高校野球は、高校にいくつもある運動部の一つですが、日本では異様に注目されます。他の運動部も全国大会がありますが、予選から決勝までNHKが放送することはありません。
それが高校野球の場合は、全試合が生中継されます。昔から高校野球は注目される運動部ではありましたが、近年それに拍車がかかっています。
私は昔から高校野球の大会が始まればテレビで中継を見ていましたが、今のように全試合が中継されることはありませんでした。
全都道府県が参加するようになる以前もNHKで放送していましたが、その時代は、地元のチームの試合が優先で、ほかの地域の試合は放送されないことがあったように記憶しています。
注目度に拍車がかかったことで、主催の朝日新聞社(春の選抜大会は毎日新聞社が主催新聞社)や中継するNHKおよびBS朝日ばかりでなく、他の報道機関も話題を見つけては高校野球について取り上げることが増えています。
今ほど過熱する前は、夏の全国大会が終われば高校野球の話題はほとんどなくなりました。それが今は、野球のU18の大会(WBSC U-18ワールドカップ)があり、その代表チームに選ばれた選手などの話題まで盛んに報じています。
今回は大会が韓国で行われますが、日韓関係がぎくしゃくしているため、それに配慮し、選手が着るポロシャツの胸についている日の丸のマークや国名を外す判断を日本高野連(日本高等学校野球連盟)がすると、すかさずそれを識者やネット民が批判し、テレビのワイドショーなどが騒ぎを大きくするといったあんばいです。
また、大船渡高校の佐々木選手の動向に注目し、指に豆ができれば「大変だ」と煽るような記事を出すなど、とにかくどんな些細な事にも飛びつき、競うように報道しています。
高校に数ある部活動の一つであることを考えれば、これほど野球だけを集中的に報じるのはおかしい、との声がマスメディアの中にいる人から出てきても不思議ではありませんが、一向にそんな声が聞こえてきません。
そんな折、東洋経済 ONLINEで次の記事を見つけました。
広尾晃氏によって書かれた記事ですが、高校野球のあるべき姿が綴られています。その中で、個人的に興味を惹かれたのは、世間では美談とされている夏の大会の一コマについて書いてある部分です。
それは、準決勝進出をかけた星稜高校と仙台育英高校の試合中に起きました。私は、大差がつく試合になったこともあり、途中で見るのを止めてしまい、問題のシーンは見ていません。
当時か翌日にYahoo!で報じられているのを見て知りましたが、炎天下で行われていた試合中、マウンドにいた星稜の投手に異変が生じたようです。私が目にした朝日の記事では、投手が熱中症のような症状で指をつりかけた、というように書かれていたと記憶しています。
ほかの社の記事では、指ではなく足がつったようにも書かれていたようで、実際のところはわかりません。ともあれ、暑さによって水分が不足するようなことになり、プレーが中断することがあったのでしょう。
そのことは当然星稜高校のベンチにいる林監督や選手たちもわかったでしょうが、すぐに対応が必要なほどではない、との判断だったのだろうと思います。
ところが、対戦相手である仙台育英の選手一名が、スポーツドリンクの入ったコップを持ってマウンドへ行き、それをマウンドにいる星稜の投手に勧めることが起きました。
私はこの記事をネットで知り、感動の押し売りのように感じたため、本コーナーで批判的に取り上げました。
世間一般の反応は良好で、Yahoo!のコメントにザッと目を通しましたが、私のような批判的な考えはひねくれ者扱いで、大多数が称賛するコメントで占められました。
世の声を知って安心したのか、大会が終わった翌日の新聞に大会の主催新聞、朝日新聞の解説委員が大会の講評を書いていましたが、締めの部分にこの「心温まるエピソード」を紹介していたのが印象的でした。
私がこの出来事を批判的に書いたときも、ジャーナリストであれば、それを美談として伝えるのではなく、そのような症状を引き起こす原因が酷暑の中で試合をさせていることにあるのであり、その話に展開させて記事を書けないのであれば、ジャーナリストは名乗れないのではないか、というような思いを持ちました。
東洋経済 ONLINEにあった記事によりますと、試合中に相手チームの選手に親睦的な態度を採ることは野球規則に抵触する恐れがある、のではないかということです。
具体的には、次の部分がそれに相当しそうということで、その部分を引用させてもらいます。
野球規則4.00 試合の準備
4.06 ユニフォーム使用者の禁止事項
(2)監督、コーチまたはプレーヤーが、試合前、試合中を問わず、いかなるときでも観衆に話しかけたり、または相手チームのプレーヤーと親睦的態度をとること。
高校野球の試合を見ていますと、昔に比べてこうした、いわゆる親睦的態度を採ることが増えているように思います。仮に今から20年前、相手チームの選手がスポーツドリンクを持ってマウンドへ行くようなことは皆無だったのではないでしょうか。
野球規則で禁止されていたからそんなことが起きなかったというわけではなく、それが当たり前という考え方が共有されていたからのように思います。また、多くの人は、そうした“美談”は求めていなかったでしょう。
それがなぜ、今、こうしたことが時に起こるのかですが、これは個人的な想像ですが、“いい子”に見られたい願望を持つ人が増えたからではないか、と考えたりします。
