今日も今日とて、昨日、Amazon Prime Videoで見た映画について、GoogleのAI Geminiと「対話」して得たことを交えて書いていきます。
見たのは『美人モデル殺人事件』(1941)です。邦題を見るとなんとなく「安っぽい」と感じるかもしれないです。私もそんなふうに感じました。
原題は”I Wake Up Screaming”です。原題に込めた意味合いをGeminiに訊き、次のような説明をしてもらいました。
『I Wake Up Screaming』は、直訳すると「私は叫びながら目を覚ます」、あるいは「叫び声を上げて飛び起きる」という意味になります。
この原題には、作品の不気味なサスペンスを象徴するような、いくつか深いニュアンスが込められています。
タイトルに込められた意味と背景
- 悪夢のような恐怖: 恐ろしい悪夢にうなされて、思わず叫びながらハッと目が覚める――そんな強い恐怖やトラウマ、精神的に追い詰められている心理状態をそのまま表しています。
- 映画のストーリーとの重なり: 物語の中で、殺された美しいモデル・ヴィッキーの死をめぐり、容疑者として執拗に追い詰められるフランキーや、歪んだ執着心に取り憑かれていく刑事のエドなど、登場人物たちの心理的なプレッシャーや狂気が、まさに「悪夢から覚めない」ような感覚として描かれています。事件の影に怯える登場人物たちの恐怖が、そのままタイトルになっているわけです。
ちなみに、日本で公開されたときの邦題『美人モデル殺人事件』は、当時の日本の観客に「どんなストーリーか」を一目で分かりやすく伝えるためのものですが、原題の『I Wake Up Screaming』のほうが、夜の闇や狂気をはらんだフィルム・ノワールらしい、どこか心理的な不気味さを漂わせる響きがしますよね。
『叫びながら目を覚ます』という邦題がつけにくいことはわかります。しかし、内容をわからせるだけの題だと、魅力に欠けるように思います。そのあたりは、題をつける人にも少し考えて欲しい気持ちがあります。
上の説明で少しわかってきたと思います。話は、モデルとして売り出し始めた女性が何者かに殺され、警察がその犯人を追う内容です。
こんなふうに書くと、犯人捜しだけの話と思われてしまうかもしれません。しかし、そう単純ではありません。そこには、人の思惑が絡み合っています。
主要な登場人物をGeminiにまとめてもらったので、それで確認してもらいます。
主な登場人物
- フランキー・クリストファー(演:ヴィクター・マチュア)
- 手腕を買われているスポーツ・プロモーター。ウェイトレスだったビッキーの才能を見抜き、彼女をスターへと育て上げた元マネージャー。殺人事件の第一容疑者となります。
- ジル・リン(演:ベティ・グレイブル)
- 殺害されたビッキーの姉。最初は妹を死に追いやったとフランキーを疑いますが、のちに彼と共に真犯人を探すことになります。
- ビッキー・リン(演:キャロル・ランディス)
- 物語の発端で何者かに殺害される、美しく野心的なモデル兼女優の卵。
- エド・コーネル刑事(演:レアド・クレガー)
- 事件を担当する執念深い刑事。フランキーへの異常な執着と、プレッシャーをかけるねちっこい捜査手法で彼を追い詰めます。
- ハリー・ウィリアムズ(演:エリシャ・クック・ジュニア)
- ビッキーらが住んでいたアパートの管理人。気弱で神経質な人物。
話の筋を離れ、私が感心したことがあります。映像の作り方です。
舞台はニューヨークです。街並みの映像も登場します。しかし、それらが野外ロケで撮影されたようには思いませんでした。
たとえば、オープニング・ショットを次の動画でご覧ください。何でもない俯瞰ショットに見えると思います。新聞売りの少年がいて、少年の周りを通行人が行き交っています。
この冒頭シーンについてGeminiと話し、次のような回答を得ました。
まさにその通りですね。オープニングの少し高いアングルから見下ろす街頭のシーンなど、当時のハリウッド大スタジオが誇る「街並みセット」の緻密さには本当に驚かされます。
