前回は、兵庫県尼崎を主な舞台とする尼崎事件とそれを取り上げたNHKの看板番組「NHKスペシャル」の腰の引けた番組作りについて書きました。
今回は、その事件の主犯格で、すでに命を落とした角田美代子(すみだ・みよこ)と極めて強いつながりを持つ人間について書くことにします。今回も更新の参考にさせてもらうのは『週刊文春』で、前回参考にした翌号になる昨年11月8日号です。
この時点でも、同号に主犯の角田美代子の写真として載っているのは、まったくの別人であることがのちにわかった女性の写真です。写真ということでは、40数年前に撮影された中学校の卒業写真が載っています。その1枚に、角田美代子と極めて強いつながりのあるふたりの男女が写っています。
ひとりは女生徒で、その写真を見る限り、目鼻立ちが整っています。この女性は、今回の事件でも窃盗罪で起訴されている角田美枝子です。角田美代子には、イケメンで美代子が溺愛し、高松の谷本家の姉妹の妹との間にふたりの子供をもうけさせた息子がいますが、実は美代子の実子ではありません。
美代子は生涯子供をひとりも産んでいません。美代子が自分の息子にした子供を産んだのは、のちに義理の妹になる角田美枝子だそうです。
そして、もうひとりは、丸刈りの男子生徒で、名前は月岡靖憲といいます。
今回の事件を詳しく追っていない人には、角田美代子とどんなつながりを持つのかわからないかもしれません。が、とても強いつながりのある人物です。角田美代子の実弟なのですから、これ以上強いつながりはないでしょう。
もしかしたら、角田に弟がいることを知らない人もいるかもしれません。何を隠そう、この週刊誌に目を通すまで、私も気がつかずにいました。これは報道関係者も似たようなもので、事件の全貌がまだハッキリしていなかった段階では、弟の存在に気がつかなかったり、弟を兄と勘違いして書いていた例も目にしました。
角田の弟と、のちに角田美枝子と名乗る女生徒が同じ卒業写真に納まるということは同い年です。しかも、歳とクラスが同じだっただけでなく、この卒業写真が撮影された前後の時期、ふたりは同じ屋根の下で暮らしたそうです。だからといって、ふたりがラブラブで同棲していたわけでもありません。
そもそも、姉弟なのになぜ苗字が違うのでしょう? 角田美代子の両親が離婚したのかどうか私はまだ確認できていませんが、私が確認できている時点で私が理解できているのは、何らかの事情で両親と子供が別々に暮らしたらしいということです。
「月岡」というのが父親の苗字で、「角田」が母親の苗字だそうです。今回参考にする昨年11月8日号の『週刊文春』にもそう書かれてはいませんが、ネットにあったリンクからたどった先にあった情報によると、角田姓を持つ美代子と月岡靖憲の父親がどうやら北朝鮮の出身であるらしいことがわかりました。「角田」が母親の姓だとされていますが、この母親というのが純粋な日本人であったのか、私はまだ確認できていません。
美代子と靖憲の父親は左官の手配師をしていたと『週刊文春』にはありますので、何らかの事情で北朝鮮から日本に渡って来て、この職業に就いてそれなりに成功し、同業者を派遣するようなことをしていたのでしょうか。
それで、羽振りの良かった時期もあったようですが、のちに仕事がうまくいかなくなって闇の人間から借金をしてヤクザから脅されたりもしたのか、元の家に住んでいられなくなったりしたようです。これは私の勝手な想像ですが、そうした事情で夫婦が離れ離れに住むようになり、母親が娘の美代子を、父親が息子の靖憲を引き取って育てたことになるのでしょうか。
当時のことを知る同級生などの話によると、中学の頃、姉と弟は同じ尼崎市内に住んでいたものの、別の地区で暮らしていたようで、同級生が知る限りでは、弟の周辺に姉が姿を現すことがなかったようです。
その月岡家に、のちに角田美代子の“側近”で義理の妹になる角田美枝子が住んでいた時期があるそうです。同級生が遠い記憶をたどるように思い出した話によれば、美枝子はほかの学校から転校してきたようです。名前は谷輪美枝子といったそうです。
美枝子も訳ありの人生を歩んだようで、何らかの事情で美枝子は母とふたりの母子家庭で、何の縁かわかりませんが、月岡家のひと間を借りて暮らしたそうです。ということは、中学時代、同じクラスだった角田美代子の5歳下の月岡靖憲と、のちの角田美枝子は同じ家から登校したことになります。
そうした環境もあり、同級生はふたりが結婚したという話を誰かから聞いた、というようなことも取材で話しているようですが、実際に結婚したのか、あるいは肉体関係があったのか、今の時点で私は把握できていません。また、のちに、美枝子が月岡靖憲の5歳上の実姉である角田美代子にどうして近づき、犯罪の片棒を担ぐようになったのかもわかりません。
