高齢者なら化学兵器の犠牲になっても仕方ないのか?

新コロ茶番騒動について、当初の頃から強い疑念を持つ専門家がいます。それらの人は、ネットの動画共有サイトやSNSを使い、ネットに接することが出来る人に、真実を伝えることをしてくれています。

そんなひとりに、北海道で医師をされている男性医師がいます。多くの人に彼は「鹿先生」といわれ、信頼されています。

鹿先生はYouTubeで動画を配信されていましたが、YouTubeの検閲が厳しくなったことで、今はニコニコ動画で動画を配信されています。

その鹿先生が9月15日、ニコニコ動画で配信されたのが下に埋め込んだ動画です。

彼の真意を正確に伝えているかは不明ですが、動画につけたタイトルは、それを見る人に良い印象を与えません。

だましは高齢者だけにしろ厚労省

医療神話が消えた時代

体の具合が悪いと感じたとき、人は医療機関を訪問します。医療機関は患者の健康を考え、適切な処置をしてくれると信頼されているからです。

しかし今は、「信頼されていた」と過去形で語らなければならない状況になったといえましょう。

こんなことを書きますと、またすぐに、陰謀論者扱いを受けてしまうかもしれません。しかし、それを危惧するような状況が現実にあることを感じる以上、どのように思われても、口に出さずにはいられません。

この状況は、新コロ茶番騒動が始まったことで、明らかになりました。

新コロ騒動の私の考え方は本コーナーで繰り返し述べています。

問題とされている新コロウイルスは未だに存在が証明されていません。ウイルスがないのに、感染者や患者が世界中で多く発生したことになっていますが、基のウイルスがないのであれば、そのウイルスに感染することはなく、感染者や患者が発生することは起こりません。

であるのに、発生したことにされています。そのために利用されているのがPCR検査です。

新コロウイルスには感染したくても感染できない

日本で新コロ茶番騒動が始まって2年と9カ月ぐらいが経ちました。

騒動の実態はともかく、本騒動が始まったことで、人々は自分の免疫システムに関心を向けるようになりました。

人は、生まれてから死ぬまで、自分の中で免疫システムが休むことなく働いてくれていることで、健康を保っていられるようにできています。

それは子供の頃から働き続けるシステムですが、日常の忙しさの中で生活する私たちは、生命を維持してくれるシステムが日夜動き続けていることを忘れがちです。

私も忘れて生きていました。

否応なく意識させられたのは、今月に入り、体調が思わしくなくなったことによってです。それについては、前回の本コーナーで書きました。

体調不良

私が、電車で通勤する会社員であったら、今は休みをもらって家にいるしかありません。私は会社員ではありませんので、家で過ごしていますけれど。

なぜ電車に乗れないかといえば、いつ、咳が出始めるかわからないからです。咳がいったん出始めると、10回かそれ以上の咳が出ます。

それも、軽い咳ではなく、上咽頭(← 最近覚えたので使ってみただけです)かどこかに付着した異物か何かを咳で吐き出し終わるまでというように、ゲホ、ゲホと咳が続きます。

自分が電車に乗っていて、そんな咳をしたら、隣や近くに座った人からは嫌がられるでしょう。新コロ茶番騒動の今は皆が神経過敏になっていますから、自分の周りから人がいなくなってしまうかもしれません。

インフルワクチンにも疑いの目

新コロ茶番騒動が始まったことで、専門機関や専門家がいうことや、マスメディアが伝えることを鵜呑みしてはいけないことを学びました。

昨日の朝日新聞は、「インフルワクチン 最多へ」という記事を載せています。今の茶番騒動を経験していなければ、今冬の流行が予想され、それに備えているのだな、と受け止めてしまったでしょう。

