「かくあるべし」を捨てる

本コーナーで二度、「瞑想」の有効性について書きました。参考にしたのは、朝日新聞土曜版の「知っ得 なっ得」というコーナーです。

今月8日から4回にわたり、「瞑想のススメ」が取り上げられました。

私もわからないなりに、自分なりの瞑想のようなものを始めました。私の場合は、できるだけ必要のないことを考えず、脳を休ませるように努めています。

とはいっても、始終、雑念が頭に沸きます。それは生きている以上、仕方のないことです。先月22日のそのコーナーには、「雑念を消すことが瞑想の狙いではない」とあります。

瞑想の考え方には2種類あり、「サマタ瞑想」が、一点に意識を集中させる瞑想のことだそうです。そしてもうひとつが「ヴィバッサナー瞑想」で、こちらは、自分の心に起こる反応を観察する瞑想だそうです。

自分なりの瞑想をそれなりに心がけるようになったのをきっかけのようにして、私は午前4時半頃からという早い時間帯に、自転車で家の周囲を走るのが習慣となりました。

走っていると、いろいろなものが目に飛び込み、そのたびに、心にさまざまな動きが起きます。その心の動きを観察するのも「ヴィバッサナー瞑想」になりましょう。

この瞑想のポイントは、ある考えが浮かんでも、それに深入りしないことです。「そんな考えが浮かんだんだ」と客観的に観察することです。

そのようなことができるようになると、一歩引いたところから自分を眺められるようになることです。これを心理学では「メタ認知」というそうです。

瞑想によって心のあり方を変えられるということでは、29日、瞑想シリーズ最後となる4回目が、個人的に参考になるように感じました。

瞑想によって、自分が持つ強すぎるこだわりのようなものを薄めることが出来そうだからです。

小さな子供が描く絵は、それぞれの子供が自由な気持ちで描きます。その子供が、年齢を重ねるにつれ、自分が幼い頃に描いたような絵が描けなくなります。

描けなくさせているのは、「かくあるべし」という自分を縛る意識です。

4回目では次のようなことが書かれています。

本来、人間の無意識には無数のアイデアが渦巻いている。

それをそのまま、たとえば絵にしたら、その人だけの表現が可能になるはずです。ところが、多くの人は、成人になると「かくあるべし」の縛りを自分にかけてしまうため、無数のアイデアを持っていても、それが発揮できずに終わってしまいます。

瞑想について書いた時、横尾忠則1936~)について触れました。横尾は瞑想を特別会得したわけではないでしょう。ただ、横尾は確か30代の頃だったか、インドへ何度も行き、そのたびに多くの気づきを得たそうです。

横尾は三島由紀夫19251970)と親交を持ちました。たしか、三島だったと思いますが、インドへは、行ける人と行けない人がいて、行ける人も、その時期が来なければ行けないといわれたそうです。

三島が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ突入し、割腹自殺する3日前だったと思いますが、三島が横尾に電話をかけてきたそうです。その電話で、三島から、インドへ行く時期が来たと告げられた、と横尾が語っています。

【HD映像】三島由紀夫 – “三島事件”最後の演説 ~ Yukio Mishima last Speech “The case of Mishima”

そんなこんなで、横尾は、瞑想に通じるような考えは、インドへ何度も行ったことで、自然と自分のものにしたのかもしれません。

それはともあれ、横尾が絵を描くときは、「かくあるべし」の縛りをほとんど自分にはしないのではなかろうかと想像します。

完璧を求めず、描きたいときに描きたいものを描き、描くのに飽きたり疲れたら、「やーめた」で絵筆を置き、その時点でその作品が完成したことにする、とご自分で話されていました。

横尾は、描き終わったと考える自分の作品にあとで筆を入れることはないそうです。また、描き終わると、自分が何を描いたかも忘れるそうです。

これは、子供の感覚に近いのではないでしょうか。

瞑想の話に戻すと、瞑想をすることで、分別を外して物事をありのままに見ると、斬新なアイデアが浮かぶということです。仏教ではそれを「無分別智」というそうです。

先ほど、ヴィバッサナー瞑想では、雑念が浮かんでもそれを消そうとせず、「雑念が浮かんでいるな」と観察すると良いとあります。それは、雑念が浮かぶ自分というものをありのまま受け入れている状態です。

絵に関していえば、描きたいものがあれば、描きたいように描くことです。「かくあるべし」を捨てて。また、自分が描く絵に完璧を求めないこともポイントです。

自分が子供だった頃を思い出し、描くことをただ楽しむことができきたら、結果はどうあれ、自分で楽しむことができます。

こんな風に考えると、勇気のようなものがわいてきます。

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