2008/11/16 浦山桐郎の『キューポラのある街』

やっぱり私は極端な人間にできている、のでしょうかf(^_^)

映画にしても見るときは立て続けに何本も見たりしますが、一旦見ないサイクルに入りますと、今度はまったく見なくても平気な時期が続いたりします。昨日までは見ないサイクルに入っていたようで、今のサイクルに入る前で最後に見たのはいつで何を見たのか? と調べてみましたら、自分でも驚いてしまいますが、昨年の11月の今頃に見た『ブレード・ランナー ファイナル・カット』でした。

いやー、懐かしいとさえ思ってしまうほど“昔”です。これまでの期間私は何をしていたかといいますと、まあ、たいしたことはしていません。強いて挙げれば、歯科医院通いに精を出していたぐらいです(^m^)

本日の豆誤変換
×「歯科医院が良い」→ ○「歯科医院通い」(^O^;

誰でも同じだと思いますが、しばらく休んだあとに再び動き出すのは腰が重く感じると思います。今回私の重い腰を上げさせたのは、ある映画監督の作品が上映されると知ったからです。知ったのは11月に入った頃でしたか、朝日新聞の映画紹介ページにある広告が載り、それを目にした瞬間、私の腰の辺りに羽でも生えたかのように、「この映画を見に行きたいかも」という気持ちが芽生えました。

そう私を思わせた監督は、浦山桐郎(うらやま・きりお)です。

浦山監督といいますと、思い出すドキュメンタリー番組があります。これについては本コーナーでも少し書いたことがありますが、1998年にフジテレビで「映画監督・浦山桐郎の肖像(ポートレイト)」というドキュメンタリーが放送されました。ということで、昨日見た作品と平行して、ドキュメンタリーで描かれた浦山桐郎という人物像も紹介していくことにします。

番組は全編インタビュー形式を採り、そのインタビュー役とディレクターを買って出ているのは、映画監督の原一男さんです。原監督といいますと、日本映画史上最強のドキュメンタリー作品といっても決して過言ではない『ゆきゆきて、神軍』を反射的に連想される人が多いと思います。

浦山さんの素顔に迫るドキュメンタリーも制作の姿勢は変わりません。違うのは、登場人物だけです。作り方は至ってシンプル。原監督が浦山さんのご兄弟をはじめとして、浦山監督と生前一緒に仕事をした人たちにカメラとマイクを向け、得られた証言から浦山桐郎という人物像を組み上げていきます。

浦山桐郎が映画監督としてデビューすることになった記念すべき作品は、昨日見てきた『キューポラのある街』1962年)です。この作品は、題名だけは昔からよく知っていましたが、当時から人気女優だった吉永小百合が主演しているなど、商業的な臭いがすることなどもあって私は敬遠してきたといいますか、まじめに見る気が起きませんでした。それが今回、劇場のスクリーンでこの作品に接し、これまで私が抱いていたイメージが思い込みでしかなかったことを思い知らされました。

この作品が生まれるまでの経緯は、原一雄監督が撮ったドキュメンタリーの中でも語られています。

それによりますと、当時助監督だった浦山さんは助監督仲間で、『キューポラのある街』で助監督を務めることになる大木崇史さんとふたりで、映画化できそうな小説探しに懸命になっていたそうです。そんな月日が3カ月ほど過ぎたある日、ふたりはその頃には疲れ果てていて、「今から撮影所に帰ってもしようがない。麻雀でもするか」ということになり、明大前駅で降りたそうです。

で、降りたはいいものの、やっぱりいつもの癖でふたりは書店に足が向いてしまったそうです。店内には4段ぐらいの書棚があって、新刊本などが並んでいたそうです。ふたりしてその書棚を目で追っていくうち、一番下の段にあった『キューポラのある街』が偶然視線の隅に入ったそうです。はじめはタイトルの「キューポラ」に引っかかり、「キューポラって何だ?」というので本を手に取ったのかもしれません。