月岡靖憲の幼馴染の記憶によれば、靖憲は柔道が強く、それで東京の高校へ進んだようですが、挫折してすぐに尼崎へ戻ってきたそうです。小学校の頃から小刀を持ち歩いたりしていたものの、徒党を組む姉の美代子と違い、靖憲は一匹狼的な存在だったそうです。この性質の違いは、長じて悪に手を染めるようになってからも違いとなって表れます。
高校を中退した靖憲は、職を転々とし、そののちに生業としたのは、他人を騙したり脅したりしてお金を巻き上げることです。その頃には、尼崎の西隣にある西宮に移り住んでいたようです。推定家賃が30万円の3階建ての豪邸に暮らし、ドイツの高級車・ベンツを乗り回していたそうですが、これらはすべて他人から騙し、脅し取ることで得た金です。
この靖憲が、未だに真相が闇に包まれる事件の容疑者として警察にマークされています。京阪神が舞台となった、あの「グリコ・森永事件」です。
すぐ上でも書いていますように、靖憲は一匹狼的なところがあり、犯行も単独犯であることが多いなどを考えれば、子供に電話で現金受け渡し場所を話させるなど、共犯者がいるであろうこの事件の主犯だったとは考えにくい気が個人的にはしなくもありません。ただ、被害者で、犯人に誘拐された、当時の江崎グリコ社長・江崎勝久さんの自宅があったのが西宮で、当時、靖憲も同市内に住んでいました。
同事件では、西宮市内にあった(今も同じところにあるのかどうか私は知りません)ファミリーマート甲子園口店の商品棚に、青酸ソーダ(シアン化ナトリウム)が入れられたドロップの缶が犯人によって置かれましたが、その際ですか、店内に設置された防犯カメラに犯人の男が写っています。
当時の捜査に加わった兵庫県警の関係者の話が載っていますが、靖憲がビデオに写っていたいわゆる“キツネ目の男”の顔つきに近かったことと、ビデオに写る男と肩のラインがそっくりだったため、捜査関係者もにわかに色めき立ち、署に呼んで事情を訊いたそうです。
靖憲は、2007年1月に、被害総額3億円を超える恐喝容疑の容疑者として大阪地検特捜部に逮捕され、その後刑が確定し、14年の懲役刑で今も服役中だそうです。その逮捕時に毎日新聞大阪版に載った靖憲の写真が、今回参考にさせてもらっています『週刊文春』2011年11月8日号に載っています。
靖憲を真正面のやや上方から撮影した写真ですが、頭はいわゆるパンチパーマというのでしょうか、短いオールバックの髪形です。額は広く、眼鏡をかけています。顔はややふっくらしているでしょうか。
防犯カメラに写っている男は左斜め後方から写されていますが、野球帽からのぞく髪の毛の感じは似ています。また、犯人の男も同じような眼鏡をかけています。
私が考えますに、個人を特定する大きな手がかりのひとつが耳の形であるように思います。もちろん、これは捜査をする専門家も注目しないわけはないと思いますが、写真に写る男と、容疑者として睨んだ靖憲の耳の形を十分比較したでしょうか?
容疑者として疑われた靖憲は、抜け目がないといいますか、警察で事情聴取される様子を隠し持っていた録音機で録音しています。その上で、靖憲は複数の報道記者にそのテープを聴かせるなどしながら、自分が不当に容疑者扱いされたことを話してもいるようです。
そうした報道を見て知ったのかどうか、不当な扱いを受けたと主張する靖憲のいい分を弁護する弁護士がつき、国家賠償を請求する裁判を起こし、警察を徹底的にやっつけることで話を進めたそうです。
実際にはそれを口実に金を脅し取るつもりだったのか、自分を弁護してくれる弁護士に因縁をつけ、お金を要求するようになります。自分の獲物と決めたが最後、徹底的に相手を追い込むやり方は、実姉の角田美代子と共通しています。弁護士の事務所に乗り込み、殴る蹴るの暴行を加え、相手を恐怖に慄かせます。さらには、ズボンを脱ぐようにも命じたそうで、脱がされたあと、弁護士がどんな辱めを受けたのかは、想像するよりほかありません。
ほかにも、自宅前で夜になるとクラクションを鳴らすことを数年にわたって続けたりもしたそうです。自分や家族の身の危険を感じた弁護士は、靖憲に要求されるまま、依頼者から預かった金を長い期間、繰り返し渡すことをしてしまい、横領の罪で弁護士も懲役9年の判決を受けています(「dot.>『尼崎連続怪死』角田被告の弟と『グリコ・森永事件』」)。
離れて暮らした姉の角田美代子と実弟の月岡靖憲は、期せずして、凶暴で厭らしい犯行を重ね、そうして得た金で贅沢三昧の生活をしています。ふたりの体に流れる血がそれをさせた、ということになりましょうか。