日本の教育制度を転換しよう

私の結論から先に書きます。 入学試験 は必要ないと考えます。

おそらくは明治時代になってからだと思いますが、日本で入学試験というものが導入されました。以来、年々この傾向が強まっていったものと思います。

中学校までは地元の公立へ進んだとしても、高校から上の学校へ進むためには、自分の志望する学校の入学試験に合格しないといけない仕組みです。

学校で一学年の生徒数には限りがあり、志望者が多すぎてはいけませんので、それで、志望者に試験を課し、合格した者だけに入学を認めるという考え方があり、これが正しいと一般的には考えられているでしょう。

ただ、ここでも私は疑問を持ったりします。

日本全国にある高校を全て公立校にし、それぞれの自治体の人口に比例する学校数と生徒数を用意したらどうでしょう。基本的には生まれた土地で生活し、公立中学で3年間学んで卒業した生徒は、そのまま、地元の高校へ全員、無試験で進むようにするのです。

高校までは義務教育とし、基礎的な学習を全国一律で行うのです。

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今では大学への進学率が高まり、それへ向けての受験競争が激しくなっていますが、個人的には無意味なことだと考えます。

生徒それぞれの習熟度を学力偏差値(以下、同じ意味は「偏差値」)という物差しで区分したりしますが、これで各人の頭脳の優劣を見極めることはできないと私は昔から考えています。

日本の学校教育は、東京大学を頂点に下へ行くほど学力が下がるとされていますが、これに惑わされない方がいいです。受験教育に勝る人が、そうでない人より優れている保証がないからです。

難しいとされる大学を目指す人は、ほぼ例外なく受験予備校へ通い、合格のためのテクニックを身に着けるのでしょう。私は昨今の実体は承知していませんが。

そもそも、なぜ難関大学を目指す人があとを絶たないのでしょう。それは、その大学を出たあとのことを考えるからです。

日本にはいつの間にか、大学と企業や組織との間にレールが敷かれ、高給取りになるには難関大学へ行かなければならない仕組みが作られてしまいました。

大学側としても、自校の卒業生を有名企業へ一人でも多く送り込み、大学のブランドを挙げることに懸命になっている印象です。ですから、卒業見込みの学生へは、大学側が必至の就職斡旋を行います。

私はこうした仕組みには昔から疑問を持っています。

一度、この仕組みを全て壊してしまったらどうでしょう。

基礎学習は必要ですので、高校まで、あるいは中学まででもいいですが、その期間は義務教育とし、地元の学校へ全員が無試験で入学できるようにし、勉強してもらいます。

そのあとは、当人に学びたい学問や技術があれば、あとは各人の自由意思で学べるようにするのです。その際、入学試験は行いません。学ぶ権利は全ての国民が有しているわけですから、その意思を試験の合否で遮断できる権利を教える側には与えません。

今の学校教育を歪めているのが、すでに書きました学歴社会の行き過ぎです。

他の国の事情は承知していませんが、日本に限りますと、学歴は「学校歴」と同じ意味になっています。何を学ぶかよりも、その学校のブランドで入学先を選ぶ具が横行しています。

中学や高校を卒業し、それ以上学びたいことがない人は、自分がやってみたい仕事に就けばいいでしょう。高校が中学の延長のようなものであれば、中学までを義務教育とし、高校は自由意思にしてもいいのかもしれません。

あるいは、中学より上は、別に大学と呼ばなくてもいいですから、より専門的なことを教える学校でひとくくりにするといいでしょう。この段階から、私立の学校も教育機関に加われます。

それぞれの学校が特色のある教育を行い、多くの学生に学んでもらうのです。

そこで学んだ学生が、十分学べたと考えれば、就職を考えてもいいでしょう。その際、学校側が学生の就職を世話する必要はありません。学校は、学びたい人のために機会を提供するのが責務だからで、それから先のことは無関係で構わないのですから。

人それぞれで興味の対象は異なります。

ある人は、大工さんが家を建てるところを見て興味を持ち、自分も同じような仕事をしたいと考えたりするでしょう。また、ある人は、病気で入院し、そこで働く看護師に関心を持ったりもするでしょう。

各人が世の中にある様々な職業に関心を持ち、その職業に就くために必要な教育をしてくれる学校を見つけ、義務教育が終わったあと、そんな学校へ散っていくのが理想といえましょう。

就職に有利だからと、難関大学への合格を目指し、受験テクニックに時間を費やすのは本筋とは違うように思います。

医師になるにはより難しいことを勉強しなければなりません。それでも、どうしても医師になりたいのであれば、それを教えてくれる学校を選び、そこで学べばいいのです。

その場合も無試験で入学させていいのかと考えるかもしれませんが、私は構わないと思います。

基本的には各地域で学校を用意するなり、私立の学校を作るなどし、需要に応えることをすべきです。

偏差値志向は廃止し、特定の学校に生徒が集中しないよう調整することが必要となります。

誰もが、好きな時に好きな学問や技術を学べる仕組みを作り、入学も卒業も各人の判断で自由にさせるとよいでしょう。

そこで学んでいるときに、学内の試験を行うこともしません。授業の時間になったら生徒が決められた教室へ入り、教師が生徒に必要なことを教える形です。

今後はネットがさらに進化し、ネット回線を通じて学べることであれば、それを使った学習環境が整うことも考えられます。

結局のところ、人が何かを学びたいと考えたとき、それをどれだけ深く学べるかは、本人次第です。より深く学びたいと考えれば、教えてくれること以上に、自分で進んで学んだりするものです。

