アルフレッド・ヒッチコック監督の作品『マーニー』(1964年)について書きます。
今月11日水曜日にNHKBSプレミアムで放送になったものを録画してありました。裏話をしますと、ぎりぎりセーフで録画できました。その原因は、本コーナーの“天気コーナー”「天気の話」で何度か書きましたが、関東地方を直撃した台風15号です。
この直撃を受けたことで関東南部の当地も、9日朝から停電になりました。それからの復旧に想像以上の時間を要し、当地で電力が回復したのは11日の昼前です。あと2時間遅ければ今回の映画を録画することができないところでした。
私はヒッチコックの作品は好きですが、この作品を見るのは初めての気がします。
ヒッチコック監督について書いておきますと、生まれたのは1899年です。宮沢賢治が生まれたのは1896年ですから、賢治の3歳年下になります。ついでまでに、2人とも8月生まれです。
ヒッチコックについてまとめられたネットの事典「ウィキペディア」で確認しますと、生涯に57本の作品を監督しています。『マーニー』は53作品目ですから、晩年の作品です。
『マーニー』の前年に作られた作品は有名な『鳥』です。これに比べれば本作は地味な作品になりましょうか。
録画した作品を見始めましたが、主演の女優が誰かわかりませんでした。あとで調べると、ティッピ・ヘドレンという女優でした。名前を聞いてもピンとこない人もいるかもしれません。この女優は、ヒッチコック監督に見いだされ、『鳥』で主演し、一躍有名になっています。
彼女が本作で演じるのは、赤い色と雷、男性に異常に拒否反応する美女です。共演は007シリーズでジェームズ・ボンド役を長年演じたことで知られるショーン・コネリーです。
主役のマーニーが画面に初めて登場するシーンが象徴的です。駅のホームを歩く彼女を後ろから撮影しています。顔は映りません。黒髪だけが印象的で、正体不明の不気味さがあります。
マーニーは洗面台で髪を洗い、黒髪から金髪に変わります(※映画では、地毛の黒髪を金髪に変えたことになっています)。ヒッチコック監督は、金髪の女優を好んで使ったことが知られています。主演のティッピ・ヘドレンもその条件に適ってその座を得たのでしょう。
謎めいた描き方をしていますが、話はシンプルです。マーニーがなぜ赤い色や雷、男性に恐怖を感じるのか、見始めてすぐに気がつく人は気がつくでしょう。私が想像通りのラストでした。
彼女が受けたショックを思うとせつなくなります。これはマーニーにだけ起こることではなく、今の日本でも同じ境遇にありながら、誰にも話せずに過ごしている女性が多いのではないでしょうか。
子供を虐待する事件があとを絶ちません。女児がいる女性が再婚するケースもあるでしょう。女性にとっては新たなパートナーですが、女児にとっては見知らぬ年上の異性です。
その異性ができた人間であれば問題ありませんが、どんな男にも野獣の部分はあるものです。その歪んだ欲望が再婚相手の娘に向かへば取り返しがつかなくなります。
マーニーは母と2人だけで育ちます。母は未婚です。マーニーは悲劇に遭い、それを引きずって生きているのです。
ハリウッドの大物監督は、女性関係も華やかなことが多く、結婚や離婚を繰り返す人が少なくありません。その点、ハリウッドの映画関係者との関係も少なく、初婚の妻と最後まで連れ添ったヒッチコック監督は良い意味で異色の存在といえましょう。
しかし、最後の方でいささか躓いた印象がなくもありません。ほかでもありません。『鳥』の主演に見出し、本作でも主演したティッピ・ヘドレンに関することです。
ウィキペディアでヘドレンについて書かれた記述を見ますと、「来歴」に次のように書かれています。
(『マーニー』の主役に起用した以後も)ヒッチコックは更に彼女主演の映画製作を望んでいたが、彼女のキャリアをコントロールしようとするヒッチコックとティッピは相容れず、1967年に女優業を一時中断。その後は動物のための施設を運営しながら、テレビ中心に活躍した 。
一方、ヒッチコック監督についてまとめられたウィキペディアの「ハリウッド」の項目に、それと呼応するようなことが、次のように書かれています。
『鳥』(1963年)までは精彩を放っていたが、『マーニー』(1964年)以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マーニー』の撮影中にティッピ・ヘドレンに関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかという説もある。
ヒッチコック監督の作品は、観客の予期せぬ展開の連続ですが、私生活は規則正しく、予定通りに進まないと落ち着かない性格であったそうです(ウィキペディア>人物:私生活)。私も同じような生活ぶりと性格ですから、よくわかります。
そのヒッチコック監督が、心に傷を持つマーニーを演じた女優のティッピ・ヘドレンに、何らかの心理的圧迫を与えてしまったのだとすれば、自分が監督した作品を地でいったことになります。