2008/8/25 みんなと一緒が安心?

昨日でようやく終わってくれ、清々しています。中国で行われていた「北京オリンピック」です。

私は、みんながワーワー騒ぐようなものは嫌いです。ですから、サッカーのワールドカップ(FIFAワールドカップ)も嫌いです。そして、オリンピックも嫌いです。2016年のオリンピック開催地を東京に誘致しようとしていますが、私は反対です。

他国で開催されるオリンピックでさえ、NHKをはじめとする日本のマスメディアが大会期間中、気が触れたかのように騒いでいます。そのオリンピックが東京で開催されることにでも決まれば、それを金儲けに結びつけようという人たちを中心に、猛烈な騒動になることは目に見えています。

そんなドンチャン騒ぎは迷惑なだけです。断固お断りします。

知る人ぞ知る画家に高島野十郎がいます。

野十郎が現代に生きていたなら、同じように再度の東京オリンピックには賛成しないでしょう。アジアで初めて行われた東京オリンピックにもいい印象を持っていなかったと思われます。

九州・久留米出身の野十郎は、東京帝国大学の農学部水産学科を主席で卒業しますが、学問の道を自ら捨て、画業に邁進していきます。

これはあとの話につながってくると思いますが、野十郎の生き方の根幹は独立独歩です。絵の道に進んだあと、東京の青山辺りに剣道場のような趣のアトリエを持っていたりもしたようですが、東京オリンピック開催へ向けて日本列島が、そして東京が大きく変貌していく時代、騒がしさを嫌うように、まだ開発が進んでいなかった千葉のへ逃げ暮らしています。野十郎は二度と東京へ戻ることはなく、この地でひとり暮らしを貫いています。

オリンピックに限りませんが、いくらテレビ業界で働いているとはいえ、NHKのアナウンサーや番組アシスタントがテレビ好きなのには呆れ果ててしまいます。私は毎朝、本サイトの朝一番の更新をしながらNHKラジオの朝の番組をながら聴きするのですが、朝の5時過ぎから始まる番組に「ラジオあさいちばん」があります。

私は「天声人語」の朗読作業などがある関係上、はじめの部分しか聴けませんが、今日の冒頭の挨拶でもテレビ好きを実感させてくれました。今週は濱中博久アナウンサーとアシスタント役を遠田恵子さんが担当しますが、冒頭の話題は昨夜閉幕した北京オリンピックでした。

オリンピックの閉会式の話で、濱中アナが「最後まで見ましたか?」と話を振ると、遠田さんは「最後まで見ました」と答えました。尋ねた濱中アナの方は、途中で眠ってしまったそうですけれど。

この閉会式に限らず、NHKラジオの番組では大会期間中、オリンピックの話が随所に飛び出したものと思いますが、私が聞いた範囲でも、会話に登場する人がみな熱心にオリンピック中継を見ているのには驚かされました。おまけに、“商品”に傷をつけてはいけないとでも考えるのか、北京オリンピックの負の部分の話は一切出てきません。手放しでオリンピックを礼賛する姿勢には薄ら寒いものを感じます。

オリンピックてそんなに見られているものなのですか? σ(^_^)私ですか? 自慢ではありませんが、ほとんど見ていません。まあ、最近に限らず、私は見たいテレビ番組があるときは以前であればアナログのビデオ・デッキ、今はPCに録画し、それを空いた時間にチェックします。で、オリンピックですが、私の関心を誘った競技だけ録画して、一部見ました。

開会式と昨夜の閉会式は一応PCで録画だけはしてありますが、まだまったく見ていません。もしかしたら、一度も見ることなく消去してしまうかもしれません。あと、録画してある競技は一種目だけあります。新体操の団体予選です。これはオリンピックの終盤に行われ、その種目に個人的にちょとばかり注目した選手が出場していたためですが、正直いいまして、まだ再生させていません。

今回のオリンピックで気になる選手はあとふたりいました。ひとりは、日本から56年ぶりに出場を果たした種目「陸上・女子100メートル」の福島千里選手です。

福島さんが出場した予選もPC録画しておきたいところでしたが、放送時間のチェックを怠ったため、録画しそこないました。結局は2次予選に進めないままで終わってしまったわけですが、レース後のインタビューが一部で話題となり、ネットで確認しました。

もうひとり、個人的に注目していたのは女子マラソンに出場した中村友梨香選手です。

この女子マラソンと最終日の昨日行われた男子マラソンは、大会期間中唯一私がオンタイム(←「放送が行われている時間」ぐらいの意味で使っています)に見た競技です。ということで、女子と男子のレースを新聞の記事を頼りに振り返っておくことにします。

