2007/05/28 没後100年を記念する「靉光展」

いきなりこんな質問をしてみたいと思います。あなたは漢字の読み書きは得意ですか?

こうした質問に「得意です」と答えた方に質問いたします。「靉光」は、どうお読みなりますか? 字が小さすぎてはわかりにくいですので、下に大きく表示しておきます。

靉光

これは画家の名前なのですが、昨日の日曜日、私はその画家の展覧会へ行ってきました。

展覧会が開かれていたのは、東京・竹橋にある東京国立近代美術館です。

現在、私はヒントを得られそうな展覧会を5つ6つピックアップしてあります。順に見ていこうというわけですが、私の悪い癖で、その1つは会期終了が目前に迫っていることに目前になって気づきました。昨日が会期最終日です。そこで、滑り込むようにして会場を目指したのでした。

その画家が生まれたのは今からちょうど100年前の明治40年(1907年)です。画家の名は「石村日郎(にちろう)」といいます。この名前でも、充分に珍しくなくはなくない(←一体どっちだ?)です。

広島県の農家に生まれた日郎少年は、どうした事情からか、伯父さん夫婦の養子となります。少年は子供の頃から絵に興味を持ち、画家への夢を膨らませていきます。しかし、100年近く前のこと。養父母は、養子に「画家になりたい」といわれても、「はい、そうですか。どうぞお好きなように」とはいえなかったことでしょう。

それでも絵に対する興味を失うことのなかった日郎は、高等小学校を卒業すると、広島市内の印刷所で働き始めます。

その後、日郎は大阪、そして東京へと移り、自らを「郎(あいかわ・みつろう)」と名乗り始めます。そして、冒頭で質問しました「靉光(あいみつ)」という画名誕生することになります。

その画家の生誕100年を記念した『生誕100年 靉光展』が昨日まで(2007年3月30日~5月27日)開かれていました。

同展覧会のチケット

正直いって私は、画家の名前は聞いたことがあるものの、詳しくは知りませんでした。そうはいっても、有名な『眼のある風景』はイメージに強く焼き付いています。この作品、発表当時はただ単に『風景』とされていたそうですが、その画面の中央付近にある「眼」がじっとこちらを見つめ、鑑賞者は「眼」から眼を背けることはできません。

靉光『眼のある風景』( 美術館内で買い求めた 絵葉書に印刷された画像から)

作品をご覧になった感想はいかがでしょう。「風景」だからといって、単なる風景画ではまったくありません。この作品が描かれたのは1938年。専門家筋からは決まって、「日本が戦争へ突き進む時代にあり、画家の眼差しはまっすぐ前を見つめる」といった解釈がなされます。

が、そういった「解釈」で作品に向かうと、それ以外の、自分なりの解釈を持ちにくくなります。当時の画壇に吹き荒れたシュールレアリスムの影響を靉光も受けたことは否定できませんが、そればかりで片付けることもできない、ということになりそうです。

展示は制作年代順に分類されており、それらを順に見ていくことで、靉光がどのような過程を経て、自分の表現手法を確かな物にしていったのかがわかるようになっています。ただ、それを見ていく私が、それをしっかり理解できて見ていけたかどうかとなると、自信はまったくありませんf(^_^)

私は靉光といえば、あの『眼のある風景』が頭にあり、それ以外の作品がどのような思いで制作されたのかわからなかったのでした。

数々の作品を見ることで、私がひとつだけ理解できたことがあるとすれば、それは靉光の興味の対象です。靉光はマチエール(絵肌)にことさら興味を抱いていたように私には思えました。

確かそのことは昔、美術雑誌か何かで読んだ記憶もありますが、靉光はありきたりの絵具に満足できなかったのか、描くための画材に様々な工夫を凝らしています。

初期には、溶かした蝋と絵具かチョークの粉かを混ぜたものを塗ったりしています。これを「蝋画」というのかどうだったか? 展覧会図録でも買い求めてくれば、そうした技法の解説もわかるのかもしれませんが、私は図録はよほどでないと買いませんで、昨日も、絵葉書2枚(1枚100円)を買っただけでした。

「蝋画」云々について考えを巡らせている内に、唐突に谷中安規(たになか。やすのり)という画家を思い出しました。確か、彼も「蝋画」のような表現スタイルを採ったことがあったような。あるいは別の画家だったか。相変わらず私の記憶はあやふやです。

話を靉光に戻しますと、何を表現すべきかに迷った時期、上野動物園でそのきっかけを掴んだということです。彼を惹きつけたのはライオンで、動物園へ行っては、ライオンの檻の前でにらめっこし、スケッチブックに鉛筆を走らせもしたのでしょうか。

その着想から『シシ』や『ライオン』『馬』が生まれ、『眼のある風景』へとつながっていきます。

ここで関係のない話をひとつ。

今朝のことです。4時過ぎに目覚めた私は、ラジオのスイッチを入れました。聴くのはNHKラジオ第1と決めてあるため、その時間にラジオをつければ、自然と「ラジオ深夜便」が流れ出します。時間帯は、最終コーナーの「こころの時代」です。

