で、日本語に訳すと「ヴェルドゥ氏」となり、チャップリンがアンリ・ヴェルドゥという中年男を演じています。

性暴力被害は映画業界だけじゃない

人間は、考えている以上に残酷な生き物です。人が集まるところでは、いじめは起きる、と考えておけば間違いないです。

昨日の朝日新聞に「『NO暴力』映画界を変える出発点」の見出しがついた記事が載りました。

これまで口をつぐんできた出演者たちが、自分たちが受けた性的被害を声に出して訴えることが増えています。これらの告発から4カ月以上経って、ようやく、日本映画監督協会が、「いかなる暴力も許さない環境作りを目指す」という声明を出し、今年の6月に同協会の理事に就任した元木克英氏(1963~)にインタビューし、それを伝えています。

「映画界を変える出発点」とありますが、人が集まるのはそこら中に無数にあり、冒頭で書いたように、人が集まれば必ず、いじめのようなことが起きるわけですから、それを変える意気込みであれば、世の中のそれらすべてを変えるぐらいの覚悟を持つ必要があります。