エジプト人気質と凄惨な事件の大きな乖離

昨日、YouTubeにあった次の動画を本サイトで紹介しました。

【ニュース解説】愛のない世界で未来を平和にするには【トランプ】

動画で取り上げられている事件を私は知りませんでした。

私は、衝撃的な事件について、GoogleのAI Geminiに訊く前に、エジプト人の国民性を訊き、次のような回答を得ました。

1. 類まれなユーモアセンス(イブティサーム・シャアビーヤ)

エジプト人を語る上で絶対に外せないのが「ユーモア(ヌクタ=ジョーク)」です。アラブ世界の中でも、エジプト人はもっともユーモアにあふれ、お笑いが大好きな人々として知られています。 どんなに生活が苦しい時や政治的に困難な局面でも、それを自虐的なジョークに変えて笑い飛ばしてしまう強さを持っています。「笑い」は彼らにとって、人生の苦難を乗り越えるための最大の武器であり、日常の潤滑油です。

2. 「インシャアッラー」に代表される、おおらかさと楽観主義

エジプトの時間感覚や物事への捉え方は、非常にゆったりとしています。

  • インシャアッラー(神が望むなら)
  • ボクラ(明日)
  • マアレイシュ(気にするな、大したことないよ)

この3つの言葉が象徴するように、「先のことをあれこれ心配しても仕方がない。なるようになる」という強烈な楽観主義(ポシティブさ)があります。約束の時間に遅れることに対してもお互い寛容で、ストレスを溜め込まない知恵とも言えますが、外国人からすると「気が気でない」と感じることもあります。

3. 圧倒的なホスピタリティ(もてなしの心)と人懐っこさ

エジプト人はとにかく人が大好きで、お節介なほど親切です。 街で道に迷っていれば、一人に聞いたはずが気がつけば周りの人も集まってきてあちこちで議論が始まり、最終的には目的地まで付いてきてくれるような温かさがあります。旅人を「我が家に泊まっていけ」「お茶を飲んでいけ」と誘うのは日常茶飯事で、外国人に対して非常にオープンで歓迎する文化が根付いています。

4. 強い家族愛とコミュニティの絆

エジプト社会の基盤は「個人」ではなく「家族」や「地域コミュニティ」です。自分の親や兄弟、親戚をとても大切にし、何かトラブルがあれば親戚一同が結束して助け合います。また、近所付き合いも非常に濃厚で、まるでひとつの大きな家族のように周囲と関わり合って生きています。孤独を嫌い、常に誰かとつながっていることを好む傾向があります。

5. 感情表現が豊かでドラマチック

喜怒哀楽がはっきりしており、コミュニケーションがとても情熱的です。街中でお互いに大声で話し合っている姿を見ると「喧嘩をしているのかな?」と驚くことがありますが、実はただ熱弁を振るっているだけ、ということがよくあります。身振り手振りが大きく、自分の感情をストレートに表現することを好みます。

Geminiにエジプト人の国民性を教えてもらったあとに、2011年2月11日に、エジプト・カイロのタハリール広場で起きた事件を重ねると、大いなる矛盾を感じないわけにはいきません。

その日は、ムバラク政権によって30年間続いた非常事態法によって束縛されていたエジプト国民に自由が戻った日でした。

ムバラク政権の30年を、Geminiは次のようにまとめてくれました。

1. 30年間続いた「非常事態法」による監視

これが最大の束縛でした。1981年に前大統領が暗殺されて以降、ムバラク政権は「治安維持」を名目に非常事態法を敷き、それを30年間一度も解除しませんでした。 この法律のもとでは、警察や治安機関に以下のような絶大な権限が与えられていました。

  • 裁判所の令状なしで、いつでも誰でも逮捕・勾留できる
  • 言論や出版、集会(デモなど)を厳しく制限・禁止する
  • 個人の手紙や電話、のちにはインターネットを傍受・監視する

これにより、政府や大統領を批判することは事実上のタブーとなり、人々は常に「どこで見られているかわからない」という恐怖の中にいました。

2. 秘密警察による暴力と人権侵害

政権の手先となった「国家安全捜査局(秘密警察)」が街を睨みつけていました。政府に反抗的な態度をとったとみなされた人物は、ある日突然連行され、正当な裁判も受けられないまま長期間拘束されたり、激しい拷問を受けたりすることが日常化していました。

