相変わらず松本清張の世界に浸っています。
私はAmazonの電子書籍で本を読むことが主となりました。年初の3日から6日だったと記憶する期間、Amazonの電子書籍を2冊購入で10%、3冊であれば15%、5冊以上で20%分のポイントが還元されるサービスが提供されていることを知りました。
それを早速利用し、上下2巻の『砂の器』を手に入れました。これだけで10%のポイントですが、ついでだからともう1冊購入しました。それは、短編集の『張込み』です。
結局この3冊で終わりましたので、15%のポイント還元になります。3週間ほどでポイントの獲得ができるようです。
この3冊とは別に、Kindle Unlimitedを利用して1冊追加しました。
このKindle Unlimitedとは、月額980円で対象の本を追加料なしで読むことができるサービスです。過去に何度か利用したことがありますが、対象の本が多くなく、利用を止めていました。
それが昨年12月、月額99円で3カ月(だったかな?)のキャンペーンがあり、申し込みました。ということで、3月はじめまでは、このサービスが利用できます。
『砂の器』を読み終えたときだと思いますが、AmazonのKindleのページへ行くと、Unlimitedを利用して清張のある本が読めると紹介がありました。それは、『内海の輪』という本でした。
追加料金なしに読めるなら、と早速端末にダウンロードして読み始めました。
表題の『内海の輪』(1968)が全体の7割ほどを占め、『死んだ馬』(1969)という短編も収録されていました。『内海の輪』は、『週刊朝日』に1968年2月16日号から10月25日号に連載されたようです。
私は、読み始めて気分が悪くなりました。登場人物に感情移入できそうもないように感じたからです。こんな調子の話が最後まで続くなら付き合っていられない、と読むのを止めようとも考えましたが、結局、最後まで付き合いました。
描かれるのは、40男と41女のどろどろの付き合いです。
ふたりは15年ほど前にはじめの出会いをしています。その時、女は実兄の嫁でした。兄にキャバレー勤めをする年上の愛人がいたため、兄の結婚生活は一年半ほどで終わっています。
北陸に逃げ暮らす兄と女のもとを兄嫁が訪ねる際、義弟が付き添いをします。兄と嫁との仲が決裂し、その晩、兄嫁が義弟を宿に誘い、男と女の仲になってしまいます。
清張は、ほかの短編でも同じような設定をしています。
清張が作家に専念するのは1956年ですから、47歳の年です。清張はご存知のように、器量には恵まれていなかったことと、デビューが遅かったことで、男女の恋愛ものは苦手だろうといわれたことがあったようです。
そんな風に見られていることを知った清張が、持ち前の負けず嫌いで、男女の感情の機微を書くことを自分に課したりもしたのでしょう。
おそらくはそんな気持ちも手伝って連載したもののひとつが『内海の輪』であったのかもしれません。
男も女も家庭を持ち、ふたりの仲を知られることを恐れながら、付き合いを深めていきます。想像上の男女ではありますが、ふたりを応援する気になれない私は、早く破滅に向かうことを願いながらページを繰りました。
短編集の『張込み』も読んでしまい、読むものがないと思っていたところ、意外なことに、清張の本が何冊もKindle Unlimitedで読めることを知り、とりあえず、7冊を端末にダウンロードしました。これで当分、清張の本に接することができます。
Kindle Unlimitedで読める書籍は定期的に入れ替えているのか、読める作品のラインナップに清張作品がまったくないこともあります。細かいことをいうようですが、7冊を普通に購入すれが4000円ほどの出費になります。追加料金なしでそれらを読めるのはありがたいです。
まずは『男たちの挽節』という短編集を読み始めました。この作品集には、次の作品が収録されています。
- いきものの殻
- 筆写
- 遺墨
- 延命の負債
- 空白の意匠
- 背広服の変死者
- 駅路
『いきものの殻』『延命の負債』『駅路』は他の短編集で読みましたので、本短編集では、『筆写』から読み始めました。
主人公は72歳のむさくるしい老人ですから、読み始めたものの、最後まで興味を持って読めるか心配になりました。
名前は安之助といい、定年まで、郷里である信州の田舎で、中学の教師をし、校長になっていくつもの学校を回ったようです。教師時代に、一度浮気は経験しています。
8年前に妻を亡くし、5年前から、東京に新居を構えた息子家族と同居しています。
安之助はまだ体はどこも悪いところがないものの、足腰は衰え気味で、廊下を歩くときも壁を伝い、汚れた手で、新しい家の中を汚すと、息子の嫁からは厄介払いされる立場です。
家の一番奥の四畳半が安之助の部屋で、食事も息子家族とは別に、独りで摂る習慣です。お金は、息子の嫁から月ごとに貰う小遣いがすべてです。
家族が安之助と食事するのを好まないのもわかる気がします。次のように書いているからです。
安之助は歯が無く、ゆっくりと動かす口もとには内に入っている飯粒までがまる見えだった。それに洟が出るから絶えふところから手拭を出してふいていなけれ ばならない。痰が詰まれば咽喉を鳴らす。咳といっしょに口の中の飯とおかずが食卓の上に飛ぶ。そんなことで子供が同席を嫌い出したのだが、息子の秀人もいっしょに食事するときは眉間に縦皺をよせて不快感を示した。安之助も遠慮しながら飯をたべるよりは、別になってひとりでしたほうが気が楽 なので、居間に膳を運ばせる桂子(※息子の妻)のやりかたに賛成した。
松本 清張. 男たちの晩節 (角川文庫) (Kindle の位置No.522-528). 角川書店. Kindle 版.