新聞を売る少年の足音の響きや、行き交うエキストラたちの服装、石畳や建物の質感、そこへ差し込む計算し尽くされた照明の妙など、「本物のニューヨーク以上にニューヨークらしい」と言えるほどのリアリティと様式美が徹底的に作り込まれています。CGのない時代に、職人たちの手仕事と美術・撮影スタッフの技術によってあの独特な世界観が形作られていたと思うと、古典映画の奥深さを改めて感じますよね。
本作を製作したのは20世紀フォックスです。
Geminiに教えてもらいましたが、本作が製作された1940年代初頭、20世紀フォックスは、MGMやワーナー・ブラザースと並ぶ「メジャー・スタジオ(ビッグ・ファイブ)」の全盛期で、日本の映画撮影所が到底足元にも及ばないほどの圧倒的な資本力を持っていたそうです。
当時の20世紀フォックスの特徴をGeminiに教えてもらいます。
巨額の予算と一流の職人たち: セット、衣装、照明、特殊効果、音楽(アフレコ用の専属オーケストラまで常駐)に至るまで、すべてを自社スタジオ内に抱えていました。そのため、『I Wake Up Screaming』のような中規模のサスペンス映画であっても、美術や照明のクオリティに妥協がありませんでした。
強力なトップダウン経営: 当時スタジオを率いていた伝説的な名プロデューサー、ダリル・F・ザナックの強いリーダーシップのもと、効率的かつ贅沢な物量作戦で「エンターテインメントとして最高に洗練された映画」を次々と量産していました。
ミュージカルから重厚な社会派・ノワールまで: ベティ・グレイブルを看板にした豪華絢爛なテクニカラーのミュージカル大作で大儲けする一方で、今回のようなスタイリッシュな白黒フィルム・ノワールや、ジョン・フォード監督の人間ドラマなども手掛けるだけの懐の深さがありました。
セットだけではありません。冒頭の短いシーンを撮影するには、エキストラが必要です。また、エキストラに相応しい衣装が必要です。このあたりについても、Geminiに解説してもらいます。
20世紀フォックスをはじめとするメジャー撮影所には、「ワードローブ(衣装)部門」や「セット部門」という巨大な専属組織が社内にありました。数千人規模のエキストラを同時に動員できるほどの膨大な衣装や小道具が常にストックされており、通行人一人ひとりに至るまで、当時の時代背景(1941年当時のニューヨークのビジネスマン、主婦、労働者などの流行)に合わせたスーツやコート、帽子が完璧にコーディネートされていました。
しかも、あのオープニングのようなワンシーンだけでも、以下のような膨大な手間とコストがかけられていました:
- 大規模なエキストラの統制:何十人ものエキストラに対し、どのタイミングでどの方向へ歩くか、新聞売りの少年にどう反応するかなどの細かい動線や演技指導が徹底されます。
- 背景の動く演出:自動車や馬車(または当時走っていた車)、路面電車などを走らせ、街の「生きた空気感」を人工的に完全にコントロールします。
- 照明とカメラワークの計算:自然な太陽光や街のざらついた質感をスタジオ内で再現するため、巨大なアーク灯や紗幕(しゃまく)を駆使して影の出方をミリ単位で調整します。
本作では、犯人に疑われるフランキーと、殺されたビッキーの姉 ジルの二人がプールで過ごすシーンがあります。あのプールの場面もセットだったのかと訊き、次の回答を得ました。
あのプール(屋内プール)のシーンも、撮影所(20世紀フォックス)の中に作られたスタジオのセットです。
当時のハリウッド大撮影所には、巨大なステージの地下や専用の建物内に、こうした「インドア・プール(屋内プール)セット」があらかじめ備えられていました。
あのシーンには、以下のようなスタジオシステムならではのこだわりや裏話があります。
- 完全にコントロールされた環境: 天候や気温に左右されず、水の透明度や波の立ち方、照明の反射(水面が天井や壁に揺らめく美しい光の影)をカメラマンが完璧に計算して撮影できるようになっていました。フィルム・ノワール特有の陰影を水面の反射で演出するには、屋外の自然光よりもスタジオの人工照明のほうが圧倒的に有利だったのです。
このプールのシーン撮影では、次のような裏話があったことも知りました。
