「野暮」の反対は何ですか?
それは「いき」です。漢字では「粋」と書くと思ったら、実はこれは誤用なのだそうですね。正しくは、平仮名で「いき」と書くか、漢字であれば「意気」だそうです。
こんな話を始めたのは、昨日までの3日間、産経新聞にある人へのインタビュー記事が連載されたのを読んだことです。
そのインタビュー記事は、長年にわたり好江さんとふたりで漫才をし、今はピン芸人として活動される内海桂子さん(1922~2020)です。
桂子さんといえば、24歳年下の男性と結婚したことでも話題を集めました。桂子さんは今年の9月で90歳になられるそうです。
桂子さんにインタビューした連載1日目のタイトルは「粋な人がいなくなっちゃったねぇ」です。
連載1日目に桂子さんの簡単な経歴があります。千葉県で生まれ、東京の下町、浅草で育ったそうです。
桂子さんは、次のように嘆いています。
(今は)粋じゃないね。相撲の「砂かぶり」をごらんなさい。何だか分かんないジジイがいるだけじゃないの(苦笑)。昔はね、同じ年寄りでも「砂かぶり」にはもっと“粋なカオ”が座ってたもんですよ。みんな情があって「おカネだけの人」じゃないの。お花見も、潮干狩りも遊び方が粋でした。政治家だってそう。肝っ玉が据わっていないし、「お国のために死のう」という覚悟もないですよ。
ここで、桂子さんの話から逸れ、肝っ玉の据わっていない政治家の話をします。私がやり玉に挙げたいのは、事故を起こした原発のある福島県知事の佐藤雄平氏(1947~)です。
事故以来、知事は眉毛を八の字にした顔でメディアに登場することが多いです。
あの顔を桂子さんが見たら、「みっともない顔はよしなさいよっ! 甘ったれた小僧みたいな顔してっ!」と一喝したくなるかもしれません。「自分がこの難局を何とか切り開く」といった決意があの顔つきからは感じられません。露骨に困った顔をしていれば、難局を誰かが打開してくれるとでも思っているのですか?
おとといの5月30日、福島県で行われた「国会事故調査委員会」に、知事が参考人として呼ばれました。
それを報じた記事を読んだ感想をひと言でいうとすれば、何のために福島県を預かる知事の立場にいるのか、まったくわからない無責任な人だという感じです。事故の前もあとも、リーダーシップをまったく発揮していません。
原発が大変な事態になった場合、周辺住民をどのように避難させるべきか、事前にまったく検討していなかったのでしょう。知事は、責任のすべてが国にあるかのように振る舞い、あたかも「自分たちは被害者だ」ということにしておきたいようです。
福島原発が万が一の事故を起こしたときに備え、オフサイトセンターというものを用意してあったのではないのですか? 福島原発の場合は、原発から5キロほどしか離れていない福島県大熊町にそのセンターはありました。
平時に形だけの訓練は行われています。原発を運転する東京電力や原子力安全・保安院、周辺自治体とは回線で結び、いざ事故が起これば大きなテレビスクリーンに担当者が映り、各町の担当者と緊密に連絡を取り合って住民を速やかに避難させるという、結果的には、絵に餅を書いて安心していただけなのでした。
原発から5キロほどしか離れていないというのに、放射能に対する備えはまったく施されていませんでした。事故のあと、同センターは一度も機能することなく、仕方がないのでその役目を首相官邸(内閣総理大臣官邸)が引き受けることになりました。
緊急事態のときは、上からの指示を待っている間にも事態は深刻になってしまうでしょう。情報や指示がない中で、それぞれの直感を信じて行動し、それがよい判断であれば生きのびることもできます。
桂子さんの話に戻します。桂子さんもその渦中に巻き込まれた東京大空襲で経験した話をしています。
桂子師匠が、東京の下町、入谷にあったバス車庫の裏辺りにいて逃げようとしていたとき、ふんどし一丁の日本刀を持ったどこかのおじさんがやって来て、「隅田川へ行くな! 死んじゃうぞ!」と大声で叫んでいたそうです。
どうしてそのおじさんがそのことを察知したのかわかりませんが、実際、燃え盛る火から逃れようと隅田川に飛び込んだ人々の多くが、米軍が次々と落とす焼夷弾で命を落としたそうです。
桂子師匠はそのおじさんの忠告を信じ、助かりました。そのときのことを思い出し、「アタシたちは、ヘンなおじさんのおかげで命拾いですよ」と語る師匠です。
何も情報がない中でも身の危険を感じれば行動を起こさなければなりません。昨年の原発事故のときがそうです。そんなときに、お上の指示を待っていてどうするのですか? 待っている間に事態が悪化の一途を辿ったら、助かる命も助からないではありませんか。
そんなときは、「ヘンなおじさん」の忠告に賭けて行動することも必要でしょう。ときには、命拾いした桂子さんのように、誰かの忠告を信じて逃げることも必要です。ただ、忠告がすべて正しいわけではなく、忠告に従うことで誤る場合もあるでしょう。
しかし、それはある意味仕方のないことなのです。誰もがたしかな「正解」を持っているわけではないからです。
事故のあとの平時になって、「あなたのあの時の判断は間違っていた」と評価を下すのは簡単です。しかし、それは結果を知った上での評価です。そうした行為は、「あと出しじゃんけん」のようで私は嫌いです。
国会の事故調に菅直人前首相(1946~)が呼ばれ、長時間、委員から厳しい追及をされました。産経新聞は菅前首相を目の敵にしています。
私は、あのときの菅氏の対応は、あれで精一杯であったと思っています。もちろん完璧ではありません。しかし、誰も体験したことのない事態になり、原発の危機が迫っていました。専門家もまったく頼りにならなかったでしょう。そのときに、もし自分が菅氏の立場であったら、冷静に最善の対応が採れただろうか? と菅氏の立場を自分に置き換えて想像してみるといいです。
桂子さんのインタビュー記事に戻ります。桂子さんは、芸人にも「いき」な人がいなくなったと嘆きます。そんな桂子さんがこの人こそ「いき」と感じた芸人を次のように語っています。
勝新太郎さん(1931~1997)が亡くなる3、4年前かな。三越劇場で一緒に都々逸をうたったとき、勝さんが舞台の上でアタシのフトコロに、いきなり手を入れてきた。後で見たら、ピン札で10万円。もちろんシャレです。勝さんはアタシだからやったんですよ。悪いけど、名もない若い娘(こ)相手にそんなことやったらシャレじゃなくなるもの。こんな粋なことをやる芸能人はもう、いなくなっちゃったねぇ。
「いき(意気)」に振る舞える人間になりたいと思っても、一朝一夕になれたら世話ありません。多くの人間は野暮のまま息絶えていくのでしょう。
以上、本日は、産経新聞に載っていた内海桂子さんのお話を紹介しつつ、「いき」出ない人を話のつまにしてみました。
それにしても、佐藤雄平知事、あなたはプルトニウムを燃料の一部とするプルサーマル方式の原子炉を稼働するため、その稼働を許可しなかった佐藤栄佐久前福島県知事を検察と結託して追い出した勢力に利用されるように後釜に座ったんですよね? その「裏取り引き」の内幕を、福島県民や国民に率直に話してはもらえませんか?
弱々しく振る舞っても、あなたは真っ黒であることに変わりはありません。プルサーマルの煤を浴びたせいかどうかは知りませんが。
老婆心ながら、福島県の有権者のみなさんには、次回の知事選は、よくよく候補者を吟味した上で投票されることをお勧めします。