2006/06/28 甲斐庄楠音

本日は、先日(25日)の「新日曜美術館」(日曜美術館 NHK教育/日曜09:00~10:00 再放送20:00~21:00)で取り上げられた日本画家甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)について書いておきたいと思います。

当日の番組タイトルは_「穢(きたな)い絵だが生きている 大正画壇の奇才・甲斐庄楠音」です。

のちに先輩画家に「穢い絵」と烙印を押される楠音が描く女性像。私は当日の番組にはそれほど興味がわかず、習い性で見始めました。

それが変わったのは、楠音が描いた絵が紹介されたとき、ではありません。

たしかに、「大正画壇の奇才」と称されたのも頷ける画風ではありました。しかし、あまりにも「作り絵」っぽいのがどうも私の好みに合わないことを感じていました。

楠音は、「男が詩想した女ではなく、針でつけば真っ赤な血潮が吹き出るような、生身の女そのものを描きたい」と願い、それを絵筆に込めたということですが、それでも日本画の画材が制作に制約を課し、少なくとも私の眼には、生身の女を描いたようには映りませんでした。

大正9(1920)年に描いた絵に『幻覚』があります。

ここに描かれている女の顔ときたらどうでしょう。まさに“幻覚”でも見て踊らされてでもいるのか、目元は赤く、これまた赤い口元からは舌が覗いています。とても上品とはいえない図ではあります。

また、その翌年に描いたとされている『春宵』。

ここでは、見るもおぞましいような、でっぷりと太った女が、その口元から、お歯黒を覗かせています。

2点を紹介してみましたが、さて、これらの作品を飾って毎日眺めたい、と思われたでしょうか。

しかし、これらのグロテスクともいえる作品を描く以前、楠音はもっとまともなな女性像を描いた時期がありました。であったからこそ、画家仲間に呼び寄せられ、展示した作品が当時の新聞紙上で絶賛され、一躍大正画壇の寵児としてもてはやされたのでした。

それではなぜ、優美ともいえた女性像(←個人的にはちょっと甘い感じに映りましたが)を捨て、土田麦遷(つちだ・ばくせん/1887-1936:日本画家。本名、金二。佐渡生まれ。京都に出て竹内栖鳳に師事。西洋画風を取り入れた日本画を文展に発表して名をあげ、榊原紫峰村上華岳らと国画創作協会〔国画会〕を創立=広辞苑)から「穢い絵」と唾棄されるような画風へと変貌してしまったのでしょうか。

そこには、楠音の生涯に一度の恋、そして、失恋がありました。

楠音は、トクという名の女性を愛していました。番組によれば、画家仲間の妹であったそうです。残された写真を見ると、そこには楠音の隣に楚々とした佇まいの女性としてトクが写っています。

しかし、そのトクは、株成金(と番組ではナレーションされました)の男に強引に横取りされてしまいます。トクの腹にはその男の種が宿り、男の妻にさせられてしまったのです。生涯に愛したただひとりの女性・トクを失った楠音は、気もふれんばかりに嘆き悲しみます。それが、楠音の画風を一変させることとなりました。その頃に描かれたのが、先にご紹介した『幻覚』であり『春宵』です。

同じ頃に描かれた作品に『白百合と女』(大正9)があります。これは、トクへの想いをそのまま描いた作品と受け取ってもいいでしょう。身籠もった女が顔を傾けている図ですが、その顔からは、生命誕生を待つ女の喜びは見て取れません(個人的には、この作品が一番しっくりときました)。

と、ここまで書いてきて、冒頭でそれとなく匂わせた、私が楠音に関心を持たざるを得なかったある指摘に話を移すことにします。

その指摘は、当日のゲストであった編集工学研究所・所長の松岡正剛さんからありました。

本日の豆情報
当日のもうひとりのゲストは、新進気鋭の日本画家(番組内紹介)という松井冬子さんでした。長い髪に、クレオパトラばりのきっちりとしたメイクで、彼女の絵(どんな絵をお描きになる方なのか知りませんが)以上に、彼女自身が絵になるように感じました。が、ネットで検索してみたところ、彼女に対する見方は賛否両論あるみたいです。

松井さんの、「楠音は女の側から女を描くことができたように思う」というような感想に呼応するように、松岡さんから、「楠音にはバイセクシュアル(両性愛)やホモセクシュアル(同性愛)なところがあり、本人もそれを隠していなかったと思う」という発言が飛び出したのでした。

私は松岡さんの言葉を聴いて、すぐに納得できました。番組のはじめ、画面には楠音の若き日の写真が映し出されましたが、その面差しには、儚げな女性にも通じる匂いが漂っていたからです。

