現代の人が昔の人に学ぶこと

時代を経るごとに便利になります。だから、時代が進むほど人は幸せになるかといえば、そうもいえない気がします。

録画してあった番組を見ました。今年の5月27日にNHK BSで放送された『新日本紀行』です。その日の放送は、青森の「弘前」が描かれています。

番組が制作されて放送されたのは、昭和43年(1968年)です。テーマ曲の作曲は冨田勲です。が、あの耳に馴染んだ有名な曲ではありません。それ以前の曲がテーマ曲となっています。

印象深かったのは、周辺の養蚕農家の高齢者が集まる「おしら様」の行事です。

「おしら様」は、『新日本紀行』で遠野を描いたときにも登場しました。

GoogleのAI Geminiに、「おしら様」について、解説してもらいます。

「おしら様(オシラサマ)」は、主に東北地方の農家で古くから信仰されてきた家の神様であり、養蚕の神として特に有名です。

おしら様について、主な特徴をまとめました。

  • どんな神様か: 養蚕の神、農業の神、馬の神、そして家の守り神として大切にされてきました。目の病気平癒や、身体の悪いところをさすると治るといった信仰もあります。
  • ご神体の姿: 桑の木などで作った約30センチほどの棒の先に、男女や馬の顔を彫ったり描いたりしたものです。それに「オセンダク」と呼ばれる布切れの衣を何枚も重ねて着せて祀ります。毎年(または数年ごと)に新しい布を足していくため、古いものほど厚着でふっくらとした姿になります。
  • 養蚕との関わり: 「馬と娘」の悲恋物語(異類婚姻譚)が起源として伝わっています。馬と天に昇った娘が、父親の夢枕に立って「臼の中の虫(蚕)を育てなさい」と教えたことで、養蚕が始まったという言い伝えがあり、そこから養蚕の守り神とされるようになりました。
  • 信仰の形態: 大きな神社に祀られているのとは異なり、一般の旧家などの神棚や床の間に、家族単位で秘密裏に祀られることが多いのが特徴です。イタコが「オシラ祭文」を唱えて遊ばせる儀式(オシラアソバセ)も各地で知られています。

養蚕が盛んだった時代、農家の人々にとって蚕は重要な収入源でした。そのため、蚕を害から守り、たくさんの繭を実らせてくれるよう、家族同然の守り神として大切に祀られてきた歴史があります。

弘前にある真言宗の寺、久渡寺(くどじ)で、春と秋、年に2回、養蚕農家の老人らが集まる儀式を伝えています。

オシラ講(青森)/ オシラアソバセ(岩手)

久渡寺についても、Geminiに解説してもらいます。

弘前市の久渡寺は、津軽地方における民間信仰の拠点として非常に重要な場所です。

久渡寺とおしら様・イタコの結びつき

  • 久渡寺とおしら様: 久渡寺は古くから修験道の拠点であり、津軽地方の「おしら様」信仰と深く結びついていました。おしら様のご神体である木偶(人形)を、この寺へ持参して祈祷を受けたり、あるいはイタコを通じておしら様を「遊ばせる(祭文を唱えて神の物語を再現する儀式)」ことは、地元の人々にとって切実な救いの場でした。
  • イタコの役割: 昭和40年代の津軽において、イタコは単なる占い師ではなく、死者の霊をこの世に呼び戻す「口寄せ」を行い、現世の人々が抱える悲しみや罪の意識を癒やす、精神的なカウンセラーのような役割を果たしていました。久渡寺の境内には、こうした儀式を求める人々が集まり、独特の活気と厳かな雰囲気が混在していた様子が目に浮かぶようです。