今日放送されていたのは、3月に放送されて好評だった分の再放送のようです。ネットの番組表で当たってみたところ、今朝の分には、「心の治癒力を引き出したい(1)」とありました。患者と向き合う医師の話で、誰からも真剣に聞いてもらえなかったある患者の身体の痛みが、その医師に話を聞いてもらえたことで、次の問診日には驚くことに、一日中痛くて堪らなかったものが、半日だけの痛みに半減したという話もありました。

痛みを訴える患者に、その医師があることを尋ねます。「強い痛みを10として、8とか9になることはありますか?」。寝ぼけた頭で聞いていたので記憶はあやふやですが、そんなような意味合いだったと思います。

この質問の意味するところは、痛みのために心の余裕を失っている患者自身に、「痛みと冷静に向き合わせるためのきっかけ作り」のようなものかもしれません。

それを聴く私は私で、その医師の試みを自分に応用できないものかと考えていました。

自分が、納得できる絵が描けないとパニックになっているとします。そこで、パニックになっている自分が、問題の本質とじっくり向き合うため、次のような質問を自分にしてみたらどうか、ということです。

自分が望む最高レベルを10として、そこから9、8、、、と順にレベルを下げていって、たとえば、2か3ぐらいのレベルだったら、今の段階でも実現可能なのではないか?

たとえば、そんなように_。

過去に、似たような考えにたどり着いたことを思い出しました。何も、いきなり高い山の頂上を目指さなくてもよい。山はみんなに頂までの登山を強いているわけではない。「登るからには頂上を目指さなければならぬ」というのは人間の側の思いこみでしかない、というような考えです。

強引に靉光の話に結びつけてしまえば、何を描くべきか模索していたとき、動物園の檻の中のライオンに突破口のためのきっかけをもらい、後生に残るであろう『眼のある風景』へまで突き進んでいったように私には思えました。靉光とて、絵画世界の頂上付近だけを歩いていたのではないということです。

靉光には子供がいます。その子供たちを描いたスケッチや油彩画からは、シュールな作風から離れた、「優しい眼」を持つひとりの父親としての「眼」が感じられます。

靉光は招集されて戦場へ行き、戦争が終わった翌年の1946年1月、中国・上海で戦病死しました。享年38歳でした。

美術館を出た私は、夏のような陽射しの下、地下鉄の竹橋駅を目指しました。「秋葉原に寄って、ブラブラしたあとに帰ろうかな?」なんてことを考えながら。

駅は美術館から歩いてすぐのところにあります。その途中に信号がひとつあり、渡ろうとした寸前、信号が赤に変わりました。そこで、青になるのを待っていると、若い女性が私に声を掛けてきました。

見れば、いわゆるリクルート・スーツというのですか? 就職活動をしている女子大生のように私には感じられました。眼がくるっとした可愛い顔立ちです。その彼女が私に「○ョスイカ…はどこにあるかわかりますか?」と尋ねています。

私に場所を尋ねていることはわかりました。そんな私に彼女は「女偏に口と書いて水を書いて…」と説明を続けます。わかりました。「如水…」ですね。でも、私はそれがその辺りにあることも知りません。ですから、「ちょっとわかりません」といえば済みそうです。が、私は用心がいいことに、地図を持っていたのですねぇ。

道を尋ねられた相手が地図を持っているなんて、何とめでたい巡り合わせでしょう。私は自分が方向音痴であることと、地図を見ることが好きなため、地図を持ち歩くことが多いのです

そこで、やおら地図を取り出し、彼女と一緒に目的地を捜し始めました。この際、横断歩道を渡ることはちょっとお預けです。

その場所は難なく見つかりました。私は内心「よかった、よかった」です。地図を取り出しながら見つからなかったら、立場がないからです。

彼女は私に礼をいって、道路をまっすぐ走っていきました。

これで思いがけず、私までもが如水(じょすい)会館の位置を把握できてしまいました。で、あとで、どんなことをするところなのかネットで当たってみると、ここは結婚式や宴会などをするところなのでしょうか。それなら、場所を憶えても、私にはほとんど縁がないかもです( ;^ω^)

もしかして、道を尋ねた彼女は、就職活動の学生さんではなく、友だちの結婚式に出るために急いでいたのだったりして。まさか彼女自身の結婚式じゃないでしょうね。

だったら、「私は別に急いでいないので、何ならそこまで一緒に行ってもいいですよ」といいかけましたが、いわなくてよかったです。

こう見えても、結構親切なσ(^_^)私です。最寄り駅に着いたあと、自転車で自宅を目指しているときにも、外国人男性連れの若い女性から声を掛けられて自転車を止めたところ、「今何時ですか?」と訊かれ、嫌な顔をせずに教えてあげましたですです(;´Д`)

以上、本日は「靉光」という若くして世を去った画家の展覧会について書きました。が、私のような漢字の読み書きが苦手な人も、これを機会に、「靉光」を「あいみつ」と読むことだけでも憶えてもらえたら幸いです。

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