前回は、AmazonのPrime Videoで、『ジ・オファー / ゴッドファーザーに賭けた男』を見始めたことを書きました。
これは、映画『ゴッドファーザー』(1972)の製作の舞台裏を描く全10話からなる作品です。
前日にエピソード2までを見、昨日は、エピソード3からエピソード8まで見ました。
出来上がった作品を楽しむ観客は、流れる映像を見て、楽しむだけです。それを製作する側のことまでは想像しません。
どんな作品であれ、その製作が大変そうなことは少しは想像できます。しかし、『ゴッドファーザー』の場合は、通常の映画製作の大変さに加え、イタリア系米国人の暗部を描くという特殊事情が重なったことで、その困難さは想像を絶していたことが、今回の連続ドラマから伝わってきます。
主人公は、本作のプロデュースをするラディという男です。製作のすべてを取り仕切る立場にあるため、彼には気の休まる暇がまるでありません。
そんな彼を追う描き方になるので、作品に接する私たちも、彼の前に次々に立ちはだかる問題に向き合わされる感覚にさらされ、圧迫を受け続けます。
『ゴッドファーザー』の企画が立てられ、製作が始まった頃の映画界が、斜陽化していたという認識を私は持っていませんでした。日本で公開される米国映画は、潤沢な製作費で製作されたことがわかるような作品が多く、それらを見る限りにおいては、製作に瀕していたことなど想像できなかったからです。
パラマウント映画は、米国で二番目に古い、長い伝統を持つ映画会社です。そのパラマウントが、『ゴッドファーザー』を製作した当時、「ガルフ・アンド・ウェスタン・インダストリーズ社」に買収され、その傘下に入っていました。
本作で常に登場してくるのがチャールズ・ブルードンという傲慢な人物です。彼は誰に対しても横柄です。はじめは、彼の立場がわかりませんでした。
彼こそがガルフ・アンド・ウェスタンの創業者で、パラマウントを牛耳る立場にあるのです。
彼は、自分に沿わない部下は、一人の判断でその部下を首にすることを決め、その場で、首を宣言し、すぐにこの場から立ち去れと命じます。
一代でのし上がった彼は、それゆえに金に強い執着を持ち、無駄なことには金を出すことを嫌います。
ブルードンに見込まれてパラマウントの製作部門のトップになったエヴァンスがプロデュースした『ある愛の詩』がヒットします。それにより、パラマウントの株価が上昇することが起きます。
ブルードンは直属の部下と、この機を利用して、パラマウントを欲しがっている企業に手渡すことを画策しています。
そんな折、米国のイタリア・マフィアを映画化する『ゴッドファーザー』の企画が持ち上がるのは、ブルードンにとっては迷惑この上ないことです。
そのため、自分のいうことなら何でも聞くエヴァンスを通じて、ウディに圧力をかけていきます。
どうしても『ゴッドファーザー』の完成に漕ぎつけたいラディは、あくまでも自分の我を押し通しつつ、親会社のブルードンともうまくやっていかなければなりません。そして、それと並行して、ニューヨークの裏社会の顔役の機嫌を損なわないよう配慮しなければならないのだから大変です。
裏社会の人間の機嫌を損なえば、命の保証がありません。
そして悪いことに、顔役とされている組織に対抗する組織が浮上し、その組織からも圧力を受けます。それまでに、顔役のボスとそらなりの関係を築いていたため、新顔のボスからの圧力は、危険この上ありません。
このような困難を次々に切り抜けなければ、映画の完成を見ることはできません。
製作の許可が下り、撮影が始まります。しかし、撮影が始まったら始まったで、現場では問題が日々起きます。ときには、スタッフ同士がいさかいを起こし、それをなだめる役回りもラディに回ってきます。
このような困難な状況にあり、制作現場でもっとも生き生きとしているのは、監督のフランシス・フォード・コッポラです。
コッポラが照明の責任者とやり合う場面があります。照明係は、コッポラの要求通りのライティングを構築します。しかし、それを見たコッポラは、これでは、役者が同じ場所に立ち続けて演技することしかできない。もっと役者が自由に動き回れるようなライティングにしてくれ、と注文を出します。
照明係は、これが監督の求める、カラヴァッジォ作品に通じる完璧なライティングなのであり、これを活かすには、同じ場所に立ってでも演技をして欲しいといって譲りません。両者の意見は折り合わず、照明の責任者は、もう、コッポラとはやっていけない、と現場を離れようとします。
その対立に気がついたラディが、両者をそれぞれに説得し、撮影に戻れるように調整するといったあんばいです。
配役でもっとも揉めたのは、イタリアン・マフィアのドン、コルリオーネ・ファミリーで、ドンのあとを継ぐことになる、三男のマイケルの配役でした。
コッポラ監督は、どこで見つけてきたのか、その時点では無名に近かったアル・パチーノを強く推しました。彼で映画が撮れないのであれば、自分は監督から降りるといった態度まで示し、どこまでも、アルパチーノの配役にこだわりました。
エヴァンスらは、どこの馬の骨かわからないような役者はやめて、ロバート・レッドフォードのような実績のある役者すべきだ、と主張します。
アル・パチーノは、『ゴッドファーザー』でマイケルを演じるまで、ほとんど実績がありませんでした。彼は『ゴッドファーザー』三部作でコッポラ監督の期待に応える演技をし、世界的なスターへと昇り詰めていきました。
今回のドラマで我が物顔に終始する、ガルフ・アンド・ウェスタンのブルードーンですが、彼の実人生は、『ゴッドファーザー』が公開された11年後の1983年2月19日で終わっています。実業家としては短命のように思われます。
彼は、キューバの指導者、カストロとも親交を持っていました。彼はキューバを舞台として映画のアイデアも持っていたそうです。
その彼が、ドミニカのリゾート地からニューヨークへ戻る自社の飛行機の中で心臓発作を起こし、世を去っています。
それが自然の発作なのかどうかはわかりません。今回のドラマで描かれたように、彼は「いかれたオーストリア人」といわれ、敵が多くいたことが窺われる人物です。
人は自分の寿命を知りません。もしもそれを事前に知ることができ、あと何年後の何日に自分が死ぬとわかっていたら、どこまでも我を通すような生き方をできるでしょうか。
『ゴッドファーザー』をプロデュースすることで、ブルードーンと駆け引きを繰り返したラディは、彼の訃報を知ったとき、どんなことを思ったでしょうか。
昨日見たエピソード3からエピソード8の中で、個人的に印象的だったひとつに、ラディがニューヨークの下町を虚ろに歩きくシーンがあります。
そのとき、ラディはプロデュースの仕事から干されそうになり、その仕事を失ったら、自分には何も残らないと絶望的になるのです。
そのシーンのBGMに、プロコル・ハルムの『青い影』(1967)がほぼ全曲使われました。
もうひとつ印象に残ったシーンがあります。それは、彼がプロデューサーに復帰できることがわかったシーンです。喜ぶ彼と、彼を迎える秘書らの姿を見て、胸がジーンとしました。
本日中に、残りのエピソード9とエピソード10を見ることになります。最後は、大団円で終わることになるのでしょうか。
三日目の本日、エピソード9とエピソード10を見て、全10話を見終えました。
全編を通じ、主人公のラディを演じたマイルズ・テラーの演技は、主人公の無骨さをよく表していて、好感を持ちました。
