断魚荘に十六島 清張の『数の風景』

松本清張の自宅の書庫は、夥しい蔵書で埋まっていたそうです。しかも、それらは常に新陳代謝を起こし、書き終えた作品のために使用した資料の本は処分される一方、次に書く作品のための資料が加わったと聞きます。

多方面に関心が向き、ひとたびある方面に関心が向かうと集中してその分野の本を資料として集め、確かめることをしていたのでしょう。

清張はサービス精神が旺盛だったのか、自分が得た知識を自分だけで楽しむことをせず、自作で読者に提供するのを好んだように感じます。

時にはそれが過剰となり、あらすじの展開に必要でないと思われるほど、さまざまな事柄を活字にします。

私は今回も、Amazonの電子書籍サービスのKindle Unlimitedを利用し、追加料金なしで清張の作品に接しました。

私が選んだのは、『数の風景』という長編です。

本作は、1986年3月7日号から1987年3月27日号まで約1年間『週刊朝日』に連載されています。

清張が82歳で亡くなったのが1992年8月4日ですから、本作の連載はその6年から5年前になります。連載を終えた年に清張は77歳ですから、人生の第四コーナーを回るあたりといえましょう

ついでながら、清張が亡くなった年の11月、私の母も亡くなりました。ですので、今年で28年です。病院から遺体が自宅に戻った夜、当地は土砂降りの雨でした。

本作の話に戻りますが、読み始めてすぐの頃は、読みにくく、最後まで読めずに途中で放棄することも頭をよぎりました。なぜなら、聞き馴染のない地名や固有名詞が数多く登場するからです。ざっと次のようなものが登場します。

  • 鰐淵寺
  • 一畑寺
  • 十六島湾
  • 三津
  • 地合
  • 石見大森銀山旧間歩見取り図
  • 紺屋間歩
  • 岩屋堂間歩
  • 福神山間歩
  • 竜源寺間歩
  • 三瓶山
  • 江川(江の川)
  • 断魚荘
  • 祖式川
  • 輝銀鉱
  • 角礫塊
  • 仙ノ山
  • 銀山川

これらに目を通して、本作の舞台がどのあたりかわかる人もいるでしょう。山陰地方石見(いわみ)銀山周辺で話が展開されます。

十六島湾は日本海に面した実際にある湾の名ですが、生まれも育ちも関東で、地理に関心のない人は、十六島を「うっぷるい」と正確に読める人は少ないでしょうか。本作で清張は次のように書いています。

ウップルイは、古代朝鮮語の「 巨きな岩」の意からきていて、経島のことを指すのだと民族学者の金関丈夫さんの「十六島名称考」で読んだことがある。
松本 清張. 数の風景 (角川文庫) (Kindle の位置No.71-73). 角川書店. Kindle 版.

この部分の記述にしても、民俗学者が著した本を手に入れ、それを読んだのちに書いているのでしょう。島根県は朝鮮半島の対岸に位置し、古代から交流があったことを窺わせます。

また、〇〇間歩(まぶ)がいくつか並んでいますが、これは「坑道」の意味だそうです。私は本作を読むまではあまり目にした記憶がありません。

ともかくも、こんな単語が並び、読みづらいなぁと思いつつページを繰りました。ようやく面白く感じ始めたのは、主人公だと途中まで思っていた板垣貞夫が宿をとった山陰の雪に埋もれた一軒宿の「断魚(だんぎょ)荘」で出会った謎の男の素性がわかったあたりからです。

雪に埋もれた季節から始まり、宿には板垣のほか、画家と信じられていたおそらくは同年配の男が、板垣より前から逗留していたのでした。

男は矢部の名で、部屋に籠りきりで、中で何をしているのか窺われません。

その宿に、思いがけない客が現れます。ここへ来る途中、板垣が十六島湾で偶然見かけた女性です。歳は30ぐらいで、どんな職業かはわかりません。

見かけたときは、寒風吹きすさぶ中、タクシーから降り、十六島湾に停泊する漁船のマストを飽かず眺めている様子でした。遠くからそれを見た板垣は、風景を見ながら句を詠む女流俳人であろうか、ぐらいに想像したものです。