革命の引き金となった事件 革命直前の2010年、アレクサンドリアという都市で、ハーレド・サイードという28歳の青年が警察の汚職をネットに告発しようとしたところ、警察官から激しい暴行を受けて死亡する事件が起きました。彼の無惨な遺体の写真がネットに流出し、「次は自分かもしれない」という恐怖が「もう許せない」という国民の怒りへと変わり、革命への巨大なエネルギー(ネット上の「我々はみなハーレド・サイードだ」運動)になりました。

3. 形だけの民主主義(一党独裁)

選挙制度はありましたが、実質的にはムバラク大統領の与党(国民民主党)が不正選挙を繰り返し、議会の議席を独占していました。野党の有力な政治家は逮捕されるか立候補を阻まれ、国民には「選挙でリーダーを選ぶ自由」が実質的に与えられていませんでした。

日本でも、高市早苗政権誕生により、緊急時代条項が取りざたされています。それがどんなことを目指すのか知りませんが、ムバラク政権下のように、次のようなことが実施されたら恐ろしいです。

  • 裁判所の令状なしで、いつでも誰でも逮捕・勾留できる
  • 言論や出版、集会(デモなど)を厳しく制限・禁止する
  • 個人の手紙や電話、インターネットを傍受・監視する

ムバラク政権によって極度に束縛されていた国民が、政権が倒れたことで、自由を取り戻したことに歓喜し、広場には数十万人の人々が集まっていたそうです。

その様子を、CBSニュースの看板記者だったララ・ローガン氏という女性記者が映像で伝えています。時刻は夜だったのでしょう。

ローガン記者と周囲の群衆を撮影するため、バッテリーライトを使っていたそうです。そのバッテリーを交換するため、ライトが消えた瞬間、女性記者の体に、周囲から無数に伸びてきたそうです。

彼女は「止めて」と絶叫し、必死に抵抗したそうです。しかし、彼女の抵抗が強まれば強まるほど、彼女への攻撃は強まる一方だったようです。

ズボンや下着が消えたということですから、丸裸にされたのでしょう。しかも、彼女は全身を殴られるなど、暴力を加えられます。

それが25分も続いたそうです。最後は、周囲にいたエジプト人の女性グループが、命がけで、彼女を護り、命を助けられたそうです。

この出来事をGeminiに訊き、次のような回答を得ました。

1. 「群衆心理」と「極限の無秩序状態」

事件が起きた2011年2月11日は、30年続いた独裁政権のムバラク大統領が「辞任を発表したまさにその日」でした。

タハリール広場には数十万人の群衆が押し寄せ、狂喜乱舞していました。この時、エジプトの警察組織はすでに崩壊しており、広場には治安を守る人間が一人もいない「完全な無秩序状態(アナーキー)」でした。 心理学でもよく知られていますが、人間は匿名性の高い巨大な群衆の中に身を置き、理性が吹き飛ぶほどの興奮状態に陥ると、個人の道徳心が麻痺し、普段なら絶対にやらないような残虐な行動(集団ヒステリーや暴徒化)に走ってしまうことがあります。

2. 独裁政権が仕掛けた「外国人記者への敵意」

当時、追い詰められたムバラク政権は、国営放送などを通じて「この混乱は、外国のスパイやメディアがエジプトを壊すために仕組んだ陰謀だ」というプロパガンダ(政治的な宣伝)を激しく流していました。

そのため、興奮した暴徒たちの目には、ララ・ローガン記者が「エジプトを陥れに来た外国のスパイ」のように映り、それが異常な敵意や攻撃性へと変換されてしまったという側面があります。事実、彼女を襲った男たちは「イスラエルのスパイだ」と叫んでいました。

3. 一方で、彼女を救ったのも「エジプトの人々」だった

この事件のもう一つの重要な事実は、彼女を死の危機から救い出したのもまた、エジプトの人々だったということです。

何百人もの暴徒に囲まれる中、異変に気付いたエジプト人の女性たちのグループが命がけで彼女の周りに人間の壁を作りました。さらに、エジプト軍の兵士たちも駆けつけ、彼女を暴徒から引き離して救出しました。ローガン氏自身も、のちのインタビューで「あの時、私を助けようとしてくれた勇敢なエジプト人たちがいた」と語っています。

Geminiとの「対話」をNotebookLMに読み込ませ、解説動画の生成を試みました。しかし、問題があるのか、動画にしてもらえませんでした。

米国に戻ったローガン記者は、今では、ドナルド・トランプ大統領の強力な支持者だそうです。この事件が起きた時の米大統領は、バラク・オバマ氏でした。

ローガン氏が看板記者をしたCBSは、この事件をはじめは隠そうとしたそうです。

これらのことからどんなことを考えるかは、あなたに委ねます。