マスメディアの報道ぶりが、時代を重ねるごとに軽く、軽ーくなっています。そのことは、ネットのYahoo!ニュースに上がる記事の見出しを見ただけでわかります。
私は見出しだけで済ますことが多く、記事を読むのは、関心を持つものか、本コーナーで、記事を馬鹿にして取り上げるときぐらいです。
今回は、後者の理由で次の短い記事に目を通しました。
本記事の配信元は、朝日新聞系のスポーツ紙、「日刊スポーツ」です。それにしても、日刊スポーツは、今回の騒動での食いつきぶりが目立ちます。本記事と類似する日刊スポーツ配信記事が、今見ただけで、Yahoo!に4本も上がっています。
記事を開くと、記事の左上に、記事に登場する女優の顔写真が添えられています。
写真を見ただけで、小煩(こうる)さそうな人なのだろうという印象です。なるべく近づきたくないタイプです。
記者がやり玉に挙げているのは、農林水産大臣をする江藤拓氏(1960~)が、この日曜日(18日)に、九州の佐賀市で催された政治資金パーティーで、集まった支持者を前に話をする中で飛び出した「(私は米を)買ったことがありません。支援者の方々がたくさん下さるので、(家の食品庫に)売るほどあります」です。
これを騒動として大きくするため、「ネットで拾った声」を記事にしています。
昨今の報道が軽くなったと感じるのは、記者が現場に出向かず、関係者にも取材せずに書かれた記事が増えていることです。それらの記事は、コタツに入ったままでも書けそうなので、「コタツ記事」と揶揄されます。
今回取り上げる記事もコタツ記事の典型です。
本記事を記事もどきにした記者は、いつも「監視」対象にでもしているのでしょう。女優の毬谷友子(1960~)がネットのSNSに上げた、彼女の個人的な「感想」をすぐさま記事にしています。
女優の毬谷は、江藤農水相の失言を知り、早速ご自分の投稿で取り上げているようです。
マスメディアによって騒動にされたあと、記者から今回の失言による大臣からの進退の可能性を訊かれたそうです。江藤大臣は、その質問に不快感をにじませ、「進退?」と訊き返す場面が映像に残りました。
それを見た毬谷は、「恐ろしくて震えました」とXに書いたことを、日刊スポーツが典型的なコタツ記事にしました。
記事を書いて給料をもらっているのですから、ネットのSNSを見てそのまま記事にするのはやめてもらえますか? ジャーナリストであれば、すぐさま毬谷と連絡を取り、毬谷に取材の許可をもらい、取材に向かうべきです。
記者が本人に直接会えば、Xに書いたことにつながる彼女の考えをもっと詳しく聴くことができます。そういう手間をかけてこそ初めて、記事に厚みというものが生まれます。
記事を書いて飯を食っている以上、自分が書く記事にもっと責任を持ちましょうよ。
本人に会えば、映像を見ただけで、どうして震えるほど怖かったのか、真意を彼女から聴くことができます。
彼女の神経が特別繊細であれば、その神経を持つに至った話を彼女から聴けるかもしません。
普通の感覚でいくと、「進退?」と不機嫌そうに記者に訊き返す映像を見ても、恐ろしさに震えることはそうそうないように私には思えます。
私が特別鈍感とも思いません。
米不足が騒がれているおり、担当の農水大臣がそのような軽率な発言をするのは如何なものかという声があるのは承知しています。
しかし、江藤大臣の今回の失言は、自分の支持者の集いで出たものです。気の緩みがあったといえばそうでしょう。しかし、人間は年がら年中、自分の発言に気を使ってばかりもいられません。
江藤大臣の失言を声高に批判する人も、自分が気がつかないだけで、年がら年中失言をしていることも考えられます。
本騒動を記事にした記者にしても、四六時中気を張って生きているわけではないでしょう。自分のことを棚に上げて、他人を批判するのは感心できませんね。
江藤大臣は、失言を謝れば、騒動を収めてもいいように私は考えます。自分の支持者の集まりだったから、つい気が緩んでしまった。申し訳ありません、と。
記者の人たちも、妻帯者であれば、米に限らず、日常生活に必要なものを、すべて自分で購入するわけでもないでしょう。家族と暮らす人であれば、「自分は外に出て働いて稼いでいる」からと、日常の細々としたことを、家族の誰かにすべて任せている人もいるでしょう。
そんな人は、生活必需品を自分で買ったことがなく、値段を知らないこともあるのではありませんか?
ましてや、その是非はともかく、国会議員で今は農水大臣をする江藤氏ですから、米が切れるたびにチェックして、自分で注文を入れているとも思えません。
もっとも、江藤氏の場合は、支持者から米が送られてくるそうですから、江藤氏の父親である江藤隆美氏(1925~2007)の代から、江藤氏が話されたように、購入する必要がないのかもしれません。
世間一般の庶民と感覚がずれているとの指摘もあります。しかし、政治家に限らず、立場の違いによって生活水準が異なるのはどうしようもないことです。それを責めてみても始まりません。
それらを考え合わせると、今回の江藤大臣の失言も、ことを大きくしないで、許してやるのが「大人の対応」ではありませんか?
マスメディアで働く人たちにしても、さまざまなところで問題を起こし、そのたびに、「大人の対応」でことを大きくしていないのではありませんか?
お互い様です。
ちょっとしたことで、恐ろしくて震えた毬谷は、勝手なお節介になりますが、もう少し神経を、いい意味で、図太くされたほうがいいように私は思います。ま、神経を太くしようと思って、すぐに太くなるものではありませんけれど。
マスメディアで働く記者は、自分の書く記事にもっと責任を持ち、他人がネットのSNSで書いたことをそのままコタツ記事にすることがいかに恥ずかしいことであるか自覚してください。