実はあのシーン、物語の展開上は必ずしもプールで行う必要はなかったのですが、当時のスタジオ(20世紀フォックス)の社長であるダリル・F・ザナックが、「ヴィクター・マチュアの素晴らしい肉体美」とベティ・グレイブルの「美しい脚線美(当時、保険がかけられるほど有名でした)」を観客に見せつけるために、半ば強引に追加・演出させたサービスカット(あるいは一種の客寄せシーン)でした。
俳優2人とも、もともと水泳やスポーツマンシップに馴染みがあったため華麗に泳いでいましたが、ベティ・グレイブル本人はのちに「あんなシーンはドラッグストアでもバーでもどこでもできたのに、社長のせいで水着にならなきゃいけなかった。あのシーンは本当に嫌いだったわ」と、少し愚痴交じりに振り返っていたというエピソードも残っています。
こんなふうに、撮影の舞台裏を想像しながら見ると、愉しみが倍増する作品です。
存在感があったのは、フランキーを演じたヴィクター・マチュアです。彼についても、Geminiに教えてもらいましょう。
ヴィクター・マチュアは、一度見たら忘れられない独特の強烈な存在感を放つ俳優でした。
彼の魅力や、スターとしての特異なポジションには、次のような素晴らしい特徴があります。
- 圧倒的な体躯と彫りの深いマスク: 身長が190センチ近くあり、ギリシャ彫刻のように鍛え上げられた見事な肉体と、少し影のある甘いマスクの持ち主でした。ただの「マッチョな二枚目」にとどまらず、どこか哀愁やユーモア、あるいは不器用さを漂わせる雰囲気が独特の渋みを生んでいました。
- ジャンルを選ばない活躍: 『美人モデル殺人事件』のようなスタイリッシュなフィルム・ノワールから、ジョン・フォード監督の西部荒野を描いた名作『荒野の決闘』(ドク・ホリデイ役)、さらにはセシル・B・デミル監督の超大作『サムソンとデリラ』といった古代叙事詩の英雄まで、あらゆる大作で主役を張りました。
- 自虐的なユーモアセンス: これほどのスターでありながら、自身の演技力や筋肉について「自分には演技の才能なんてない、ただ体が大きいだけだ」と周囲に冗談めかして語るような、気さくで気取りのない人柄でも知られていました。
本作では、耳になじんだ、あるメロディが効果的に使われています。『オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)』です。この音楽は、本作が製作される2年前に公開された『オズの魔法使い』の劇中歌として有名です。
それがどうして本作で使われたのか、Geminiの回答を共有しましょう。
同じ20世紀フォックス(厳密には『オズの魔法使い』はMGM作品ですが、音楽まわりの権利や当時のスタジオ間の流用、あるいは雰囲気を似せたアレンジなど)という背景もあり、甘く切ないメロディが、不穏でダークなサスペンスの世界観と奇妙な対比を生み出す演出として巧みに取り入れられていました。
上でも書いたように、いろいろな観点から楽しめる作品です。そういえば、フランキーがジルに本名を訊かれ、「ボッティチェリ」と答えています。
これについても、Geminiの話を聴いてください。
ルネサンス期の巨匠、あの『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェーラ)』で知られるボッティチェリ(Sandro Botticelli)の名前が、映画の中で思いがけず飛び出すのは非常に印象的です。
美女を描き続けた画家の名前が、美人のモデルや女性を次々とスターへ売り出すスポーツ・プロモーターの主人公の本名として使われているなんて、偶然にしてはあまりにも出来すぎているというか、どこか洒落たウィットを感じさせるネーミングセンスですよね。
厳しい取調室のピリピリした空気の中、刑事の威圧的な質問に対して、そんな風にさらりと自分の(あるいはどこか美術的なエッセンスを感じさせる)本名を答えることで、キャラクターの軽妙さやタフさが際立っていました。
邦題だけを聞くと、何となくありきたりな作品に思えてしまいます。正直、見始める前は私にもそんな考えがありました。しかし、実際に見て、本更新に書いたように、いろいろと得るものがありました。
話の筋を追うだけでなく、あらゆる角度から本作に接し、あなたなりのおもしろさを発見してみませんか。
