一週間前の本コーナーで、自民党の新総裁になったばかりの高市早苗氏(1961~)について書きました。
高市氏が今月21日に予定されている首班指名(内閣総理大臣指名選挙)を経て、首相になることが見えてきました。
ただ、四半世紀にわたって自民党との連立に加わっていた公明党が連立から離脱したことで、先行きがいささか不透明になってきました。
最終的にどこへ落ち着くかわかりません。そして、高市氏が首相になって内閣を組閣することになれば、閣僚のひとりにおさまりそうな木原誠二衆議院議員(1970~)に簡単に触れ、ひとつの懸念として、ある事件について書き添えました。
世間では「木原事件」とされる事案です。
私はこの事案を聞いたことがありましたが、特別関心がなかったので、詳細はまったく知りませんでした。
本事案を初めてぐらいに聞いたのは、ネットの動画共有サイトYouTubeで、暴露系YouTuberの黒川敦彦氏(1978~)が、木原氏の選挙事務所の前に選挙で使うマイクロバスを横付けにし、屋根の上に載って、そこから、本事案や楽天の三木谷浩史氏(1965~)との関係、あるいは、ウクライナから連れてきた若い女性らとのよろしくない関係で木原氏を追及する動画を見たときです。
その動画は本サイトで紹介しました。今もその動画がYouTubeから削除されずにあるかどうかはわかりません。
「木原事件」というと、木原氏が事件に関わりそうな印象を受けます。しかし、実際のところは、事件とは関わりがありません。そもそもの話、それは事件とすべきところ、所轄の東京・大塚警察署が、捜査をせずに、自殺事案として処理してしまっています。
その事案では、当時、28歳だった安田種雄という青年が、死亡しています。遺体が大塚の種雄さん宅で発見されたのは2006年4月10日午前3時頃です。遺体を発見し、110番通報したのは、種雄さんの父親です。死亡したのは前日の午後10時頃です。
警察は種雄さんの死亡を自殺として、捜査をしませんでした。しかし、死亡の状況を見ると、誰が見ても、何者かによって殺害されたことが窺われます。
亡くなった種雄さんの妻は、本事案の2年後に木原衆議院議員と出会い、2014年に員と再婚しています。これらのことから、「木原事件」といわれるようになったのでしょう。
木原氏は事件とはまったく関わりがありません。被害者の男性の元妻が木原氏の妻になったのです。
事件として捜査されるべきところ、12年間は自殺扱いで、捜査はされていません。それが再び動きだすのは2018年です。
当時、大塚署で刑事をしていた女性警官が、本事案にたまたま注目したことが、きっかけです。
しかし、このときの捜査は、短い期間で中断されます。捜査が再開されたのが4月で、その年の10月下旬には突如終了させられています。
それは、木原氏が国会議員で、しかも要職に就いていたことが関係するのか、あるいは、木原氏の立場を忖度する形で、警察側が手を引いたのかはわかりません。
その後、警察庁長官が、本事案を「事件性なし」と記者会見で述べたことに強く反発する元刑事がいました。その人は、2018年に捜査が再開されたとき、捜査に加わっています。
彼は、本事案を取りあげた『週刊文春』から取材を受けるなどしたことから本事案を積極的に取りあげ始め、顔出しをして、本名を名乗り、本事案における警察の批判を展開するようになります。
それをしたのが、18年間、警視庁捜査一課で刑事をした佐藤誠氏です。佐藤氏は、YouTubeでも活動を始め、ご自身のYouTubeチャンネルを通じ、本事案やほかの事件、警察絡みの不祥事を取りあげる動画を配信されています。
その佐藤氏が書いて、一年前に出版された『ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録』をAmazonの電子書籍版で読みました。
半分ほどが本事案にあてられ、残りの半分は、佐藤氏が警察官になるまでとなったあとのことにあてられています。
佐藤氏は青森県の生まれです。佐藤氏の父親はNHKでディレクターをされていたそうです。そのため、何度か転勤があり、そのたびに、子供であった佐藤氏は各地を転々とされます。
大学は東京の大学で、さまざまなことに興味を持つような性格だったからか、大学には5年間通ったと書かれています。
就職をするまで、警察官になろうとは考えていなかったそうです。大学は青山学院大学で、渋谷署に張り出されていた求人募集を見て、応募したところ、警視庁に採用されたそうです。
警察官になってからは、2年間交番に勤務しただけで、小平署にいたときに、上司に見込まれて、被疑者を取り調べる取調官するようになります。
その上司の推薦で捜査一課へ異動し、そこで、異例ともいえる、18年間、捜査一課で、取り調べをされています。
