夏季五輪の年の個人的因縁

1992年2000年。それから2004年。これらの年は、私個人に関することで、ある共通点があります。

まず、誰にでも共通するのは、これら3つの年には、夏季五輪が開かれました。1992年はバルセロナ五輪。2000年はシドニー五輪。そして、2004年はアテネ五輪です。

ここから先は私個人に限った話になります。1992年には母が、2000年には父とたったひとりの姉弟だった姉が亡くなっています。そして、2004年ひとり残された私が、あと一歩で死ぬところでした。

2004年のアテネ五輪が終わって少し経ったその年の8月下旬、私は自転車で急坂を降りる途中、おそらくは転倒し、頭部を道路に強く打ち付けたためでしょう、意識を失い、救急搬送されました。

二人称と鼻毛の女

世に小説は数限りなくあります。その中で、一人称でなく、三人称でもない小説は少数派ではなかろうかと思います。残るのは二人称で書かれた小説だからです。

「僕」や「私」でなく、「彼」や「彼女」、あるいは誰かの名前でもなく、「あなた」と書かれた人の眼で見る話が綴られることになります。つまり、読んでいる当人の眼で見る話になります。

読んだばかりの阿刀田高1935~)の短編集『消えた男』(1995)に二人称で書かれた作品があります。『自殺ホテル』というのがそれです。

書き出しは一人称で、「私」が旅先のベッドで目が覚めたところから始まります。誰でもそうですが、夢を見ているときは、それが夢だと知らずに見ています。目覚めてから、それが夢だったことに気がつきます。