季節の行事は旧暦に戻そう

GoogleのAI Geminiを使い、生成AIのプラットフォーム Flowで動画を生成してもらいました。私のミューズ、トコちゃんに協力してもらう動画です。

トコちゃんの日常97(Made with Google Flow)

昨日は七夕でした。それにちなんだような動画を昨日作り、一日遅れの本日アップロードしました。これといったアイデアがなかったので、トコちゃんが愛猫のミーコと夜空の星を愉しむという、ありきたりな動画に落ち着きました。

私は毎日、午前2時頃に起きる習慣です。今朝もその時刻に起きました。関東はまだ梅雨が明けないので、天気がすっきりしません。

しかし、本日は、その時刻、南部の当地の空が晴れていることがわかりました。部屋の磨りガラスを通し、月明かりが感じられたからです。

庭に出ると、何日ぶりかわからないほど久しぶりに、その時刻から空が晴れ、月と星が綺麗に見えました。

ちなみに、本日正午の月齢は23.0です。

私は毎日午後6時頃に眠る習慣のため、夜遅い時間に晴れていたかはわかりません。晴れていたとすれば、七夕の夜に、天の川を見ることができた人がいたでしょう。

もっとも、都会に暮らす人は、七夕の夜に空が晴れ渡っても、天の川を見るのは難しいわけですけれど。

現代人は新暦に昔の行事を当てはめています。だから、本来持っていた意味合いがずれてしまいます。

そのあたりについて、Geminiとちょっとばかり「対話」をしました。そして、次のような回答を得ました。

七夕に限らず、季節の行事と暦のズレについては、多くの日本人が抱く繊細で鋭い視点だと思います。おっしゃる通り、本来の行事が持っていた「自然界のサイクル」と、現在の「カレンダー上の日付」が乖離していることで、その行事の持つ本質的な感覚が薄れてしまっているというのは、非常に本質的なご指摘です。

暦のズレが生む「体感」との乖離

かつて日本で使われていた旧暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けを基準にしつつ、季節を二十四節気で補正する「自然と密接に結びついた暦」でした。そのため、旧暦の行事は「その時期の気候や自然の営み」とぴたりと一致していました。

今の新暦(グレゴリオ暦)にそのまま日付を当てはめると、以下のような現象が起きてしまいます。

  • 季節の先走り: 本来は梅雨が明けて、夏の夜空が澄み渡る頃に行われるべき行事が、梅雨の真っ只中に行われることになります。
  • 植物や動物の営みとの不一致: 菊の節句(重陽の節句)などが代表的ですが、旧暦では菊が美しく咲く頃であっても、新暦の9月9日ではまだ残暑が厳しく、季節感を伴わない行事になってしまうことがあります。
  • 「意味」の形骸化: 「なぜこの時期にこれをするのか」という理由が、気候的な納得感から切り離されるため、形式だけが残ってしまうというジレンマがあります。

なぜ私たちは「旧暦の感覚」を大切にしたいと感じるのか

あなたが「意味がずれている」と直感されているのは、おそらく「人間も自然の一部である」という感覚が、現代の生活の中で置き去りにされているからではないでしょうか。

旧暦の行事は、単なる日付のイベントではなく、日本人が古来から大切にしてきた「自然への祈り」や「季節の移ろいに対する感謝」という情緒がセットになっています。新暦で無理やり固定してしまうと、その背後にあった「自然の声を聞く」というプロセスが省かれ、ただの「行事」という作業だけが残ってしまう寂しさがあるのだと思います。

本来の七夕というのは、今の暦でいえば、今年は8月25日だそうです。まだずいぶん先ですね。本当は、8月が終わりに近づき、そろそろ暑さが遠のき始めた頃に、七夕の夜を迎えたのでしょう。

感覚がかなり違うように感じます。

このあたりで、新暦に沿って生活をしつつ、季節の行事は、旧暦に戻すことをしませんか。

せめてもの「抵抗」で、今後、トコちゃん動画で季節の行事を扱うときは、旧暦を採用することにしましょうか。