佐藤氏の本を読んでいて印象に残ったのは、捜査一課にいた18年間は、必ず駅で、新聞を買い、隅々まで熟読されたことです。その新聞は朝日や読売、毎日などではありません。東京スポーツ(東スポ)です。
意外ではありませんか? しかし、佐藤氏の考えを聞くと、なるほどと思わせられます。
佐藤氏が取り調べると、それまで何年も、ときには十年以上、何も話さなかった被疑者や、死刑囚が、気がつくと、自分から話を始めることがあるのです。
刑事が取り調べるというと、ときには暴力紛いのことまでして相手の口を割らせるイメージがあります。映画やテレビドラマの取調室は、多くがそのように描かれます。
佐藤氏の場合は百八十度違います。
佐藤氏は相手を見て、その人間が興味を持てそうなことを知り、その話題に、取り調べ時間の9割近くあてるのです。
事件を起こすような人間は、競馬や競輪、パチンコ、あるいは女性関係などが興味の対象であることが少なくありません。
佐藤氏が偉いところは、それらを知識として得るだけでなく、自分でも競馬場や競輪場、パチンコなどへ行き、自分でそれを実体験していることです。
そして、東スポを日々熟読することで、幅広い話題を自分の引き出しに溜めていき、取り調べでそれを利用するのです。これらの話題の収集には東スポが最も適っているというわけです。
「監禁王子」とされた容疑者の取り調べも佐藤氏が受け持ったそうです。
この容疑者は、自分を「王子」とするなど、それまで取り調べた刑事を泣かせていました。
佐藤氏はこの容疑者を取り調べるため、容疑者が興味を持つアニメやゲームを体験することもしたそうです。
そうやって、被疑者や刑罰が確定している人間と自分を同じ地平に、ときには、自分のほうが謙ることまでして、雑談をするのが佐藤氏の取り調べのやり方です。
佐藤氏が取り調べを始めた頃、ひとりの殺人が取り調べ相手になります。
その男は、満足に教育を受けられなかったようで、漢字で自分の名前を書けなかったそうです。それを知った佐藤氏は、事件のことは何も訊かず、その男に漢字を教え、まずは、自分の名前が書けるようにしてあげます。
名前が書けるようになってからは、耳や口など、簡単な漢字の練習をしたそうです。
そんなことをしたことで、犯人のほうから、事件のことを話し始めたそうです。
これを佐藤氏は「ポライト状態」と書いていたと記憶します。何も話さないでいたら、佐藤氏を困らせてしまうという気持ちが被疑者や犯人の側に起こり、自分から話し始めるのだそうです。
佐藤氏が取り調べた中には、マブチモーター事件の犯人もいます。
佐藤氏が取り調べた時点で、死刑が確定していました。それでも、十年以上、その死刑囚は詳しいことは何も話していませんでした。
佐藤氏は、東京・目黒で起きた歯科医師強盗殺人事件についての取り調べをしています。
この死刑囚は競馬が好きであることがわかります。それを見抜いた佐藤氏は、自分が高校生だった頃、八百屋でアルバイトし、アルバイトで得た10万円を、アルバイト先の先輩の勧めで、ある1レースに全部かけた話をします。
これも、佐藤氏は将来自分が刑事なることを考えてしたことではありません。しかし、佐藤氏のそのような生き方が捜査一課で取調官をする仕事に結果的に活きた好例といえましょう。
佐藤氏とすっかり打ち解けた死刑囚に、どうして、被害者になった歯科医師を狙ったのかと訊くと、電話帳の一番前に載っていたからと答えたそうです。
マブチモーター事件の死刑囚を取り調べた最終日、どうしてしゃべってくれのかと訊くと、次のような答えが返ってきます。
「刑事さんは朝、ちゃんと迎えに来てくれたし、房に入るときも最後まで見届けてくれたから」
佐藤 誠. ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 (文春e-book) (p.186). 文藝春秋. Kindle 版.
人殺しをした人間であっても、佐藤氏はひとりの人間として扱います。それが相手に通じ、本心を明かしてくれたということでしょう。
佐藤氏の考え方や行動は、人が生きていく上で、大いに参考になります。私自身、学ぶべきことが多くあると気づかされました。佐藤氏のようには生きられませんが、少しでも見習っていきたいと考えています。
「木原事件」を扱ったYouTube動画にゲストで出演した次のYouTube動画の中で、佐藤氏が、木原議員を「(事件のあと離婚しない木原氏を)すごい偉いなと思った。男らしいなと」「(女性を守る姿勢は)見習わなくちゃいけない」と評する場面があります。
本事案を取りあげたYouTubeは、木原氏を批判するものが多いように見受けられます。佐藤氏はその流れには乗らず、自分の考えで木原氏を見ています。
このあたりにも、佐藤氏の生き方が現れているように感じます。
佐藤氏が望むように、本事案が殺人事件として捜査が進み、「ホンボシ(真犯人)」が逮捕される展開になることを願うばかりです。