学びの時間が終わり、そのあと、どのように就職するのがいいのか、私は答えは持っていません。

今のように、サラリーマンが多数になる前は、田園地帯に暮らす人は、親のあとを継いで農業に従事することが多かったでしょう。また、家が町工場であれば、これも親のあとを継ぐことができたでしょう。

それが今は、親とは全く異なる職業に就かなければならないことが増え、就職を難しくしています。

ある企業が新入社員を採用するにあたっては、そのための物差しが必要で、その対策として実質は学校歴の学歴をもとにした採用が蔓延っているというわけです。

しかし、世間では難関大学といわれている大学の学生も、そこへ進む学生は偏差値教育に慣らされ、それに従った結果でしかありません。本当はもっと別のことを学びたかったのに、偏差値が足りずに、行けそうな学校を選んで卒業しただけかもしれません。

大学で勉強したからといって、日本人は英語をほとんど話すことができません。

先月12日の朝日新聞に、英語力が他の国に比べて格段に低い日本について書いた記事が載りました。

記事によれば、スイスに本部のある国際語学教育機関が、英語を母語としない100の国と地域を選び、評価値を出したそうです。

その結果を見ますと、日本人の英語力は低いです。100の国と地域の中で、日本は53位です。しかも、昨年よりも順位が4つ下がり、4年連続で5段階の下から2番目だそうです。アジアにある25の国や地域と比較しますと、韓国が37位で中国が40位です。

こんな日本で、大学入試の英語に、「読み」「書き」のほかに「聞く」「話す」を加えた試験を実施することが試みられましたが、多くの反対意見などがあり、見通しが立たなくなりました。

そもそもの話として、義務教育であっても、英語を必修科目とするのが当然なのか、私は疑問に感じます。

多くの日本人は一生を日本国内で過ごし、英語圏の人と英語で日常会話する人は極めて限られると思います。私自身などは家で過ごす時間が長く、他人と接することは少なく、ましてや英語圏の人と話す機会は極めて稀です。

英語という科目を設け、それが必要な人が必要なだけ学べる機会を設けることは必要です。しかし、それを全ての生徒や学生に必修とするのは無理があります。ましてや、高校までの日本の英語教師が、日本の生徒の会話力向上の教育を行えるとは思えません。

高校までに英会話が身についていない受験生に会話の試験を課し、その優劣をつけるというのですから、土台無茶な話です。採点させられる人も迷惑でしょう。どうやって、会話に優劣を、しかも公平につけられるのですか。

日本人に日本語会話をさせ、それに点数をつける馬鹿さ加減を想像すれば、英語会話にそれをするのも無意味であることに気がつくでしょう。

日本語による会話でもそうですが、会話するには会話するだけの理由が必要です。それを英語でするのなら、英語で話したいことがなければなりません。話したいことは、各人によって違うでしょう。それを、試験という場で一律に問うのはナンセンスです。

「今の心境を英語で述べなさい」などと問題が出され、「はやく家に帰りたい」人は「アイワナ ゴーホーム クイックリー」とか答えるのでしょうか。

英会話を本当に身につけたいのであれば、専門の学校へ行くのがいいでしょう。あるいは、英語圏へ行き、そこでしばらく暮らせば、無理なく日常会話を操れるようになるかもしれません。

本日の豆不満
英語圏で暮らすといえば、米メジャーリーグで野球をする日本人選手が増えましたが、独立心に欠ける人が目立ちますね。

たとえば、途中まで華々しい活躍をした大谷翔平選手にしても、常に日本人の通訳が傍に待機していると聞きます。

外国からきて大相撲の力士になった力士に、通訳が常につき、取り組みのあと、通訳を介してインタビューを受けたら奇異に感じるでしょう。同じことを、大谷選手などはしていることになります。どうして、自分で自由に英語を操れるようになろうとしないのでしょう。

思い出しましたが、同じように向こうへ渡った松坂大輔選手は、結局、向こうで大成できずに終わりました。彼も通訳をつけ、それもあってチームに溶け込めず、それが大成に結び付かなかったのでしょう。

自分が飛び込んだ先で殻を閉じこもっていたのでは、周りを味方につけることはできません。

少なくとも、教室で数十人の生徒や学生が、教師のあとについて、決まりきった日常会話を繰り返すことをしても無意味です。

教育制度を一足飛びに改革するのは難しいでしょうが、企業や組織の採用方法を変え、極度の偏差値変調を緩和できれば、今よりは日本の教育もましな方向へ向かいます。

どこの学校を出たから頭いいとか悪いとが、こんなつまらない話はそろそろ止めませんか? 受験テクニックの結果だけで、その人が持つ力の優劣はつきません。

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