おそらくはその時初めて目にした小説だったのだと思いますが、パラパラッとめくっている浦山さんに大木さんが「どうなんだ?」と訊くと、「うん、子供の話だから面白そうだ」と漏らしたそうです。

その後、浦山さんは大木さんに「麻雀の残りメンバーを見つけてくれ」と頼み、自分は麻雀屋でその本を読みながら待ちました。大木さんがメンバーを連れて麻雀屋へ行くと、浦山さんは興奮状態だったそうです。「OK!! 行けるぞー!!」。偶然手にした本の内容に興奮し、その勢いで会社に作品の映画化を申し出ることになります。

私は昨日、この作品を見てきてからネットで調べましたら、原作者の早船(はやふね)ちよさんというのは共産党員だったらしいです。そういわれてみれば、原作がそのまま映画化されたのかどうかはわかりませんが、そんな臭いも感じないではありません。

それもあってか、会社側ははじめ乗り気ではなかったそうです。しかし、浦山さんらの熱意に動かされもしたのか、それならいいだろう。その代わり、主演の少女役は吉永小百合を使え、といってきたそうです。

攻守交代で、今度は浦山さんが途端に乗り気でなくなります。

話は変わりますが、生前の浦山さんを知る人が異口同音に語るのが浦山さんの大変な酒乱です。とにかく、アルコールが回ると、普段の浦山さんから豹変し、手がつけられなくなったようです。

インタビューを伺っていますと、浦山さんが豹変するきっかけにはひとつのパターンのようなものがあるように思います。それを私なりに解釈しますと、「上辺だけの人間が大嫌い」です。

酒が回っていよいよ正体が怪しくなります。そのとき、浦山さんの隣で、体裁のいいことばかりいっているヤツがいたりしますと、途端に浦山さんの機嫌が悪くなります。そして、いきなりパンチ浴びせたりしてしまうのです。「調子いいこといってんな! この野郎ー(((((;`Д´)≡⊃)`Д)、;’.・!!」てなもんでしょう。

そのくせ浦山さんは喧嘩が弱かったそうで、逆に殴り返されては伸びてしまったりしたそうです。

同じようなものの考え方は、役者選びにもあったのでしょう。周りからちやほやされているような人気スターなんて大嫌い、というヤツです。で、困ったことに会社側から押しつけられた吉永小百合といえば、当時、押しも押されもしない人気スターでした。

その当時、浦山さんが映画を撮っていた日活映画は、それまで人気を博したアクションものから路線を変更しようということで、吉永小百合らを起用した文芸路線をメインにしていたようです。

結局は、背に腹は代えられないということで会社側の方針に従って吉永小百合で『キューポラのある街』の撮影に入りますが、まずどのシーンを撮るかということになりましたが、作品の中盤以降に出てきたと思いますが、吉永が扮するジュンちゃんが土手を走るシーンです。

撮影に入る直前、吉永は盲腸の手術を終えたばかりだったそうです。吉永で行くことに依然として確信を持てずにいた浦山監督は、手術からほどない吉永を走らせ、彼女の根性の値踏みをしたことになります。

土手を、中学校の同級生の女の子ヨシエが自転車で行きます。それをジュンが走って追いかけるのです。「私、パチンコ店のアルバイトを止めることに決めたの。それを店の人に伝えて欲しい」。こんな台詞だったか自信はありませんが、まあ、こんな感じです。ちなみに、同級生は北朝鮮人の父親を持つ設定で、作品の重要なポイントとなっています。

抜糸からまだ1週間も経っていなかったそうですからおそらくは傷口が痛んだであろうのに、吉永は弱音を見せることなく演じ切り、その瞬間、浦山監督は安堵や手応えを感じ始めたかもしれません。

作品は白黒のシネマスコープです。描かれる時代が東京オリンピックを前にした1960年代はじめということで、人々の暮らしは今に比べて貧しいものの、未来に希望を持ち、活気や明るさに満ち溢れています。