しかし今は、そのワクチンの中身を調べた上での対応なのか、と強い疑問を持ちます。

新コロ茶番騒動のために作られたことにされているワクチン(以下、「似非ワクチン」)を無暗に信じる人ばかりでなくなっています。

より強く疑う人は、似非ワクチンの中身を疑い、危険なものとして、接種をやめています。

mRNAが入っていないmRNA似非ワクチンは化学兵器

日本は依然として新コロ茶番騒動のさなかにあります。

本騒動について私がどのように考えているかは、本コーナーで繰り返し書いているとおりです。

日本の国民の8割程度の人は、新コロウイルスという恐ろしいウイルスがあり、それに感染して重症化すれば、自分や家族、友人、知人の命が奪われる、と濃淡の差を持ちつつ、考えているでしょう。

この前提が間違っていると私は考え、本サイトで書いてきました。

本騒動が始まって2年半以上経ちましたが、未だに、問題のウイルスを単離し、世界に示した人はひとりもいません。

もっとも、なじみの深いインフルエンザウイルスにしても、同じように、それを示せた例はないと知りました。

子供の頃はわかりませんが、自分で判断できるようになってからは、インフルエンザワクチンを接種したことは一度もありません。

ないものをあるとすることで、世界中の人々を恐ろしがらせ、それに対抗するには、それのために作ったワクチンを打つしかない、と信じ込ませているのが現状です。

スポーツ選手に心不全死は不似合い

高校野球の全国大会が甲子園球場で続いています。

大会を主催する朝日新聞は連日、行われた試合の経過だけでなく、周辺を取材し、感動を誘うような記事を連発しています。

毎年おなじみの光景ですが、本日の朝日新聞に「急逝した友よ『力を』」と題された記事が載っており、関心を持って読みました。読み終わったあとは、朝日が狙う「感動」とは別に、「疑念」のようなものを持ちました。

正確さを期するため、高校名は敢えてそのまま書くことにします。

昨日行われた試合で、愛知代表の愛工大名電高校(以下「名電高」)が、青森代表の八戸学院光星高校に、延長戦の末、6対5で勝利しています。

死んだことで起きた事故でも事故死?

今週月曜日(25日)午前、東京湾アクアラインゴミ収集車が道路を塞ぐ形で横転し、上り車線の一部が一時通行止めされる事故が起きました。

直後の報道では、収集車を運転していた人の性別を男性とするものがあり、怪我の程度についても分かれていました。続報で、運転していたのが千葉県内に住む56歳の女性で、亡くなったことがわかりました。

車が事故を起こして運転していた人が亡くなれば、事故で亡くなったと考えるよりほかりません。しかし、今回の事故にそれが当てはまるかどうかはわかりません。

YouTubeの動画削除しました

一年の間には記念日が何度かあったりします。個人にとっては、誕生日や、既婚者であれば、結婚記念日が最たる記念日といえましょう。

昨日、7月25日は私にとっては誕生日でした。といいましても、私の誕生日ではありません。

本日の豆訂正
YouTubeの自分のチャンネルを作った日付を7月25日と書いていますが、これは間違いです。2008年7月21日でした。

ネットの動画投稿サイトのYouTubeに自分のチャンネルを作ったのが2008年7月21日で、私にとっては、自分のYouTubeチャンネルの誕生日なのでした。

YouTube Studio チャンネルのダッシュボード(2022.7.25)

チャンネルの誕生日の表示は毎年あったのかもしれませんが、気がついたのは今年が初めてです。結果的に、皮肉な話となりました。

安倍氏が人の子なら、あなたも私も同じ人の子

昨日の午前11時半頃、奈良市内で自民党の候補の応援演説をしていた安倍晋三元首相(1954~2022)が銃撃を受け、当日午後5時頃に死亡する衝撃的な出来事がありました。

参議院選挙の最中だったこともあり、各党の代表は、「民主主義を暴力で否定する蛮行で、決して許すことはできない」とこぶしを振り上げる”ポーズ”をこれ見よがしに見せています。

普段はテレビニュースを見ることがない私ですが、昨日は、少々付き合いました。それを見ていて感じたのは虚しさです。

安倍氏が命を亡くされたのは哀しいことです。しかし、安倍氏でなくても、命を亡くした本人は、亡くなってしまったのですから、自分の死を哀しく感じることはありませんが、残された家族らは、同じような悲しみに襲われます。

一般の市民が亡くなって、民主主義がどうのといわれることはありません。人の死と民主主義は結びつきません。