のちに、この女性が宿帳に「梅木きく」と記したことを知ります。

その後、板垣は矢部に誘われ、彼が泊まっている部屋で一度、夜遅くまで語り明かします。矢部が梅木きくの名を知ったことを知り、俳人らしく「梅木きく女」と呼ぼうじゃないかと提案します。以来、ふたりにとって彼女は梅木きく女になります。

彼女は変わっています。廊下ですれ違っても、男たちの存在を全く意識せず、まっすぐ前を向いて歩を正確に刻むのでした。

その姿を見た矢部は、彼女は「計算狂」に違いないと持論を述べます。これはおそらくは強迫性障害のようなもので、目に映るものが数えられるものであれば、それを数えずにはいられなくなる習性であろうというのです。

そんな彼女だから、歩くときも、自分の歩数を正確に数えているに違いない、と。

板垣はそれを聞きながら、納得するのでした。

話が進んでも、事件らしい事件は起こりません。そう思っているうちに、頭の中で推理を巡らす主人公が板垣から矢部に替わってしまいます。しかも、矢部というのは偽名で、本名が谷原泰夫というのですからややこしいです。

大学に入るために地方から東京に出た谷原は、卒業後に自分で事業を起こし、失敗してはまた次の事業に挑戦することを繰り返したようです。

不動産業をしたかと思うと、今度は出版業をするといった具合にです。出版業で2憶円の借金を作り、自殺する場所を見つけて地方を放浪している身なのでした。

清張の作品をいくつも読んでいますと、それが長編の場合は、大枠はできているのでしょうが、細部はそのときどきに思いついたことを書いたように感じないでもありません。

普通は、主人公ははじめに決め、最後まで主人公は替わらないでしょう。ところが、すでに書いたように、板垣が主人公だと思っていたらそれが谷原に替わります。

谷原が姿を消してからは、谷原の出版社で右腕となって働いた夏井武二が、谷原に替わって推理を働かせるといった具合です。清張作品の中でも、このように推理をする人間が替わるのは珍しい気がします。

また、本作の題が『数の風景』ですから、数えることに異常に興味を持つ梅木きく女が、持ち前の能力を働かせるのかと思いきや、それほどでもありません。途中では、その存在も忘れている(?)ようです。

本作を原作とするテレビドラマが1991年に作られたことを知りましたが、キャストを見ますと、島田陽子の名がトップにあります。ということは、島田が梅木を演じたでしょうから、彼女を主人公にして描いたのでしょうか。

板垣に石見銀山跡の坑道を踏査してもらうことを依頼した守屋豊一郎にしても、途中から存在感が薄れてしまいます。なにより、板垣までが、谷原に主役の座を譲ってからは、途中までは影が薄くなります。

谷原が前面に出てからは、かつての部下で東京で仕事をする夏井と電話で連絡を取り合い、中国電力に圧力をかける仕事をします。

その描写のため、清張は土地に関わる法律の資料も集めたりしたでしょうか。

計算狂だと谷原らが考える梅木きく女の話から、清張はクラシック音楽の作曲家にも同じ傾向を持つ者がいるとして次のようなことを書いています。

ブルックナーは、木の葉も、星も、砂粒も数えたとある。著名な古典作曲家によくもまあ、梅井きく女に似た人物がいたものだと谷原は感歎した。

しかもブルックナーは、「数きちがい」の兆候が「彼の楽譜の中の、小節と楽節に執拗に番号を打つ傾向に現れている」というのだ。数字もまた「計算狂」には強い執着である。

松本 清張. 数の風景 (角川文庫) (Kindle の位置No.3590-3594). 角川書店. Kindle 版.

