フェイクスターに気をつけよう

このところは松本清張の作品ばかり読んでいます。昨日読み終えたのは『人間水域』という長編です。

この作品がいつ頃書かれたのか、データが見つかりませんのでわかりません。過去に一度TBSでドラマ化したことがわかりました。それが放送されたのは1964年6月21日から10月23日とありますから、連続ものだったようです。

ドラマの原作が書かれたのは、その前年以上前であったことだけはわかります。

今回も、Amazonの電子書籍版を、Kindle Unlimitedを介して追加料金なしで読みました。

本作は、はじめから終わりまで、中老年の男たちと、20代の女性ふたりを巡る、愛と欲にまみれたやり取りに終始しています。事件らしい事件は起きません。唯一起きるのが傷害事件ですが、これも表沙汰にされず、実行した人間が刑に処されずに終わります。

主な登場人物は次の5人です。

  • 長村平太郎
  • 久井ふみ子
  • 滝村可寿子
  • 市沢庸亮
  • 島村理一

ふみ子と可寿子は20代の女性で、ふたりとも容姿が美しいことが共通しています。ふみ子は日本的な顔立ちで、可寿子は西洋人風の顔立ちという違いがあります。

ふたりがもうひとつ共通するのが、水墨を使った表現をする画家であることです。ふたりとも伝統的な画風には批判的で、現代的な表現をしますが、可寿子が前衛的で、ふみ子はそれより保守的な現代水墨の画家です。

ふたりはマスメディアでライバル視されていますが、互いも相手をライバル視しています。

平太郎はパチンコ業で、株式を上場しているため社長という肩書です。銀座本店のほか、新宿と渋谷に店を持っています。

歳は40代で、若い頃は、東京の亀有で、焼き鳥の屋台を夫婦で出して日銭を稼ぐようなことを経験しています。その後、縁があってパチンコ店を持ち、それが繁盛して、それなりの金と地位を得ています。

平太郎は東京下町から田園調布に住まいを移し、移り住んだ隣に、ふみ子が父母と暮らしていたのでした。ふみ子の父は元陸軍中将ですが、今は貧乏暮らしです。

田園調布といえば、今は高級住宅街ですが、平太郎の家の隣に住むふみ子の家は貧乏と書いていることから、本作が書かれた1960年代はじめからそれより前は、まだ高級住宅街ではなかった(?)のでしょうか。

ふみ子は美大で美術を学び、水墨を使った表現を模索します。夢を掴む前は、身なりも地味で、化粧にも手をかけられずにいました。隣家の平太郎がふみ子に近づき、ふみ子とふみ子の両親に金を工面するようになり、ふみ子は美貌に磨きがかかります。

読み進めても、事件は起こらず、男女が相手への猜疑心を強めるばかりで、読んでいるこちらも嫌な気分になります。

女たちは、自分が持つ美貌を武器に、のし上がっていきます。

ふみ子のライバルが可寿子です。可寿子は可寿子で、冷めた美貌を気取り、前衛水墨家として時代の寵児となっていきます。

市沢庸亮は60過ぎの男です。旧大名家の出で、財界やマスメディアにも顔が効きます。見てくれも貫禄があり、金も持っています。庸亮は女好きとして知られ、暇さえあれば女を口説きます。

島村理一は30歳ぐらいの男で、L新聞の文芸部記者です。ふみ子がデビューした頃から注目していましたが、その後、ふみ子の活動に疑問を持ち、関心が薄れました。

これらの人物を配し、どのように話を展開するかは清張にかかっています。あなたなら、どのように人物の感情を動かし、魅力ある話にしますか?

本作はおそらく何かの媒体に連載されたものでしょう。書き始める時にどの程度まで構想を組み立てていたかわかりません。読んだ感想では、清張が設定した人物の心の動きを、それほど計算せず、勝手に動く人物に合わせて話の辻褄を合さたように感じなくもありません。

清張が本作で主張したかったことは、マスメディアが作り上げる偶像への批判でしょう。

本作が1960年代はじめに書かれたものであるとすれば、今から50年以上も前になります。その頃から、清張が批判せずにはいられなくなるほど、マスメディアがそのような誘導を社会に仕掛けていたことになります。

作品の中では、新聞やテレビが、ふみ子と可寿子の美貌を餌に、実力以上の芸術家に仕立て、国民に錯覚を与えることをしています。

その当時の現代のシンデレラであることを意識するふみ子と可寿子は、マスメディアの気まぐれで得た地位を保つため、それまでのパトロンであった男を棄て、次の裕福なパトロンに乗り換えていきます。