それがやむに已まれぬ気持ちから自然に行われたことであれば、野球規則云々は別にして、私も称賛しないわけではありません。しかし、そこにわずかでも他者の目を意識する気持ちが混じれば、美談とされることを前提に起こした行動といわざるを得ないように私には思えるのです。
美談の立役者が仙台育英であったのは偶然でしょうか。おととしの大会で、同校は優勝候補だった大阪桐蔭高校と対戦し、勝っていることを記憶されている人もいるしょう。
この試合は、野球の神のいたずらのようなことが起き、大阪桐蔭が九分九厘勝っていた試合を落としています。
同校が昨年全国制覇したチームで主将を務めた中川選手が一塁を守っていましたが、ゴロに倒れて一塁ベースを駆け抜けた仙台育英の一選手が、ベースを駆け抜ける際、故意に中川選手のふくらはぎを足の甲で蹴った疑いがネットで上がり、大きな騒ぎになりました。
本コーナーでもこの出来事を取り上げましたが、今年、本サイトのドメイン取得に伴う作業でしくじり、その投稿は消えてしまいました。
そのことが伏線となり、最終回の守りで中川選手のベースカバーに微妙な影響があり、それが仙台育英の奇跡的な勝利につながったのでは、という見方がありました。
長年高校野球を見ている人はこういうプレーを嫌います。また、その記憶がいつまでも残り、選手が入れ替わっているチームにもその影を見てしまうことがあります。
だからといって、仙台育英の選手がチームのイメージアップのためにしたとは思いませんが、ある種の「あざとさ」を私も反射的に感じたことは明らかにしておきます。
東洋経済 ONLINEの記事の話に戻りますと、今回美談とされたようなことが、「麗しい習慣」として定着してしまうことを、記事を書いた広尾氏は危惧しています。私も同じような危惧を持ちます。
そうした危惧は、主催新聞である朝日新聞の記者が持ち、美談としてこの出来事を取り上げるのではなく、そうした面も加えて記事にすべきでした。しかし、大会を振り返る記事を書く同社の解説委員が、締めくくりにこれを“美談”として持ち出すようでは、期待できません。
逆の意味でスポーツマンシップを考えさせられることがあります。
私は自分の地元の予選を見に行きましたが、近くの席に高野連の関係者と思われる人たちが4、5人(後ろの方にも数人)座りました。高野連でどんな仕事をする人か知りませんが、おそろいの野球帽をかぶっていたので関係者であることはわかりました。
試合の途中でグラウンド整備が行われますが、そのとき、グラウンドに降りて、高校生たちがする整備を監督したり指示したりする係の人たちです。歳はまだ若く、30歳代か40歳代ぐらいに見えました。
彼らも試合をスタンドで観戦していました。どちらのチームにも肩入れしないで見ていたハズですが、途中から一方のチームに肩入れし始めたように感じました。
私が気になったのは、肩入れするチームが、相手のエラーで点を取ったときに手を叩いて喜んでいたことです。好プレーに拍手するのならわかりますが、相手のエラーに拍手するのは良い印象が持てません。
高野連の関係者である以上、内心は別にして、見かけ上はスポーツマンシップを尊重し、公平な目で試合を見ているように振る舞うことが求められていると私は考えますが、この考えは固すぎましょうか。
いずれにしましても、高野連の関係者の態度にはがっかりしました。
高校生のプレーにも問題を感じたことがあります。これは、本コーナーで取り上げた千葉の習志野高校と木更津総合高校の試合でありました。両校は準決勝で戦い、習志野が延長戦の末、サヨナラ勝ちを収めています。
問題と思われるシーンは、劇的ともいえるサヨナラ勝ちを決めたときです。
私はテレビで試合の模様を見ていましたが、習志野の打者がショートゴロを打ち、一塁でアウトかと思いきや、セーフの判定(この判定も微妙です)で、その間に三塁走者がホームに駆け込みました。
その際、ホームに戻って来た走者が、二度三度ホームベースを力を込めて踏んでいます。この行為を非難する書き込みが、ネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に少なくないことを知りました。
相手を敬う気持ちがあれば、いくら嬉しくても、これ見よがしにホームベースを踏んだりしないだろう、という声です。
今回の東洋経済 ONLINEの記事でも、試合が終われば、それまで戦っていた選手は、野球という競技を通じて切磋琢磨した仲間であることを知るべき、というようなことを書いています。
プロの世界へ進むような選手であっても、一挙手一投足に注目して報じられることに戸惑いを覚えているでしょう。
マスメディアで働く人間は、彼らを自分たちの飯の種にすることは止め、高校にある一つの部活の選手に過ぎないことに配慮し、彼らを遠くから静かに見守ることを始めませんか。
新聞やテレビは、煽りマシーンで、世の中で起きることに目を走らせ、休みなく大げさに報じることをしています。そんな連中の餌食にされていることを思えば、高校野球の注目選手は気の毒に思えます。
また、注目されるがゆえに、ときには「あざとい」行為をする者も現れ、それがマスメディアという増幅装置によって「美談」に仕立てられ、それに気がつかない多くの人が、感動の涙にくれたりします。
一歩引いたところから高校野球を見ますと、見ようとしなければ見えない負の部分が見えてきます。