星新一にまつわるエピソード

昨日の朝日新聞・書評欄「ひもとく」は、「〈星〉を継ぐもの」と題し、「ショートショート(掌編小説)の神様」星新一を取り上げています。

中段には「終生もがき続け」と小見出しがあり、星が「終生もがき続け、書くことに追い詰められながら歩いて行った」と書かれています。

それを裏付ける書籍として、最相葉月さんが、星新一に関して行った取材と膨大な資料によって書いた『星新一 1001話をつくった人』が紹介されています。

私はこの書評を読んで興味を持ち、とりあえずといった感じで、Amazonの電子書籍 Kindleで上下合本版のサンプルをダウンロードしました。このあと、購入して読むことになるかもしれません。

私は次に、ネットの事典ウィキペディアで「星新一」を引いてみました。すると、これまで星を特別意識していたわけではないので、知らないことがいろいろと書かれています。

最相さんが書かれた『星新一 1001話をつくった人』のサンプルに目を通しただけでも、家庭人としての星が、妻や娘さんたちには扱いにくい人だったことが窺われます。

少し前の本コーナーで取り上げたことがある「不機嫌ハラスメント」そのものに思われます。夜中に原稿を書く星は、昼頃に起きてくると、いつも不機嫌な顔をしていた、と妻が証言しています。

星と旧制高校の寮生活をした親友の北杜夫や小松左京が、当時を懐かしむのに対し、星は非常に不満を持ち、あとになってもその頃のことを眠るに前に思い出しては、頭がかっとなったそうです。

作家となってからも小松左京らとは対照的です。小松は自作の映像化には寛容だったのに、星は「自分の作品がいじくられるのは真っ平ごめんだ。やるなら俺が死んでからにしてくれ」と映像化、戯曲化をほとんど許さなかったそうです。

他者に厳しいところもあり、詐欺に遭った被害者に対しては、欲に目がくらんだのだから、救う必要はない、とエッセイに書いたりしたそうです。

星が、少年愛の傾向を持っていた、というのも意外なエピソードですね。

小松の次のような発言がそれを物語るようです。

郷ひろみに入れ上げていた時期もあり、「彼はね、一人で支那まんじゅう食いながら、郷ひろみのテレビ見てんだそうですけど、鬼気迫るな。

最相さんが書いた『星新一 1001話をつくった人』にも、そんなエピソードが満載なのでしょうか。

星といえば、彼の父・星一が、星薬科大学の創立と、星製薬を創業したことが知られます。

私は星製薬についてはよく知りません。そこで、ウィキペディアに目を通しました。すると、星新一の『人民は弱し 官吏は強し』には次のようなことが書かれているそうです。

星一は、同じ東北地方出身であったことから、後藤新平の知遇及び強い庇護を受けており、そのことを嫌った政界内の反後藤陣営(主に憲政会系の勢力)や彼らと結びつきが強い内務省(直接には製薬業界を所管する同省衛生局)の官僚らから企業活動への妨害をしばしば受けたとしている。

『人民は弱し 官吏は強し』の電子書籍版サンプルをダウンロードしてみました。

これに続けて、参考文献として、劉明修が『台湾統治と阿片問題』の中で書く次のような内容も紹介されています。

後藤が台湾総督府の阿片専売収入増加を図るために、阿片吸食者に売る阿片煙膏のモルヒネ含有量を極秘裡に減らして、より高い阿片煙膏を売り付けることを行い、その秘密を守り通すため、総督府専売局が、後藤と癒着した星製薬(星一は後藤の盟友である杉山茂丸の書生出身)以外の製薬業者による粗製モルヒネの分割払い下げ運動を強硬に拒んだことから、星製薬をめぐる疑獄事件である台湾阿片事件が発生したことが明らかにされている。

私は、「台湾阿片事件」とはどういうものだったかに始まり、GoogleのAI Geminiと「対話」をし、いろいろと教えてもらいました。

まず、「台湾阿片事件」について、Geminiは次のような解説をしてくれました。

事件の背景と経緯

  • モルヒネの国産化と台湾総督府との提携: 第一次世界大戦中、星製薬は日本で初めて医療用モルヒネの国産化に成功しました。その原料である生阿片(アヘン)を確保するため、星一は当時日本の統治下にあった台湾総督府と結び、ペルシャ産などの良質な阿片の輸入・払い下げルートを開拓して大きな利益を上げていました。
  • 大量買い付けと価格急落: 第一次世界大戦が終わると阿片の国際相場が急落しました。星一は、これを好機と見て関係各省の了解のもと、台湾総督府の予算を立て替える形で大量の生阿片を買い付けました。
  • 「違法」としての摘発: この時、購入した大量の生阿片(約100トン)を、阿片法が直接及ばない「横浜税関」の倉庫に保管していました。関係官庁の確認を取っていたものの、星製薬を快く思っていなかった内務省衛生局などがこれを「国内法違反の密輸入・私有」であるとして問題化し、1921年に星一らが起訴されました。

