2004/12/21 元マラソン日本代表・中山竹通さんの泥臭い生き方

私は自分自身がいわゆる「エリートコース」とは無縁の生き方をしてきたせいか、エリートコースから外れた雑草的な生き方をする人間にどうしても関心が向かってしまいます。

昨日の日経新聞「私の苦笑い」というコーナーで紹介されていたその人もまさに雑草的な生き方を原点に持ち、その後一躍脚光を浴びた人物です。

今回私の関心を強くひきつけた人物は_中山竹通(なかやま・たけゆき:1959年長野県生まれ。1988年ソウル1992年バルセロナ五輪で連続4位入賞。1995年ダイエー退社、大産大などで指導後、2004年、愛知製鋼陸上部監督に就任)さんです。

現役時代を振り返る中山竹通

同コラム内には、日経新聞編集委員の芦田富雄さんによる、現役時代の中山選手評が次のように綴られています。

小気味いい走りと速射砲のように飛び出す挑戦的とも映る言葉の数々。五輪のメダルに手は届かなかったが、鮮烈なイメージを残して時代を駆け抜けた。

思い起こせば、中山さんが現役時代の頂点にあった時、彼の最大のライバルは瀬古利彦さんでした。

ここでちょっと話が脱線してしまいますが、瀬古さんの名前が飛び出したところで思い出した話を書いておきたいと思います。

瀬古さんがマラソン・ランナーとして大成できたのは中村清さんとの出会いがあったから、というような話を遥か昔に何かで読んだ記憶があります。で、その2人の出会いですが、瀬古さんは、いきなり自分の前に現れた中村さんが変わったヘンなおじさんにしか見えなかったそうです。

しかし、得てして人生の中での出会いというものはそういうもので、そんな「ヘンなおじさん」にしか見えなかった中村清さんが瀬古さんにとってかけがえのない人となり、あとは二人三脚のようにしてマラソン競技で世界の頂点を目指すこととなったわけです。

そしてこの話をさらに奥深いものにしているのが、その中村さんの死に方です。

私の記憶が正しければ、瀬古さんは、彼のファンだという女性からファンレターか何かをもらい、それが縁となって結婚しているはずですが、中村さんは瀬古さんの結婚に合わせるように命を落としているのです。中村さんの趣味であった釣りで渓谷へ行き、その川の流れの中にうつ伏せに倒れて息絶えていたのです。

見方を替えれば、これは瀬古利彦という一人の男を巡っての“三角関係”に敗れた一人の女性の死に共通するものが感じられます。そういうことから、私は師弟の関係に様々な憶測を巡らせた時期もありました。

真相はわかりません。中村さんの死期と瀬古さんの婚期がたまたま重なっただけ、ということなのかもしれません。

以上、話が横路に逸れてしまいました。

同じライバル同士でありながら、中山さんは瀬古さんとは正反対のスタートを切っています。それを一言でいえば、「エリートの瀬古さんVS.非エリートの中山さん」です。

中山さんは長野県に生まれ、走ることが何より好きな少年として育ちますが、あくまでも“雑草”のような走り方です。何しろ、中学、高校時代の彼の練習場所は家の近くの野山だったのですから。

そんな彼ですから、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)国体とも縁がなく、実業団から入団の誘いを受けることもあるはずがありません。また、経済的余裕もないため、大学への進学も諦めざるを得ない状況にありました。そんな中山さんが就職した先は、当時の国鉄(JRの前身)の下請け会社で、来る日も来る日も松本駅で、ホームや待合室の掃除やお茶くみなどをしていたそうです。

それでも走ることへの夢は捨てていなかったようで、夜勤明けで帰ってきたときに、疲れた身体に鞭打つように自分一人の練習を続けていたそうです。一方で、ランニングのエリートコースを歩む同世代の選手たちは、箱根駅伝などの晴れ舞台で脚光を浴びていました。その一人に、のちに最大のライバルとなる瀬古さんもいたのです。

中山さんは23歳の時に出場した長野県縦断駅伝でごぼう抜きを演じ、それが新聞に取り上げられたことが縁でクラブチームからの誘いを受け、その後のマラソン日本代表へとつながっていくことになります。独り、駅舎でランナーへの夢を膨らませていた時代、彼の目線で観察した経験があとで大きく作用しているといいます。そのことについて書かれた部分を以下に抜粋させていただきましょう。

掃除用具を手に線路からホームを見上げていると様々な人生がかいまみえる。駅に集まる人たちはまさに自分勝手な集団だ。ごみをまき散らかし、けんかをし、酔っ払って寝てしまう。何がいつ起こるか皆目わからない。マニュアルなど役に立たない世界だ。その都度、臨機応変に対応するしかない。
実業団に入って感じたのは、エスカレーター式に育ってきた“エリート選手”たちはマニュアルの中に小さく納まっていることだった。長い間、手取り足取り教わってきたから自分自身の頭で考えなくなるのだろう。監督から練習メニューをもらっても自分で工夫する術を知らない。

このことは、世の中のあらゆることにもそのまま当てはまるのではないでしょうか。だからこそ、先日の本コーナーでも、「受験エリートは嫌い」というようなことを書いたりしたわけです。

よい点数を取るための“受験テクニック”だけを身につけ、その結果、よい大学、よい企業に入ることにどれほど意味があるというのでしょう。中身を伴わない上っ面だけの勝者に明るい未来はない、と私は考えたいのです。

ともかくも私は、今日紹介した中山さんのように、泥臭い生き方をされている人が好きです。今回の日経のコラムは次のように結ばれています。

競技でなによりもだいじなのは相手の心理を読み、臨機応変に対応すること。多感な時代、流したたくさんの涙は無駄ではなかったと思っている。

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