長屋住まいのジュンの家族は、職人気質の父親(=東野英治郎)が永年勤めた工場から人員整理で解雇されるなど、家庭の事情は良好ではありません。おまけに、次の子供まで産まれてしまいます。家が貧しいため、友達がみんな制服で通うところ、ジュンは制服を買ってもらえないのか、いつも同じブラウスとセーターです。

ジュンにはふたりの弟がいるのですが(一番下の赤ん坊が男なのか女なのかわかりません)、上の弟の演技がなかなか達者で、友達とのやり取りは楽しませてくれます。その仲の良い友達というのは、上の動画に出てくる朝鮮人の父親を持つトシエの弟です。ふたりの悪ガキは、時代の空気の中で、ときに羽目を外して日々を過ごします。

その時代、日本政府は、日本国内に暮らす朝鮮人に祖国へ帰ることを促していました(在日朝鮮人の帰還事業)。ジュンの弟タカユキの友達サンキチの家族も北朝鮮へ帰ることが決まり、日本を立つ日が迫ってきました。サンちゃんの家族は、母親は日本人のため、日本に残ることになりました。

別れを前にしたタカユキとサンキチの牛乳泥棒と喧嘩のシーンは、原作にはなく、浦山監督のオリジナルだそうです。喧嘩別れをしてしまったため、見送りには来てくれないと思っていたサンキチの見送りにタカユキが駆けつけ、ふたりの友情を確認します。助監督を務めた大木さんは「あそこが一番浦山らしさが出ているところで、『キューポラ_』を見るならあそこを見て欲しい」というようなことをインタビューで述べています。

サンちゃんが父親や姉と北朝鮮へ渡ってしまったと思っていたとき、タカユキは街でサンキチにバッタリ会います。上野駅へ向かう列車の中から、サンキチはタカユキの伝書鳩を放します。その鳩が空に舞い上がり、自分が暮らしてきた埼玉の川口の方へ飛んでいくのを眺めていたら急に切なさが募り、ひとり残してきた母親に堪らなく会いたくなり、舞い戻ってしまったというのでした。

映画のラストシーンは、サンちゃんが父と姉を追いかけて乗った列車を、陸橋の上からタカユキとジュンが見送るシーンです。こうして見ますと、吉永小百合が主演で知られる作品ですが、案外と、タカユキやサンキチが主要な位置を占める作品にも思えてきます。

それはそうでした。書店の一番下の段に偶然見つけた原作本に初めて接した浦山の第一印象は「子供の話だから面白そう」でした。その時代にもあった貧富の差が作品の重要なテーマなのでしょうが、それを描きつつ、当時の子供たちの世界を生き生きと描くことが浦山の狙いだったともいえそうです。

子役に限らず、大人の役者もいい演技をしているんですよねぇ。吉永の相手役の浜田光夫も先生役の加藤武もまだ若くていい演技をしています。その加藤さんが原一男さんのインタビューに「酒癖が悪かった」と答えていますが、本作の撮影中に絡まれるようなことはなかったでしょうか。

以上本日は、昨日見てきた『キューポラのある街』と監督の浦山桐郎の話を書いてみました。本作を含むプログラム「日活文芸映画の世界」は、11月8日から12月5日までの4週間、東京・神田神保町にあります神保町シアターで組まれていますので、行ける地域にお住まいで時間がある方は、足を運んでみてはいかがでしょうか。

本作を含む日活文芸作品特集のチラシ画像

プログラムを見ますと、他にも見たい作品が多くて困ります。ということで、期間中、何度か足を運ぶようになるかもしれません。私という人間は極端にできていますから、これがきっかけに、今度は一転して映画を見るサイクルに突入してしまったりして(^m^)

本日の豆情報
神保町シアターは、全座席数が【99席(組み立てステージ設置時は90席)】とこぢんまりとしていますが、足元が広々として座り心地は抜群です。劇場は地階にあり、全回入れ替え制です。なお、お出かけになる際は、座席数分が埋まりますと希望する回に見られなくなることもありますので、休日に人気作品と思われる場合を見る場合は、早めに劇場へ行かれることをお勧めします。

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