本コーナーで昨年12月、小津安二郎監督(1903~1963)の作品を続けて取り上げました。
昨年は小津の生誕120年にあたったことで、小津が後期に撮った作品が続けて放送され、それを見ては本コーナーで取り上げた結果です。
小津作品で欠かせない俳優といえば、なんといっても笠智衆(1904~1993)です。
笠はもとは大部屋俳優だったのだそうです。どのようないきさつか知りませんが、その笠を引き立てたのが小津です。笠が小津の期待に応え、原節子(1920~2015)ともども、小津世界を作り上げることに力を尽くしました。
小津が後期作品のメガホンを採る頃は、松竹大船撮影所(1936~2000)で撮影されました。小津に抜擢された笠は、小津作品に専念するためか、大船に住んで、撮影所へ通ったようです。
笠にとってはおそらくは人生の恩人の小津が亡くなったのは1963年です。そのとき、笠は59歳でした。笠としても、小津がいなくなり、心細い気持ちもあったかもしれません。
笠は、小津亡きあとも大船での暮らしを続けたのでしょう。
後半生の笠に映画作品への出演依頼をしたひとりが山田洋次(1931~)です。
山田の代表作は『男はつらいよ』シリーズです。山田としても、このシリーズがあれほど長く続くとは考えなかったかもしれません。
ともあれ、山田は笠に、寅さんの故郷、東京・柴又にある寺の御前様の役を依頼し、笠がそれを演じることが続きました。
『男はつらいよ』シリーズで、笠が御前様を演じる時は、柴又で撮影することが多かったのでしょう。そんな笠との思い出を、山田が朝日新聞で書いています。
朝日新聞・土曜版に山田が受け持つコラム「山田洋次 夢をつくる」から採った話を、本コーナーで何度か書いています。
24日のコラムには、画面から受ける印象通り、笠が持つ謙虚さが綴られています。
若手のスターであれば、移動に公共交通機関を利用することは少ないでしょう。それが、笠は移動に電車を利用していたということです。
すでに書いたように、笠の住まいは神奈川の大船です。そこから、『男はつらいよ』のロケ先である東京・柴又までは、電車でたっぷり2時間はかかります。
山田のコラムによれば、笠は誰もお供を連れず、大船から柴又まで、電車に乗って通ったそうです。
山田としては、小津監督が見出した大スターの笠が、電車で移動する道中で何か間違いがあったりしたら大変だと考え、製作部が車を用意するから、それに乗って通って欲しいと笠に頼んだそうです。
笠は山田の誘いを断りました。その理由を笠に尋ねると、次のような答えが返ってきたそうです。
私はそんな贅沢のできる役者ではありません。
びっくり仰天ですね。しかも、山田は、笠がそう答えたことが、謙遜からではなく、本気でそう思っていることが感じられたそうです。
二度びっくりです。
笠と何度も接した山田は、笠について次のように書いています。
ひたすら無欲、寡黙、誠実に生き抜いた人は、晩年になるとその身辺に一種のユーモアが漂うことがある、という言葉を何かで読んだことがあるが、笠さんの醸し出すユーモアはまさにそれだった。ご本人は大真面目だけど、なんとなく可笑(おか)しい、おもわずニコニコしてしまう。
私もそんな印象を笠智衆という俳優に持ってしまいます。
笠は、1993年3月16日、88歳で亡くなられています。このことから、笠が『男はつらいよ』で御前様を最後に演じたのは1992年12月末に封切られたシリーズ45作目の『男はつらいよ 寅次郎の青春』が最後になりましょうか。
笠を知る人の話では、一度ぐらいは、女性に恋焦がれるような役を演じたいと思っていたのではないかということです。
しかし、笠は、自分を見出してくれた小津にいわれた「君は老け役がいいんだよ」を生涯自分の心に留め、それが自分の分とわきまえ、自分が望まれる役に徹する人生を送ったのでしょう。