朝日新聞に「語る 人生の贈りもの」というコーナーがあります。以前の本コーナーで、そのコーナーに登場した人の逸話を紹介したことがあります。
そのコーナーは、各界の著名人に、その人がこれまで歩んできた人生を語ってもらう形式です。
現在、そのコーナーに女優の泉ピン子(1947~)が登場しています。
私もピン子さんのことはよく知っているわけでもありません。私の勝手なイメージ的には、ずばずばと物をいう人といったところです。
テレビ受像機越しにしかピン子さんのことは知らないわけですが、初めて彼女を知ったのは『テレビ三面記事 ウィークエンダー』という番組です。
今でいうところのワイドショー形式の番組で、まだ若かったピン子さんが、下世話な話題を、下世話な感じて伝えていたのを何となく憶えています。
今回の更新をするにあたり、ネットの事典ウィキペディアで、ピン子さんの人となりや芸歴などをそれとなくリサーチしました。
彼女は2歳の時に母と死別し、苦労して成長されたようです。その後、当時、「あ~あ、やんなっちゃった あ~あ、驚いた」で始まるウクレレ漫談家として一世を風靡していた牧伸二(1934~ 2013)に弟子入りしています。
しかし、なかなか芽が出ませんでした。そんな彼女に、ウィークエンダーから出演依頼の話が入ります。彼女は下世話なタレントして番組に出演し、業界で次第に認知されるようになり、今に続く芸能活動の道が開けていったのでした。
そんなピン子さんを取り上げた「語る 人生の贈りもの」。本日分が13回目で、見出しは「ベンツで駆けつけたら ひばりさん」です。
「ひばりさん」が美空ひばり(1937~1989)であろうことは、年配の人であればすぐに想像がつくでしょう。
「ベンツ」も、車に興味を持つ人なら、ドイツの高級車、メルセデス・ベンツであることがわかります。
しかし、ベンツと美空ひばりがどのように結びつくのかは、朝日の連載を読まない限りわかりません。
本日分で取り上げられたとき、ピン子さんは女優になっていました。女優としてのピン子さんといえば、NHKの連続テレビ小説の『おしん』で、おしんの母親を演じたことを憶えている人が多いでしょう。
私は連続テレビ小説を見る習慣が昔からないため、『おしん』がどんなに人気となろうとも、見ることはありませんでした。ですので、そのドラマのピン子さんのことも知りません。
NHKで『おしん』が放送されたのは1983年4月から翌1984年3月末です。ということは、彼女が出演したドラマで個人的に印象に強く残っているドラマは、その「おしんブーム」が起きる前年に放送されたことがわかります。
1983年4月といえば、NHK-FMの関東ローカルで平日午後6時台に生放送されていたリクエスト番組「夕べのひととき」(東京は「夕べの広場」)のリスナーとリクエスター(「リクエストをする人」ぐらいの意味で使っています)を始めたのがこの年でした。
その番組がその後、1998年に東京発が「サンセットパーク」に替わっていますが、私は番組が終了する2012年3月末までリスナーとリクエスターを続けました。
私が好きで毎週欠かさず見たのは、1982年にTBSで放送された連続ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』です。
本ドラマの脚本を担当したのは市川森一(1941~2011)です。
私は映画やテレビドラマ関係の仕事をしたいと考えていた時期がありました。つてを頼り、いろいろなことをしては、すぐにやめたりしてしまいました。
はじめは確か、テレビドラマのカメラの助手の助手の、そのまた下の助手のような真似ごとをしました。
担当するドラマが始まる前、先輩カメラマンと、とある撮影所内で、カメラのテストをしました。寒い時期だったと記憶します。
その撮影所内で、当時絶大な人気があったアイドルを見かけました。岡田奈々(1959~)といいますが、彼女を知る人は少なくなったでしょうか。
そのあとは、渋谷のNHK放送センターで大道具の仕事をしたこともあります。NHKの報道局で働いたのはそのあとになりますね。
それらが自分には続けられないことがわかったあと、自分でドラマや映画の脚本を書いてみようと考えた時期があります。その頃に活躍していた脚本家のひとりが市川森一でした。
市川が脚本を書いたTBSドラマに『港町純情シネマ』(1980)があります。千葉の銚子にある「港シネマ」という架空の映画館が舞台です。
