午前4時半頃から30分程度、自転車で家の周囲を走る習慣がつきました。まだほとんどの人が眠っているであろう時間に自転車で走るのは気持ちがいいです。
雨が降らない限り、走ることにしています。昨日(4日)の朝も走りました。
その途中、車の事故現場に出くわしました。その現場に近づくと、遠くからでも何かが起きたことがわかりました。赤色灯が見え、警官が、一車線を通行止めにし、交通整理しているのがわかったからです。
その場所の歩道を自転車で通り過ぎました。
パッと見たところでは、トラックと軽自動車が衝突する事故のようです。どちらの車も大破したわけでもないので、大きな事故ではなさそうです。周囲に車の部品が飛び散るようなこともありませんでした。
軽自動車の運転席についているエアバックが作動したあとが見えました。あるいは、エアバックに見えたのは、ただのクッションだったかもしれません。
軽自動車とトラックには人影がありませんでした。救急車が停まっていたので、あのあと、病院へけが人を運んだのでしょう。
その現場をほとんど通り過ぎたあたりの道路に、何か物体らしきものが見えました。通り過ぎる時に見ると、車に撥ねられた猫の死骸でした。
一瞬、どきりとしました。もしかしたら、私の家で飼っている猫かもしれないと思ったからです。しかし、家からは少し離れたところだったので、そこまで来て撥ねられることはないだろうと思い直しました。
家に戻っても、私の家の一匹の猫の姿はありませんでした。
暑くなってからは、家の猫二匹は、夜の間中外で過ごしています。一匹は我が家の愛猫・にゃんこおチビちゃんファミリーの”お母ちゃん”こと元祖おチビちゃんで、もう一匹は”お母ちゃん”の娘で、2021年のクリスマスのあとに死んだ”お兄ちゃん”こと白足袋(しろたび)ちゃんの”妹ちゃん”の赤トラちゃんです。
私が自転車で散歩して帰ると、銘々が銘々に庭や椅子の上などでまどろんでいます。それを見ては、私は写真で撮ることをしていました。
そのお母ちゃんが、先週ぐらいから体調が悪くなりました。
思えば、昨年の夏頃から体調が良いとはいえない状態でした。昨年末に動物病院へ連れて行って診てもらうまでは、それが口内炎からきていることはわかりませんでした。
次第に、固形の餌を食べさせると、口の中が痛いからか、うまく咬み下せなくなりました。
昨年末から一カ月おきぐらいに、病院へ行き、おそらくは抗生物質が入った注射をしてもらうようになりました。獣医の話では、この注射は、最低でも一カ月は間隔を開けなければならないという話でした。
最近は、口の中で出血した血液が口から垂れるようになり、病院へ連れて行きたかったのですが、前回の注射から一カ月まであと一週間ほどあり、それまで様子を見ていました。
その間は、水を飲むのもやっとといった感じで、流動食の餌も食べようとしなくなりました。体がやせて、背中をさすると、骨がごつごつと感じられるまでになりました。
そのお母ちゃんが、今週はじめから、どこかへ行って、いなくなることが繰り返されました。
飼い猫は、自分で自分の死期を悟り、それが近づくと、飼い主の知らないところで旅立つというような話を聞きます。お母ちゃんもそれを悟り、姿をくらましたのでしょう。
今週の火曜日(2日)の夕方に見たのを最後に、お母ちゃんの姿が見えなくました。そのお母ちゃんが、昨日になって、亡きがらとなって見つかりました。庭の隅で、息絶えていました。
お母ちゃんが家に来たのは、2007年8月17日です。その当時、家には猫がいなかったので、新しい猫を飼いたいと思っていました。
2000年に亡くなった私の姉には娘(姪)がいます。その姪の友達が牧場で働いていました。牧場で猫が生まれたというので、生まれて数カ月後ぐらいにもらいました。

その猫がほぼ一年後にお兄ちゃんや妹ちゃんを産み、お母ちゃんとなったのです。
お母ちゃんとお兄ちゃんたちは、親子といっても、一歳しか違いません。それでも、親と子で心構えのようなものが違うのか、お母ちゃんはいつも毅然としていました。
お母ちゃんが家に来て17年です。毎日一緒に生活してきたお母ちゃんがいなくなり、なんとも寂しいです。心に開いた空白は、時間が解決してくれるでしょう。
お母ちゃんの遺体は庭の隅に埋葬しました。