東京・目黒に住んでいた両親が、当時5歳の娘を虐待した末に死に至らしめた事件で、昨日行われた裁判員裁判が結審しました。
検察側は、「1カ月以上上の苦しみを与え、苛め抜いた犯行は比類がないほど悪質だ」(本日の朝日新聞記事より)として、父親に懲役18年を求刑しました。
虐待の末に命を奪ったことは疑いようもなく、罪は厳しく問われるべきですが、懲役18年の求刑は適切なのか、議論を呼ぶ展開です。
世の中の人は、親が自分の我が子を虐待して殺す行為が信じられず、どうしてこのような罪を犯したのか、わからないことだらけでしょう。
個人的にはこの事件に強い関心を持てず、ニュースで伝えられる範囲内のことしか知りません。
懲役18年の求刑を受けたこの事件の父親の動機を、もしかしたらこれが原因したのでは、と偶然思い当りましたので、本日分で取り上げておきます。
きっかけが何だったか忘れましたが、昨日、2000年秋に亡くなった私の姉の夫、つまり私の義兄と話しているとき、「カサンドラ症候群てなんだっけ?」という疑問をぶつけられました。
聞いたことはありましたが、正確な意味を思い出せなかったため、ネットの事典「ウィキペディア」でそれを引きました。
ウィキペディアの冒頭には、次のようにまとめられています。
カサンドラ症候群、カサンドラ情動剥奪障害とは、アスペルガー症候群の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である。
この中に出てくるアスペルガー症候群というのは自閉症的な発達障害とされていますが、その現れ方は千差万別で、専門の医師であっても、的確に診断できないと聞きます。
この特徴を持つ人は、男女で比率が異なり、男性が女性の4倍程度との話があります。ですから、結婚する女性の方がカサンドラ症候群になりやすい状況といえましょう。
アスペルガー症候群の傾向を持つ人が、赤の他人と恋におち、一緒に生活できるということは、症状の出方が軽いほうの人といえるかもしれません。それが重ければ、異性と出逢うことがまずなく、その後の進展ははじめから望めないでしょうから。
幸か不幸か、異性と暮らし始めたアスペルガー症候群の傾向を持つ人は、当人にその気がまるでなくても、相手に精神的な負担を与える結果を生みます。男女比で男性にアスペルガー症候群の傾向を持つ人が多いのですから、そんな相手を選んだ女性がカサンドラ症候群的苦痛を味わうことになります。
アスペルガー症候群的傾向を持つ人は、本人であってもそれに気がつかないまま成人に達したりするわけですから、他人が外見からそれに気づくことは難しいでしょう。
そんな男性をパートナーに選んだ女性は、一緒に暮らし始めることで、日々の様々な場面で違和感を持ち始めます。
完璧に正常な人間というものは存在しません。多かれ少なかれ、人は異常な部分を持ちます。しかし、どうにかこうにか正常の範疇に収まれば、一般的には正常な人間と自分でも考え、他者の評価もそれに近いものになります。
そんなほぼ正常な人間の感覚とアスペルガー症候群的傾向を持つ人は考えや行動が微妙に異なり、結婚を選んだことで、身近に接しなければならない日常の中で、それがボディブローのように精神に疲れを生じさせたりするのでしょう。
カサンドラ症候群について説明されたウィキペディアを、上から順に目を通していき、あるところまで来たとき、結審したばかりの虐待事件の父親の姿が重なりました。
「専門家の見解:結婚を境に変化するアスペルガー症候群」の項目に、次のようなことが書かれています。
アスペルガー症候群男性は結婚すると大きく2つに分かれる。ひとつは、関係性が変化することを受け入れられず、恋人同士のままのパターン。もう一つは、正式な夫婦になると、それまでとは全く違う態度をとるパターン。どちらも、パートナーをどのように捉えたかで決まる。
恋人同士のままの場合は、パートナーを恋人として認識したことが変化しないので、子どもができると問題が生じる。夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないのである。夫は恋人を子どもに取られたことにショックを受け、妻に裏切りを感じ、子どもをライバル視する。妻が子どもに愛情を向けることを制限したり、子育ての手伝いは全くしてくれず、妻は1人で子育てをしているような孤独な気持ちになる。
懲役18年の求刑を受けたばかりの男性がアスペルガー症候群的傾向を持つ人だという話は、報道を見る限りありません。また、私は思いつきで本日分を更新していますので、何の証拠があるわけでもありません。
ということで、私の勝手な想像として読んでもらいたいのですが、被告の父親がアスペルガー症候群的傾向を持つ人であり、上で説明された理由で、我が子でありながら、自分の恋人である母親を奪うライバルに見えてしまい、きつく当たってしまった、可能性はまったくないのだろうか、と私は想像してしまったのでした。
朝日の記事によりますと、被告の父親は最終陳述で、涙を見せ、「本当に本当に申し訳ありませんでした。本当にごめんなさい」とかすれた声で謝罪したそうです。
どうしてそんなことをしてしまったのか、もしかしたら被告の父親自身にもわからないのかもしれません。
立体物は、見る角度によって見え方が驚くほど異なったりするものです。
今回の事件を報じるマスメディアは、5歳で命を落とさなければならなかった女児に思いを致し、そうさせてしまった父親を鬼畜生のように報じます。また、その報道に接したほとんどの人も、同じような感情を持ちやすくなります。
しかし、時には違った角度から観察しますと、まったく違う見え方に変ずるかもしれません。
というわけで本日は、私の思いつきで、何の責任も持たず、異なった視点から幼児虐待事件を見てみました。