主演は西田敏行(1947~2024)。西田は私の好きな俳優でした。
西田が黒柳徹子(1933~)の『徹子の部屋』(1976~)に出たときのことを憶えています。西田が俳優として売れる前、暇なときは東京の上野公園内にある上野動物園へ行き、ゴリラの檻の前で長い時間過ごすことがあるということでした。
そんな西田が主演した市川脚本のドラマが『淋しいのはお前だけじゃない』です。好きなドラマで、買ったばかりのビデオデッキで録画しましたが、その後、ビデオテープにカビが生えて、見られなくなってしまいました。
もう一度、あのドラマを全部見てみたいです。TBSがBSか何かですべて放送してくれたら、また録画して、私の宝物とします。
この『淋しいのは』で西田の女房を演じたのがピン子さんです。西田が演じた沼田という男は消費者金融の取り立て屋で、ピン子さんは沼田の妻という役回りです。
沼田が担当する取り立て先が、旅回りの一座という設定です。ピン子さんについて書かれたウィキペディア内「対人エピソード」に、梅沢富美男(1950~)とは「40年に渡る仲良しの一人」と書かれています。
梅沢も『淋しいのは』で、一座の女形(おやま)役を演じていました。当時、梅沢が父の一座の役者をしていて、「下町の玉三郎」と呼ばれていました。
このドラマで共演したことで、ピン子さんと縁が結ばれたということでしょう。
そして、何といっても深い絆が結ばれたのが西田敏行です。西田とは、1976年に放送された連続テレビドラマの『いごこち満点』に出演したことが縁となっています。
ピン子さんは人との縁を大切にする人だったのでしょう。その他にも、仕事を通じて知り合った人との縁を長く保つことができています。
本日の朝日の「語る 人生の贈りもの」の見出しにあるベンツですが、それを購入する時も、西田に相談したとあり、次のように書かれてます。
車を買う時も西田(敏行)君に相談した。「おしんでボロボロの衣装着てるのに、ベンツに乗るって面白くない?」って。「そりゃいい。格好いいわ」って言ってくれた。
このやり取りを見る限り、相談したというよりも、ベンツを買うことはピン子さんの中で決まっていて、西田に踏ん切りをつけるため背中を押してもらったといったところでしょう。
ピン子さんが『おしん』に出る頃には暮らしぶりが豊かになっていたそうです。でなかったら、ベンツなんて買えません。このとき買ったベンツは色がモスグリーンです。格好が良さそうですね。
その愛車に乗って向かった先は、NHKの近くに住んでいた女優の大原麗子(1946~2009)です。
彼女から「ちょっと体調が悪い」と聞いていた彼女は、「おしん」の撮影の合間を縫って、衣装を着たままベンツで見舞に行ったのです。
向こうへ着いて驚いたのは、先客がいたことです。美空ひばりも大原の見舞いに来ていたのでした。
ピン子が見舞いに来たことを知り、美空から次のようにいわれます。
麗子、ありがたいね。心配して衣装のまま飛んできてくれる人なんて、芸能界にはまずいないよ。
この日の出会いが、また、ピン子さんの縁となり、ゲイバーへ行くときにまで声を掛けられるほど、美空とは亡くなるまで近しい交流が続いたのでした。
ピン子さんを取り上げた朝日の「語り 人生の贈りもの」は本日が13回目です。私は前回までまったく読んでおらず、本日、見出しが気になって、初めてピン子さんのエピソードを読んだのでした。
そんなわけですから、ピン子さんが出演した『淋しいのは』にまつわるエピソードがすでに登場したのかどうかわかりません。そのドラマには、「戦友」ともいえる西田敏行と一緒に出演しているのですから、エピソードがないことはないだろうとは思いますが。
ともあれ、ピン子さんについて書かれたウィキペディアに目を通し、本日分の「語り 人生の贈りもの」に書かれていることと合わせ、人とのつながりを人一倍大切にされたことが今のピン子さんにつながっているのであろうことがわかりました。
芸人の世界は、人づきあいが苦手な私には、とても無理です。それ以前に、私は芸人として生きていくことなどはじめから無理なわけですけれど。
ピン子さんは、彼女のキャラクターもあり、彼女のことが好きという人もいる一方、彼女を好ましく思わない人もいるでしょう。
私も、どちらかというと、後者に含まれます。ただ、今回のエピソードに接したことで、彼女に買って抱いていた固定観念が少しだけ和らぎました。