安之助は歳をとって、身の周りのことをするのが億劫になったようで、顔を洗うのは三日に一度、風呂に入るのは10日置きといった具合のようです。それだから、体から悪臭がしたりするのでしょう。
家には女中がおり、食事を運ぶのも女中ですが、膳を置くとすぐに部屋から出て行ってしまいます。
家中が汚れるからと、息子の嫁は女中に安之助の手を拭くようにいいつけますが、従うのははじめのうちだけで、すぐに忘れてしまいます。
事件は何も起こりません。これを読む私は、惨めな老人に付き合わされ、こちらまで陰気な気分になってきます。
転機が訪れます。別の女中に替わったことによってです。
今度の女中は、あとで安之助が訊くと、群馬の前橋あたりの農家の生まれらしく、歳は37。一度は結婚したものの、夫になった男が放蕩者であったため、すぐに別れ、今は、女中奉公をして生きています。
もう結婚は諦めているのでしょうか。
色が黒く、清張は「みっともない女」と書きますが、女中奉公を3年したとかで、仕事はできます。
なんといっても気立てがよく、それまでに何度も替わった女中たちに比べ、安之助の世話を熱心にしてくれます。
この女中が登場したことで、私も読み進めることに熱心になりました。私が日頃好ましく感じる女性の特徴を女中の信子が持つからです。
信子と接することで、安之助は生活態度が改まり、顔は毎日洗い、小綺麗になります。顔色がすっかり良くなった、と息子の嫁から皮肉をいわれるほど元気になります。
それを読みながら、人間はいくつになっても、恋心のようなものは失わないものだと考えました。
信子は安之助を「おじいちゃん」と呼び、指を一本一本丁寧に拭いてくれます。
そうしてもらっている間、信子の顔が安之助に近づき、信子の吐息を近くで感じたりします。
清張はほかの作品でもそのあたりの表現をよく使い、生身の人間を描くことを好むようです。相手が汚い人間であれば、臭い息を吐くと書き、好ましい相手のときは、相手の口臭を自分から嗅いでみたりさせる、といった具合です。
安之助が目やにを信子にとってもらうとき、自分が72の老人であることを忘れていたでしょう。あるいは、人間はいくら歳をとっても、感覚までは歳をとらないといえましょうか。
近くで見る信子の顔にどぎまぎします。
信子にすっかり恋心を持つようになった安之助の様子を、次のように書いています。
ふしぎなもので、はじめのうちこそこんな器量の悪い女も珍しいと思っていた信子が、安之助には次第に気にならなくなったばかりか、だんだんに魅力的に 見えてきた。なるほど、女は顔だけで美人不美人は決められない、心のきれいな女だと顔まで美しく見えるものだと思った。そして、もっと奇妙なのは、年齢の距離感がだんだんに除れてきたことだった。安之助のほうが若くなったと いうよりも、信子が彼の年齢に接近してきたように思えた。
松本 清張. 男たちの晩節 (角川文庫) (Kindle の位置No.623-627). 角川書店. Kindle 版.
「美人は三日で飽きる」などといわれます。これはいえているように思います。女の側から見る美男にも当てはまります。
見てくれだけで付き合い始めた男女は、見た目の魅力を相手に感じなくなったとき、あとに何が残るでしょうか。
清張の作品でも、そんなことで始まった男女には、重苦しい展開を与え、必ず転落の道を歩ませます。
安之助にもハッピーエンドは用意されていないのですが、信子が「おじいちゃん」と呼んで登場するたび、私まで気分が良くなったりしました。
人間にとってももっとも大切なことは、その人間が内面に持つ心です。それが温かければ、ハッピーエンドばかりが待つとは限らない人生ではありますが、ときに心安らかに過ごせるでしょう。