松本清張(1909~1992)の長編小説『天才画の女』(1979)を読み終えました。
本作は、清張が1970年代に、『週刊新潮』に連載した「禁忌の連歌」シリーズの三話目にあたる作品です。私は、本シリーズ4作品すべてを読もうと思い、読み終えました。
きっかけは、本シリーズ四話目の『黒革の手帖』(1980)を読んだことです。その作品が同シリーズに含まれた一作であることを知り、同シリーズのほかの三作品に興味を持ち、全4作品を読んだのです。
本作は『週刊新潮』に1978年年3月16日号から同年10月12日号まで連載されたのち、翌1979年2月に単行本が刊行されています。
本作について書かれたネットの事典ウィキペディアを見ると、単行本化された翌年にNHKで一度テレビドラマ化されています。そのドラマは多分見たことがないと思います。
本ドラマが原作と異なる点が、殺人事件を発端として描いていることとあります。本作では警察が扱う事件は起きません。
本作で清張が描きたかったのは、美術作品を巡る「美術ビジネス」の胡散臭さなのでは、と私個人は感じました。
本作に限らず、清張は自身の生い立ちもあり、時の権力や権威的なものに対して、常に批判的な精神を持っていた印象です。
美術作品に評価を下す権威を誰が持つかといえば、ひとつは美術評論家と呼ばれる人間です。
彼らは、難解な表現を好みます。美術の世界の多くを知らない一般大衆を、小難しい表現で煙に巻き、彼らの判断で、評価する作品を決めては、その価値を高めることをしています。
美術評論家の多くは、自分では美術作品を制作しないでしょう。だから、評論の対象は、制作者の人生や、制作の裏話、作品が制作された背景、作品で表されていることなどが中心となることがほとんどです。
個人的には、何が描かれたのかよりも、「どのように描かれたのか」に強い興味があります。技法的なことに触れる評論家は極めて限られるのだと思います。
そんな美術ビジネスによって、若き女流天才画家が誕生します。東北の福島にある小さな城下町で生まれた降田良子(おだ・よしこ)です。降田は東京の私立女子大に進み、そこで美術を少し囓った程度です。
降田が描いた油彩画が、たまたま、目利きコレクターの目に止まります。一瞥したときは、まるで相手にせず、小馬鹿にしていた評論家のひとりは、目利きの人間がその作品を絶賛したことを知ると、恥も外聞もなく、180度評価を換え、大絶賛するのです。
このあたりの描写からも、清張が世の美術評論家を信じていなかったことが窺われます。作り話として書いていながら、清張の本心がそこには現れているでしょう。
『天才画の女』という表題で、降田が主人公と思われるかもしれません。しかし、降田の考えや生活ぶりは書かれません。降田がひとり暮らしをする東京・東中野のアパート内も、まったく描写されません。
だから、天才画家と評されることになる彼女が、どのような考えを持ち、どのように絵の制作をしているのかがまったくわかりません。
清張がもしも、降田の視点で描いたら、まったく違った作品になっていたでしょう。突如天才画家にされた彼女の内面を、思うがままに描写できたからです。
本作は、美術作品をビジネスとして扱う東京にあるふたつの画廊で働く人間の視点で描かれます。
途中までは、東京・銀座にある「光彩堂」という画廊の社長、中久保清一の視点です。それが途中で、中久保が強敵のライバルと目す、東銀座(東銀座駅)にある「叢芸洞」で支配人をする小池直吉の視点に切り替わるのが、私には斬新に感じられました。
物語性のある小説の多くは、ひとりの人間の視点で書かれます。だから、もしもその人間が悪く考える人間がいたら、主人公に悪く思われている人間は、小説の終わりまで悪く描かれます。
ところが、途中で視点が小池に変わり、今度は、小池から見た中久保が描かれます。
清張の作品に登場する人物は、自分の頭の中で延々と考えることをします。私たちも、日々を送る中で、始終、様々なことに思いを巡らします。清張の作品を読むと、通常は覗けない他人の頭の中を覗いている気分になります。
降田が描く絵は、抽象と具象の間ぐらいの感じで、幻想性を感じさせるということです。誰の影響も受けていないような描写を降田がどのようにして獲得したのかが謎です。
その謎に、ライバル同士にある中久保と小池が、それぞれの立場から迫ります。
途中で書いたように、降田自身の視点で描いたら、彼女の内面に光をあてることができ、自分への周囲の扱いが劇的に変化していくことへの戸惑いのようなものが描けただろうと思います。
「佐村河内守(さむらごうち・まもる)」(1963~)の名を、例の騒動とともに記憶している人がいるでしょう。彼は、「現代のベートーヴェン」と、本当の作曲家であれば、最大級の評価をされ、NHKが「NHKスペシャル」で大々的に取りあげました。
「佐村河内ブーム」が起き始めたと知るや、音楽ビジネスやマスメディアはそのブームにすかさず乗りました。そのことで、彼が「天才作曲家」というイメージを世の人々に植え付け、大衆も彼の「才能」を信じて疑わなくなりました。
彼が作曲したとされた楽曲のコンサートは超満員となり、かけつけた観客の中には、演奏が始まる前から、感動で涙を流す者までいたと報じられました。
ところがその後、真相が明らかになりました。彼が作曲したとされた作品はすべて、別の作曲家である新垣隆(1970~)が、佐村河内のゴーストライターとして作曲していたのでした。
佐村河内を最大限に評価したひとりに、作曲家の三枝成彬(1942~)がいたのを記憶します。真相が明らかになったあと、三枝が新垣の作品をどのように評価するのか、私は知りません。
佐村河内のコンサートに駆けつけた観客は、今度は、新垣作品のコンサートに駆けつけているのでしょうか。
美術と音楽で表現分野は異なります。しかし、その成り立ちはよく似ています。数字による評価が難しい分野における作品の評価は人間の感覚でされます。
評価をする人間の眼が曇り、耳の聞こえがよろしくなければ、そして、その人間に何らかの思惑があれば、正しい評価は難しいのではありませんか?
同じ指摘は、プロの評論家だけでなく、一般大衆にもできます。
あなたのその評価は、もしかしたら、権威や、権威に媚びたマスメディアによって作られた、ビジネスの一環としかいえない評価に従っただけなのではありませんか? と。
『天才画の女』は、清張のそんな問いかけを感じさせる作品です。