私が参考にする記事は、日経新聞のスポーツ欄「千里眼」で独自の考えを披露する元マラソン日本代表の中山竹通さんの観戦記です。

現役時代を振り返る中山竹通

中山選手が日本の長距離界で注目を集め始めた時代、スポットライトを浴びていたのは瀬古利彦さんです。以後並び評されることになったふたりですが、いい意味で好対照の選手でした。学生時代から注目を一身に集めた瀬古さんが常に陽の当たる場所を歩いたのに対し、中山さんは泥臭い道から頂上を極めたからです。世間とズレた感覚を持つ私は、中山さんにより強い親近感を持ったものです。

そうした中山さんの生き様が、今回の大会のマラソン観戦でも活き、彼ならではの見方となっています。

まず、中村友梨香選手が健闘した女子マラソン。当日は懸念された暑さがその日に限って収まり、比較的涼しい環境でのレースとなりました。しかし、それにも拘わらず、レースは序盤、異常に遅い展開となりました。

それにじれたかのように、優勝したコンスタンティナ・トメスク選手が20キロ過ぎに集団から飛び出し、そのままゴールテープを切るという意外な展開となりました。

レース後の話ですが、2位になったケニアのキャサリン・ヌデレバ選手は、おそらくは自身の中では理想的なレース運びをしている気になっていて、トップでテープを切る自分の姿を思い描いていたかもしれません。それが、ゴール直前になって予想だにしていなかった計算違いに気づきます。遙か前をトメスク選手が走っていたことに気づいていなかったらしいのです。そのことをレース最終盤の折り返し地点で知ったときは心底ビックリしたそうです。

このレースに、日本から中村選手と共に出場した土佐礼子選手は途中棄権しています。若手で今回が2回目のマラソンだった中村選手は13位に終わっています。

この中村選手を中山さんは以下のように評しています。

中村友梨香は28キロ過ぎで脱落したが、悪くはなかったと思う。欲を言えば、もう少し粘ってほしかった。あそこをしのげば終盤、名古屋国際女子マラソンで見せた力強い走りで入賞できたかもしれない。

私も同じような感想を持ちました。2回目にしては落ち着いて走っていたように、素人の私には見えました。走り終わったあとの態度もなかなか良かったと思います。

この中村選手に限らず、大差をつけられて敗れた2位以下の選手の対応の甘さが勝敗を決定づけました。問題は、トメスク選手が早い段階でスパートをかけたとき、誰も彼女を追わなかったことです。

国内で開かれるマラソン大会では昨今、レース前半を引っ張るペースメーカーがつくことが当たり前になりました。それによって大会記録をアップさせる狙いがあるのかもしれませんが、出場選手自身が「レースを作る」機会を奪っている弊害が諸刃の刃のようにあります。「レース中盤まではペースメーカーにお任せ」では、「自分がレースを作ってやる!」という強烈な個性は育たないと思うからです。

結果的には今回のマラソン・メンバーには選ばれませんでしたが、渋井陽子選手の走りには、ペースメーカーに頼らないレース作りの意気込みが感じられ、もしも今回のレースに参加していたなら、トメスク選手のあとを後先考えずに追ったのではないか、とちょっと想像してみました。

女子マラソンを振り返り、中山さんは次のように締めています。

日本人選手は、いつもうまくまとめようとするのではなく、負けてもいいというレースをつくったほうがいい。さらにいえば、(手を)抜くところは抜いていいのではないか。

昨日の男子マラソンは、個人的に注目する選手がいなかった分、身を入れて観戦できませんでした。こちらは女子とは正反対で、暑い気象条件にも拘わらず、序盤から高速の展開となりました。

中山さん曰く、出場した選手の多くが「夏のマラソン」を想定し、序盤はゆっくり入るだろうと想定していたのかもしれません。それが、いきなりトップギアでスタートしたようなもので、日本から出場した尾方剛選手らはトップ争いに一度も絡むことなく敗退しました。終わってみれば、尾方選手は13位、佐藤敦之選手に至っては完走した選手中最下位(76位)でのゴールとなりました。

このレースを振り返った中山さんの指摘が印象的です。

日本人は、そこそこ頑張って、そこそこの生活を長い間、続けられればいいと思っている。だから、守りのレースしかしない。大学でも実業団でも駅伝でもそこそこの成績を残して、チームでのポジションの確保に終始する。指導していても(中山さんは2008年8月現在、愛知製鋼陸上部の監督をされています)、それを感じる。

中山さんのこの指摘が当てはまるのは、マラソンやスポーツの世界だけではありません。世の中を見渡すと、「そこそこ」の地位を手に入れた人が、「そこそこ」の活動をしてばかりいる印象です。いい方を換えれば、必要以上に自分を主張せず、周りに合わせて「そこそこ」、あるいは「コソコソ」生きている人が多いような気がします。