事件の結末と影響

  • 長期間の裁判と無罪: 星一らは「台湾阿片法違反」などの罪に問われ、一審では有罪(多額の罰金・追徴金)となりましたが、その後の裁判で争われ、1926年(大正15年)に大審院(最高裁)で無罪が確定しました。
  • 星製薬への致命的な打撃: 裁判では全面勝訴したものの、裁判闘争の最中、政権交代による政治的逆風や、政府・警察による取引銀行への融資圧力などによって星製薬の信用は失墜しました。東洋一とまで謳われた星製薬の経営は急速に傾き、星一は巨利の借金を抱えて経営の一線を退くことになりました。

この一連の動きを、星新一が『人民は弱し 官吏は強し』に書いたということでしょう。これまでに書いてきたように、星には一本気のところが強くあり、自分の意にそぐわないことには強く抵抗する気持ちが働くのだと思います。

私は、ウィキペディアから引証した中にある「阿片煙膏」がどういうものかわからないので、Geminiに訊き、次のような回答を得ました。

「阿片煙膏(あへんえんこう)」とは、ケシの汁を乾燥させて固めた「生阿片(きあへん)」を、専用のパイプなどを使って吸引(喫煙)できるように加工・精製した状態のものを指します。

主な特徴は以下の通りです。

  • 製造の仕組み: 生阿片や阿片の粗製品(阿片煙土)を一度水に溶かして煮沸し、不純物を取り除いて再び練り上げるなどして、吸引に適した粘り気のある膏状(ペースト状)または固形に仕上げます。
  • 用途: 医療用として注射や内服に用いられるモルヒネなどとは異なり、主に吸引して快楽を得るための嗜好品・吸引用麻薬として用いられました。歴史的には、近代の中国や台湾などの東アジアにおいて、阿片窟などでパイプを使い煙を燻らせて吸うスタイルが広く蔓延しました。
  • 法律上の位置づけ: 法律上、原料である「生阿片」と、すぐに吸引できる状態に加工された「阿片煙膏(あへん煙)」は厳しく区別されてきました。当時の台湾総督府の統治下では、財政収入の確保や中毒者の管理を目的として、政府管理のもとでこの阿片煙膏の製造・販売が一定の条件下で認められていました。星製薬が関わったのも、この台湾における阿片煙膏の原料調達や製造をめぐる事業でした。

私は、星新一の父、星一が日本に導入した医療用モルヒネは現在も医療に使われているのかとGeminiに訊き、次のことを教えてもらいました。

現代における使用(今も使われるか)

  • 主な用途: がんなどの治療に伴う激しい痛み(がん疼痛)や、心筋梗塞に伴う激痛、人工呼吸器管理時の鎮静などの緩和ケアに不可欠な薬として、現在も臨床の現場で広く使われています。
  • 安全性と管理: 医師の厳格な処方と麻薬及び向精神薬取締法に基づく厳しい管理のもとで使用されており、適切に用いれば依存症になるリスクはコントロールされます。

現在も、安全性を管理したうえで、医療に使われているわけですね。

星新一について書かれた『星新一 1001話をつくった人』のサンプルを読んだだけでも、星が1001話のショートショートを書き上げたあとのことが書かれています。

途中で、星が、1001話の小説を書いたら断筆すると決めたのかどうかわかりませんが、それを成し遂げた昭和58(1983)年秋、星は作家業を「引退」したそうです。星、57歳の年です。

そのことで肩にのしかかっていた重しが取れ、妻や娘たちとも良好な関係になったようです。毎日のように映画を見に出かけるようになり、パーティに顔を出しては、帰りになじみのバーでビールや水割りを飲んで帰ってくるようになります。

ただ、この辺りは星らしいような気がしますが、どんなに遅くなっても、終電までには帰宅したそうです。

中学時代の仲の良い同級生4人とは、家族ぐるみで付き合うようになり、妻も同伴して、愉しい時間を過ごしたそうです。

星は、第一線を退いた14年後の1997年12月30日、71歳で亡くなっています。

それ以前の同年4月22日夜に、酸素マスクが外れて呼吸停止しているのが看護師に発見されています。

その後、亡くなるまで意識が戻ることがなかったそうですから、実質的には、その時点で人生を終えたようなものですね。

ともあれ、彼は、亡くなる前の3年は、病気で入退院をしています。その病気になるまでの10年ぐらいが、彼が自分の家族と心穏やかに過ごせた時間だったでしょうか。

星新一について書かれた書評が朝日の書評欄に載ったことで、彼ににわかに興味を持ち、知らなかったエピソードを知りました。

最相葉月さんの本を読むことがあり、今回書いたこと以外のことがそこに書かれていたら、そのときはまた、本コーナーで取り上げるかもしれません。