現代もマスメディアによって偶像が次々に登場しています。

人々の記憶に新しいところでは、聴覚障害を持つ天才作曲家とされた佐村河内守氏がいます。NHKは、この人物にいち早く目をつけ、同局で硬派の看板番組であったNHKスペシャルでこの人物を大々的に取り上げました。

マスメディア自身が騙されたこの人物は、耳は聞こえており、自分で作曲する力も持ち合わせていませんでした。楽譜はまったく書けないとされています。彼には新垣隆氏という協力者がおり、新垣氏に作曲してもらった曲を自作曲としていたのです。

このからくりがバレるまで、世の中の人は騙され、佐村河内氏の演奏会場は満員の観客で埋まり、演奏が始まる前から観客が感動し、涙を流す者までありました。

この手の「フェイク・スター」はいくらでもいます。

私は、水玉を使った表現で有名な草間彌生もその類いなのではないかと考えています。

草間といえば、今では真っ赤な髪がトレードマークですが、これは本人が選んで被るようになったのでしょうか。

もしかしたら、草間氏を有名にするためのスタッフのようなものがあり、草間氏をコーディネートする一環で赤いカツラを被らせるアイディアを出したのかもしれません。

同じような意味合いでは、岡本太郎も草間に並べることができるかもしれません。売れっ子になった岡本は、自分にカメラが向けられると、ことさらに目を大きく見開いていました。あれも、見る人にインパクトを与えるためのポーズであったでしょう。

マスメディアは、誰かを偶像に仕立てることに成功すると、その人物をその分野の権威にしてしまいます。その人物が何か重大な問題を起こさない限り、権威として、祭り上げ続け、真の力に疑問を持たせません。

それを見せられる国民は、偶像である権威に疑いを持たず、崇めることに励みます。

世界的に見ますと、神のように崇められるパブロ・ピカソサルバドール・ダリも、当人が持つ能力以上の力が与えられているでしょう。

昨年の12月、イタリア北部にあるリッチオッディ美術館の壁の中から、一枚の絵が発見されました。鑑定の結果、19世紀ウィーン世紀末の画家、グスタフ・クリムトの盗難された作品であることが、今月17日、わかりました。

この作品には早速価値をつけましたが、今の時点では日本円にして約73億円から122億円とされています。

個人的な感想ですが、発見された作品にそれほど魅力があるようには思えません。もっとも、美術作品には定価というものが存在せず、この値段でも欲しい人がいれば、その値段が成立してしまいますけれど。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵であれば、どんな作品であっても、目が飛び出るほどの金額でやり取りされます。出来の良くない作品も少なくないのにです。

目が曇り、名前だけで作品の評価が決まるのであれば、本作でふみ子と可寿子がちやほやされるのも頷けます。

ふみ子や可寿子と同じ分野ということでいえば、ダウン症の天才書家としてマスメディアが売り出し中の金澤翔子氏にも疑いの目を持つべきでしょう。彼女が書く作品を、必要以上に有り難がるのも同じ構図のように私には見えます。

同じような次々思い浮かびます。盲目のピアニストとして商売が成り立っている辻井伸行氏もここで話している人たちに並べてもいいように思います。

1983年、天才的なピアニストとして名高かったウラディミール・ホロヴィッツが来日しコンサートを開きました。当時の報道は知りませんが、日本の新聞とテレビは、専門家の絶賛評を載せ、その才能に酔いしれたそうです。

そんな中、吉田秀和氏は自分の耳でその演奏をしっかりと聴き、彼の演奏は「ひびの入った骨董」だと見抜き、その考えを世に出して議論を呼んだそうです。

22年ぶりに発見されたクリムトの絵を絶賛し、70数億円から110憶円の値を直ちにつけて疑わないことも、それに近いことといえないでしょうか。

清張の作品には悪女が登場します。本作のふみ子も可寿子も欲にまみれたどうしようもない女です。警察の人間はひとりも登場しません。何も解決されずに話は終わります。

本作の前に読んだ『霧の旗』も、後味の悪い作品でした。

読む人が嫌な気分になるような人物を登場させ、彼や彼女が何を考え、どんなことをするかを頭の中で巡らせた清張は、何に希望をもって生きたのでしょうか。

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