そして、そうした生き方を嫌うのであれば、たとえば高島野十郎のように、群れから離れ、ひとりで生きていかなければならなくなります。私自身は、そうした独立独歩の人間が好きで、自分もそうありたいと考えています。

スポーツも創作活動もしない人であれば、PCとネットの時代の今、自分ひとりでWebサイトを作ってみるといいでしょう。できたら、そこでは他者との交流をできるだけ控え、自分が日頃考えていることを自分なりに文章にまとめてみることをお勧めします。

さて、そのサイトをどれくらい維持できるかで、その人の独立心の程度を推し量れると思います。いつも誰かとつるんでいないと落ちつかない人は、長くサイトを運営することが難しいかもしれません。自分がある考えを持ち、それを見ず知らずの第三者に公開するのはある意味“勇気”が必要です。その文章を載せたために、思いがけないバッシングに遭うかもしれません。

私自身について書いておけば、本サイトを始めて今年の10月17日で丸9年になります。この間、私の考え方や文章などについてなのでしょう、「社会の害悪だ」と書かれたメールをもらったこともあります。

嫌な思いをするのなら、目立たず騒がず、みんなと歩調を合わせて歩んでいる方が楽かもしれません。しかし、私は多人数で何かをすることの方が苦痛なため、そうした選択はこれまでしてきませんでしたし、これから先も選択することはないでしょう。好むと好まざるとに拘わらず、私はひとりで生きていくように生まれついているようです。

私が聴くNHK-FMのリクエスト番組に「サンセットパーク」というのがあります。その番組の超常連リクエスターらが集う私設掲示板については、これまで本コーナーで何度も取り上げてきましたが、彼らがもしもマラソンランナーであったなら、今回のようなレースでも決して冒険に出ないでしょう。ましてや、自分から飛び出してレースを作るようなことは決してしないはずです。彼らのモットーは、「みんなと一緒が安心」だからです。

彼らには毎夏、湘南にある海の家で一日を過ごす習慣があります。それが今夏はその催しがないまま夏が終わろうとしています。

それを残念がる書き込みが見られますが、私には不思議で仕方がありません。彼らのほとんどは30歳以上の大人です。誰かと会ってひとときを過ごしたいのであれば、銘々に連絡を取り合って会えばいいのにとの思いからです。ところが、彼らはそこでも出しゃばることを嫌うようです。

メンバーのひとりが率先してお膳立てをしてくれれば、一も二もなく「参加させてください」と参加率100%になりますが、誰もお膳立てをしないと、そのまま時だけが過ぎてしまいます。誰かが「右向け右」と命じれば、飽きるまで右を向くサルの群れを連想しました(´・ω・`)

マラソンに話を戻しますと、スタート時は集団です。「みんなと一緒が安心」の選手ばかりが集まったレースであれば、集団で団結を組んでそのままゴールになだれ込むのが最も安心できる展開でしょう。しかし、現実はそんなに甘くありません。一人ひとりがメダル獲得に燃えれば燃えるほど、熾烈な競争意識が働きます。いかにして輪を乱すかが、勝敗を分けるのです。

今回のレースを制したのは、15歳でケニアから来日して走ることを学んだサムエル・ワンジル選手でした。

彼は高校を卒業後も日本にとどまることで、今では東北弁と博多弁で話しかけられても理解できるまで日本語に通じているそうです。そんな彼に、高校時代の恩師は「ケニア人であることを忘れては駄目。日本人に同化したらつぶされちゃうよ」(2008年8月25日付産経新聞より)と言い聞かせてきたのだそうです。

意味するところは、今の日本社会にある「みんなと一緒が安心」の意識がケニア人のワンジル選手の中にある競争心を摘んでしまう、ぐらいの意味と私は理解しました。

終わってみれば、男女のマラソンは、必要以上の競争を求めない多くの日本人の中にある意識が、根本的な敗因となった印象です。

同じような「みんなと一緒が安心」意識は、たとえばNHKラジオの話題にもつながり、オリンピック中継をテレビで見ることが「一緒」を意識することになるのか、その場を乱さないように「閉会式? もちろん見ましたよぉ」の返事になるのかなぁ、と思った次第です。

みんな一緒に固まっている現状から新たな地平を拓く者が現れるとしたら、「オリンピック? 興味なし。全然見なかった」と平然といってのける人たちからだろうと思います。

守られた群れから独り抜け出し、孤独に耐えて歩いていきたいものではありませんか。それでもまだ、「みんなと一緒が安心」を選びますか(´・ω・`)?

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