本日の豆知識
ブルックナーに記述されたネットの事典ウィキペディアを見ていたら、「人物・経歴」の項目の最後のほうに次のようにありました。

「恋愛には純朴であり、若くて綺麗な娘を見かけるたびに夢中になった。晩年に至るまで多くの女性に求婚したが、そのすべてが破局に終わったため生涯独身を余儀なくされた」

後世まで名前と楽曲が残る作曲家として生きたブルックナーですが、実生活ではそれほど恵まれなかったのでしょうか。

特異な習性を持つ梅木きく女が登場した以上、石見銀山の旧坑道を測量した図面に書き込まれた細かい数字に虜になり、そこから誰も気がつかないような発見をするかと思いきや、これがあやふやなまま終わってしまったのには拍子抜けしました。

計算狂といわれるような習性を持つ人が本当にいるのか、いたとして、どれぐらいなのか私は知りません。

私は昔、あることに悩まされた時期があったことを思い出します。20歳頃だったと思いますが、頭の中で同じことを順番立てて考えないといられないことがありました。それが1回済むと、また同じ順番で同じことを考えるのです。

PCのCPUに演算指令を出し続けるようなもので、しまいにオーバーヒートしてしまうでしょう。自分の頭が同じような状態に置かれ、ほかのことが手につかなかったのを思い出します。

同じような意味合いで、何かを数え続けないでいられない状態であれば、廊下ですれ違った人に会釈する余裕がなくても不思議ではありません。

梅木きく女の本名と正体は作品の後半で明かされます。また、彼女の習性が、ある発見をもたらします。

登場人物の中では、山中深くにポツンとある断魚荘の嫁で宿を手伝うアキ子と、谷原が代理業をする期間に事務員として雇った20歳前の水巻ユカリが可愛らしく、好感を持ちました。

晩年の清張は、彼女たちを自分の孫のような感覚で書いたでしょうか。

清張の作品は突如幕が下ります。本作の幕の降ろし方は良かったように感じます。

気になる投稿はありますか?

  • 乱歩の短編作品を読む乱歩の短編作品を読む 江戸川乱歩の短編小説『日記帳』を読みました。乱歩のことは知っていても、この短編を読んだ人はあまり多くない(?)かもしれません。私は初めて読んだような気がします。 乱歩については、Amazonの電子書籍版で、筆まめな乱歩が書き残した随筆や評論などをまとめた第5集からなる全集を手に入れ、読み始めています。しかし、その分量が半端でなく、休み休み読んでいこうと考えています。 […]
  • 乱歩のあの作品の逸話乱歩のあの作品の逸話 職業作家で、新聞や雑誌に連載を持つ人は、締め切りに追われ、気の休まることがないでしょう。 それは昔の作家も同じです。 江戸川乱歩は多くの作品を残していますが、それらをすらすらと書けたわけではないのでした。 https://indy-muti.com/4723/ 横溝正史の随筆集を読んだあと、先輩格の乱歩に興味を持ち、『江戸川乱歩 […]
  • 乱歩との交流の跡が残る横溝正史の随筆集乱歩との交流の跡が残る横溝正史の随筆集 Amazonの電子書籍版で、横溝正史の随筆を集めた『探偵小説五十年』を読みました。 これまでに、横溝が人生の時々に書き残した随筆を読んでいますので、横溝がどんな人生を歩んだかはだいたい頭に入っています。 https://indy-muti.com/14360/ 生まれたのは、神戸の発展する前の新開地です。両親は岡山の出身で、父方の家があった岡山の柳井原 […]
  • 誰も知らない自分の別の顔誰も知らない自分の別の顔 人には寿命がありますが、それが病死も含めた自然死であれば、当人であっても自分の命が尽きる時期を正確に見通すことはできません。 徐々に体調が悪くなり、自分が長患いすることの予想がつけば、体が動くうちに、自分の持ち物で必要がない物を処分することができます。 全ての人がそうだとはいいませんが、家族であっても、目に触れては困る物を隠し持っていたりするものです。 そ […]
  • 恋する男を描く作品とも読める清張の長編恋する男を描く作品とも読める清張の長編 同じような作家の作品を代わる代わる読んでいます。今回は、松本清張の長編小説を読みました。 1959年5月から1960年8月まで、北海道新聞および中部日本新聞(中日新聞)、西日本新聞に連載された(北海道新聞は、5月22日から翌年8月7日までの夕刊)『黄色い風土』です。連載時は『黒い風土』だったそうです。 清張が『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞したのは1953年 […]