今年になってすぐ、Amazonの電子書籍端末を購入して使い始めたことを本コーナーで何回かにわたって書きました。

その端末を使い、アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)のシャーロック・ホームズシリーズ(1887~1927)を読んでいます。本シリーズをドイルは、1887年から1927年まで、途中の空白期間を含め、40年にわたって書いています。
全部で60編になりますが、短編が56編で、長編は4編のみです。
私が今本シリーズを読むのに利用しているのがAmazonのKindle Unlimitedというサービスです。本サービスを使うと、該当する書籍であれば、追加料金なしで何冊でも読むことができます。
通常は月額980円かかるところ、4月はじめまで無料で利用できる権利を得、それを利用しているところです。
私はホームズ物の長編をすべて読むつもりで、発表順に3編を読み終え、昨日から4編目の『恐怖の谷』(1914)に入りました。百年以上前に書かれた作品ですが、とても読みやすく、楽しめます。
今回はその中から、読み終えたばかりの『バスカヴィル家の犬』(1901)について書きます。
本コーナーで本作に何度か触れていますが、私がこれまで、題名を勘違いしていたことを今になって気がつきました。私は「バスカヴィル」ではなく、なぜか、バビブベボではなく、パピプペポの「パスカヴィル」だと思っていました。
原題は”The Hound of the Baskervilles”です。であれば、邦題も「バスカヴィル」とすべきではないのかと疑問を持ちました。私だけが勝手に「パスカヴィル」と読み間違えていただけというオチになります。
これまでに本コーナーで間違って書いた「パスカヴィル」を「バスカヴィル」に訂正しました。
私は、これまで食わず嫌いだったホームズ物に2年前の2月に初めて接しています。きっかけは、そのときにNHK BSで本シリーズを原作として作られたドラマのシリーズが始まったことです。
私はそのドラマシリーズをすべて見ました。
その大半は短編をドラマ化していますが、その中に、長編の『バスカヴィル家の犬』がありました。
私はその回のドラマを録画して残してあったので、小説を読み終えたあとすぐ、ドラマを見て、原作との比較をしました。
翻訳された小説には、「訳者のあとがき」が添えられています。それを読むことで、本作が発表された当時のことがわかります。
本作は、1901年8月から、月刊誌の『ストランド・マガジン』で9回にわたって連載されています。
本連載が始まることを知ったホームズ好きは狂喜したでしょう。なぜなら、『最後の事件』(1893)で、ホームズが宿敵のモリアーティ教授と対決し、谷底に教授とともに落ち、一巻の終わりとされていたからです。
そのホームズが、本作によって8年ぶりに愛読者の前に戻ってきたのですから、ホームズ好きでこれを歓迎しなかった人はいなかったでしょう。
舞台は、石器時代人が生活した痕跡が残るデヴォン州です。そこに代々住むバスカヴィル家に生きた先祖のひとりが周囲に住む農民に行った悪行により、魔犬にかみ殺されたという呪われた伝説が残っています。
その家の舘に住んでいたチャールズ・バスカヴィルがある夜、屋敷の庭で死ぬことが起きます。外傷はなく、もともと心臓が悪かったことから、心臓発作で死んだのだろうとされます。
バスカヴィル家の近くに住む医師のモーティマーは、彼の死の背後に、代々伝えられる魔犬が関係しているのではと考え、ホームズに調査を依頼するという流れになります。
本作を脚色したドラマは、1時間45分程度に縮められているのでそのように感じることは少ないかもしれませんが、本作で特徴的なことは、ホームズが「不在」の時間が長いことです。
ホームズは抱えている事件があることを理由に、ロンドンに残ることを決めます。その代役として、相棒のワトスンを現地へ向かわせます。
ワトスンは、チャールズ・バスカヴィルのあとを継いだヘンリー・バスカヴィルと共に同家に住み込み、事件を調査しては、手紙でホームズに知らせる役目を果たします。
手紙の形式は途中でワトスンの日記に替わります。
こんなふうにして、途中まではホームズの気配がなく、ワトスンが精力的に事件を調べる形を採っています。
ドイルによって残された文章によってその世界に浸る読者は、その人ごとに、思い描く世界を持つでしょう。
それがドラマになり、具体的な映像を見せられると、自分が文章から思い描いた世界とは異なることが往々にして起こります。
私にとって意外だったのは、バスカヴィル家の周辺に暮らす人間の映像です。
たとえば、ステイプルトンという名の兄妹がいます。兄は動植物に強い関心を持ち、珍しい蝶を見つけては捕獲を試みたりして日々を過ごしています。
小説を読む限り、この男は、小太りで、誰にでも親し気に接する、人の良さそうな人物という印象を私は持っていました。しかしドラマを見ると、他人に厳しい人物に描かれています。
また、その兄弟が住む家ですが、私にはこじんまりした家のイメージがありました。それがドラマでは、4階までありそうな大きな邸宅に描かれています。
周囲に暮らす人間たちは、誰もが、バスかビル家の人間たちと変わらないような立派な身なりをしています。一般の庶民がそんな服装をしていたのだろうかと考えないでもありません。
これらは、私の読み方が浅いだけで、脚色されたドラマが原作により近いといわれたら、それまでの話になるわけですが。
小説とドラマを比較すると、小説に軍配を上げないわけにはいきません。小説家の考えが小説にすべて描かれているのですから、当然といえば当然の話です。
それでは、ドイルが書いた4作目の長編小説『恐怖の谷』に戻り、最後まで、その作品世界を愉しませてもらうことにしましょう。