昨今は、その報じ方に不満を持つことなどにより、マスメディアへの風当たりが強まっています。
本日の朝日新聞にあったある記事を見て、それを和らげるヒントを与えられそうに感じました。
私が目をとめたのは、「その街路樹 切らないとだめ?」と大見出しがついた記事です。
本記事は「記者サロン」の枠組みにある記事です。「街路樹のこと 消えていく緑の大きな価値」をテーマに、街路樹のあり方を巡り、街路樹研究の第一人者である千葉大学名誉教授の藤井英二郎氏(1951~)と、朝日新聞内科学みらい部の若手記者ふたりが語り合っています。
私は記事そのものよりも、この議論に参加した若手記者ふたりを簡単に紹介するプロフィールに注目しました。
ひとりは、2014年に朝日新聞に入社した男性記者です。同記者の人となりを紹介するプロフィールの締めの部分には次のように書かれています。
2歳の子どもと鉄道のおもちゃで遊ぶのが好き。
もうひとりは女性の記者で、2017年の入社です。その人は次のように紹介されています。
趣味はいきもの観察で、ウツボと一緒に暮らしている。
冒頭で書いたように、日頃は、紙面に載る記事を読んでは、それに不満を持ったりします。しかし、こうして記者のプロフィールを読んだりすると、記者とはいえ、仕事を離れればひとりの生活者であることに気がつかされます。
幼い我が子と鉄道のおもちゃで遊んだり、ウツボと生活を共にしていることを知ると、急に親近感がわいて来たりしませんか?
こうした面ばかり強調されても困りますが、たまにであれば、このように記者の横顔を読者に紹介することで、マスメディアに対する尖った感情を和らげるのに役立つように感じました。
子供の頃に『手のひらを太陽に』(1962)という歌をクラスのみんなと歌ったのを思い出します。やなせたかし(1919~2013)が書いた詞に、いずみたく(1930~1992)が曲をつけた名曲で、NHKの「みんなのうた」で放送されました。
手のひらを太陽の光に透かせば、どんな人にも、同じように真っ赤な血が流れているのがわかります。
姿かたちが違い、生き方や生活水準が違っても、みんな同じ人間で、同じように喜び、同じように悲しんで生きているのです。
だから、今日から争いをやめ、みんな仲良く平和に暮らそう、というほど単純ではありませんが、こんなことを心に持って生きれば、少しはましな世の中になりそうな気がしないでもありません。
偏向した記事を書く記者がいたとしても、その記者も自分と同じ人間で、家族がいて、趣味を持って日々を暮らしていると想像できれば、偏向記事を読んでも、幾分かは、気持ちが和らげられる、こともあるかもしれません。
同じことは、マスメディア側にもお願いできます。
マスメディアは、SNSでマスメディアにつらく当たる人を眼の敵(かたき)のようにしたりしがちです。少しでも、主流メディアと違う考えを示すと、陰謀論者だ、フェイクニュースだ、などと。
SNSでマスメディアの報道を厳しく批判する人がいても、その人も、手のひらを太陽に透かせば、自分と同じ赤い血が流れる普通の個人なのだと気がつけば、SNSで意見を書く人に刺々しくなることも減るのではありませんか?
ネットで発信する個人も、ときには自分の簡単なプロフィールを添えると、受けての気持ちを和らげるかもしれません。
私は、まだ1歳にならない愛猫のおてんばちゃんと過ごす時間を愉しんでいます。