松岡さん曰く、日本画の世界に限らず、歌舞伎など日本の伝統文化には、そうした性が錯綜した部分が決して薄くなく影を落としている、というのです。世阿弥もそれに属する人物であったであろう、というお話でした。

残念だったのは、その松岡さんの発言に対して、司会の壇ふみさん、野村正育アナウンサー、そしてもうひとりのゲストの松井冬子さんから何もリアクションがなかったことです。そこで、楠音の性癖を突破口にして、表現行為におけるそうしたものの関わりに話を展開させていったら聞き物になったのでは、と悔やまれます。それとも、編集でカットされてしまったのでしょうか。

松岡さんはその点については番組終盤でもう一度触れ、「表現の歴史には傷ついた者の歴史があり、綺麗事でなく、それらを研究する必要がある」というようなことを述べていらっしゃいます。

楠音の表現技法で私が関心を抱いたのは、写真の多用と、絵具の扱いです。

まず写真ですが、楠音が写真を活用していたというのを、私は今回初めて知りました。楠音に関する資料を発掘する中で、50冊にも及ぶスクラップ・ブックが発見され、その中に、完成作品の元となった写真が発見されたそうです。

その一枚には、女装し、化粧をほどこして“しな”を作っている楠音が写っています。こうして楠音自身の中に潜む女性性を確認していたと見ることもできますが、同時に、これはこのあと制作される作品の“下絵”の意味も持ったでしょう。

それで思ったのですが、楠音自身が「生きた女を描きたい」と願って制作された作品に、もうひとつ生身の人間が感じられないのは(←私個人は、という意味です)、日本画の画材が持つ特性にあると思います。

この画材は、油彩画のように絵具をグイグイ塗り込むことができません。ひたひたの絵具を乾かしながら何層も塗り重ねる必要があるからです。その結果、油彩画の、たとえば自画像のように、鏡に映った自分自身を直に支持体に写し取ることはできなくなります。

要するに、いったん、定着した像を本画に仕上げ直す、という二重の行程を経てしか完成を見ないことになるのです。そこには、レンブラントの自画像に見られるような、ダイレクトな生身の人間は存在しにくくなっても、無理はないかもしれません。

これにつながる話として、楠音の技法ですが、楠音はまるでレオナルド・ダ・ヴィンチを思わせるような「ぼかしの技法」を駆使したようです。なるほど、『島原の女』(大正9)の顔の表現には、レオナルドにおけるスフマート的なものが感じられなくもありません。

時代が昭和に入ると、楠音は絵画に対する情熱を急速に失っていったようです。そんな楠音が次にその力量を発揮したのは映画の世界です。

楠音は女性像を描き、そして、自らも女装することで、着物が持つ美に傾倒していったのでしょうか。それもあってか、楠音は時代劇の衣装デザインを手がけるようになりました。そんな楠音に一番期待したのが、映画監督の溝口健二でした。

ふたりの仕事が結実したのは、『雨月物語』1953年)でした。

楠音がデザインした衣装は、アカデミー賞の衣装部門にノミネートされたといいます。また、衣装だけでなく、女優の所作を楠音にまかせると独特の色っぽさが出るということで、演技指導の一部も任されるようになっていたようです。

「浄土」が望まれる理想の世界であるとすれば、楠音がこだわりを持って表現したのは「穢土」といえましょう。

楠音の絵に「穢い」と烙印を押した土田麦遷が悪役にさせられてしまっているような気がしないでもありません。私が同時代に楠音の『幻覚』や『春宵』を見たら、同じような感想を持つでしょうし、現代においても、私の眼には穢くない絵には見えなかったりします(←回りくどいいいかたですね(´Д`;))。

楠音は、溝口健二監督がこの世を去った昭和31(1956)年を境に、再び絵の世界に戻ったようです。ただ、それ以降の作品を見ると、以前にあった毒気のようなものが抜け去っていることに、何か拍子抜けする一方、ホッと安心できたりもします。

おそらく最晩年の彼が写る写真からは、達見したような楠音の生き様が感じられるように思います。

時には、自分自身の性癖に悩まされることもあったでしょう。自作が理解されないことに対する不満もあったでしょう。そして、生涯ただひとり愛したトクへの断ち切れない想いもあったでしょう。しかし、それらがすべてあった上での甲斐庄楠音の一生なのです。

そんなことを考えさせてくれるような、晩年の楠音の写真のように私には映ったのですが、いかがでしょうか。

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