2012/06/15 放射能が怖くて逃げた小沢一郎が妻から三行半

昨日発売になった週刊誌『週刊文春』の最新号(6月21日号)の目玉記事は、何といっても、民主党の元代表・小沢一郎氏が妻(←元妻?)から三行半(離縁状)を突きつけられたことを報じる記事でしょう。

芸能界でも、表向きはとても仲の良いおしどり夫婦のように見られながら、実際は、家の中ではお互い口もきかない関係であったりするのは珍しい話ではありません。事ほど左様に、夫婦間のことは赤の他人にはわかりません。

小沢氏夫婦は、これまで世間からどのように受け止められていたのか私は知りませんが、妻の方からの三行半に私は驚き、早速目当ての週刊誌を買い求めて、和子夫人がお書きになったという11枚の便せんにしたためられた小沢一郎という夫への恨み辛みに目を通しました。

読み終わっての素直な感想は、文章がお上手ということです。文章を書き慣れない人が、いきなり、「便せん11枚に今の自分の心境を過不足なく書いてごらん」といわれても、困るでしょう。ということは、日頃から文章を書き慣れていた、のでしょうか。便せん数枚が写真で紹介されていますが、文字も整っています。

2015/08/08 レセップスに見る あっぱれな人生

いつの時代も、信じられないくらい精力的な人がいます。日経新聞の一面コラム「春秋」の昨日分を読み、改めてそれを実感しました。

私は不勉強なもので、コラムで取り上げられた人物を知りませんでした。その人はフランス人で、若い頃は外交官をしていました。1849年にその職を辞したあと、人生の歯車が逆回転を始めます。夫婦仲が良かったどうかは知りませんが、1854年に妻と息子を続けて失います。仕事から退き、愛妻と愛息を亡くすという悲劇に襲われます。

その人は49歳になっていました。普通程度の精神力しか持たない人であれば、「自分の人生もここまでか」と諦めに近い感情を抱き、人生の先の展望には明るいものを見出しにくくなるでしょう。しかし、その人はまるで違いました。むしろ、ここからその人の人生が始まっています。

その人は、スエズ運河の建設に乗り出します。その人とは、フェルディナン・ド・レセップスです。ネットの事典「ウィキペディア」で彼について記述されたページに添えられた彼の肖像画を見ますと、自分の夢を実現するためなら、どんな困難にも立ち向かうといった強い意志が感じ取れます。