どんなに世の中が便利になり、人々の生活が向上しても、昔とまったく変わらないことがあります。それは、人が生まれ死んでいくことです。

今の人も、肉親を亡くせば、悲しみに暮れます。そして、悲しみを癒すことでは、もしかしたら、昔の人のほうが上手だったのではないか、と思わないでもありません。

久渡寺で年に二度、おしら信仰の人々が集まることを書きました。そのとき、津軽中の「イタコ」が集まります。

今の人は「イタコ」を知らない人がいると思います。これについても、Geminiに解説してもらいます。

「イタコ」になるのは、かつては「視覚に障害を持つ(または弱視の)女性」がほとんどでした。

その背景には、以下のような社会的な理由と、非常に厳しい修行の道のりがありました。

1. なぜ「視覚に障害を持つ女性」が多かったのか

  • 自立の手段: 伝統的に、目の不自由な女性が社会の中で自立して生計を立てるための数少ない職業の一つでした。幼い頃に親が将来を案じ、イタコを養成する師匠のもとへ弟子入りさせることが一般的でした。
  • 社会的な役割: 現代のような社会福祉制度が整っていない時代、この職業は彼女たちが地域社会で生き抜くための大切な糧(なりわい)であり、同時に、死者の声を伝えることで人々の心を癒やす精神的な支柱でもありました。

イタコは、久渡寺に集った、「おしら様」を信仰する人々の亡き肉親の霊を呼び戻すのです。それを聴く人々は、肉親との思い出が甦り、すすり泣きをする人もいます。

現代人は、悲しみに暮れることを「恐れ」、肉親との思い出に封印したりする人もいるでしょう。しかし、時にはそれを積極的に受け入れ、悲しみに暮れる必要があります。

泣くことにより、心が浄化されます。

そのようにして、ひとしきり悲しみに暮れた人々は、その悲しみを追い払うように、境内で輪になり、盆踊りのように踊るのです。これが、盆踊りが持つ大切な意味といえるでしょう。

このあたりについても、Geminiに次のようなことを教えてもらいました。

盆踊りの本質は、単なる娯楽や賑やかなイベントではなく、死者と共に生き、やがてその悲しみを乗り越えて「生」へと回帰するための、非常に人間的なセラピーの儀式だと言えます。

その背景には、大きく分けて3つの意味合いがあります。

1. 死者との再会と、見送りの儀式

盆踊りの本来の目的は、お盆に戻ってきた死者の霊を供養し、最後はまたあの世へ楽しく送り出すことにあります。「悲しんでばかりいては死者が安心して成仏できない」という考え方が根底にあり、生者が明るく振る舞い、踊りを通じて死者を送ることで、死者も成仏できると信じられてきました。

2. 「悲しみを外に出す」装置

悲しみや喪失感というものは、自分の中に溜め込むと心を病ませる毒になります。盆踊りは、以下のプロセスを経てその毒を解毒する機能を果たしています。

  • リズムによる没入: 一定のリズムと繰り返される動作(盆踊りの手振り)は、トランス状態に近い集中をもたらします。これにより、普段の「悲しい自分」という自己意識から離れることができます。
  • 集団の共有: みんなで同じ踊りを繰り返すことで、個人の悲しみが「村全体の悲しみ」へと昇華されます。孤独な悲しみが集団の共有財産になることで、不思議と心は軽くなります。
  • 体力の消耗によるカタルシス: 踊り疲れることは、感情的な興奮を鎮め、深い安らぎ(カタルシス)を得るための身体的なプロセスでもあります。

3. 「生」と「死」の境界を越える力

昔の人々は、踊り狂うことで死者と同じ領域へ一時的に入り込み、そこで死者と交流しました。そして、夜が明けて踊りが終わると、再び「生者の世界」へ戻ってきます。

この「行って帰ってくる」という反復運動こそが、死者との死別という耐えがたい事実を、時間をかけて少しずつ自分の内側に受け入れていくための、最も古くからある心理学的な対処法だったのです。

久渡寺の境内で、老婆らが、輪になって踊る場面が印象に残りました。

番組が放送されてから58年。番組に登場した人々はこの世にはおらず、その子孫も、年々この世から去っています。そうやって、人は生まれ、死んでいきます。

今を生きる人間が、かつてこの世に生きた人を懐かしみ、弔いつつ、今を生きる人が悲しみを乗り越えて生きていく術(すべ)が、現代人が昔の人より上手になったかといえば、そうもいえない気がしてしまいます。