私には購入した日付を残す癖があります。〔1999.2.24〕と残る本を、今、初めて読み始めました。『姿の消し方 幻想人物コレクション』(池内紀/岩波文庫という本です。
私は、実在した人物や実際に起こった事件などについて書かれた本が好きです。いわゆるノンフィクションというヤツですね。
今回話題にしたい池内紀さんの書物もそうした一冊で、本の帯には「彼らは確かにそこに在た そして 鮮やかに消え失せた 有名無名 奇人変人 喜劇悲劇 30人の数奇な運命」とキャッチ・コピーが踊っています。これだけでも大いに興味をそそられそうではありませんか?
私は、自分自身が多分に“変人”ぽいところがあるせいか(自己申告?)、いわゆる奇人変人の類いが嫌いではありません。というより、大好きです。ですので、当書も、そこに惹かれて買い求めたものと思います。
内容は、上の帯にもあるように「30人のトンデモ人間」の生き様がそれぞれ短い文章によって綴られています。それではその30人を目次から以下にご紹介してみましょう。
- キュゼラーク来たる(書記官)
- リーケ叔母さん(女流詩人)
- 国王を殺したら?(織物職人)
- あるユダヤ人の場合(財務顧問)
- ダンディの条件(肖像画家)
- 貴族の血(俳優)
- 悪の哲学(鍵職人)
- 聖痕あらわれる(聖女)
- 欺瞞の辞典(通俗作家)
- ゲーテの愛でし子(司書)
- 顔に憑かれた男(彫刻家)
- モーツァルトの息子(音楽家)
- 黒い書簡集(喜劇作家)
- 友愛という名の芸術(サロンの女主人〔マダム〕)
- フリーメイソン宝典(小官吏)
- 食通王(料理人)
- 屋根裏でひとり(日曜画家)
- 七色の声(歌手)
- スザンヌの微笑(テニス選手)
- 居酒屋巡礼(ブリキ絵画家)
- アメリカの哲人(銀行家)
- 姿の消し方(司祭)
- 耳なしウィリー(仕立て屋)
- 聖アドルフの生涯(夢想家)
- まことの愛(女王)
- 森の聖書(無名者)
- 室内旅行家(軍人)
- 尻の美学(画家)
- 恋人のつとめ(カフカの恋人)
- ヒトラーの兄弟(ノーベル賞作家)
では、実際にはどんな風に書かれているのかということで、当書で最初に登場するヨーゼフ・キュゼラークについて書かれた章を取り上げてみることにします。
この人物は、歴史に残るような偉業を成し遂げたわけでもなく、現代の日本で彼の名前を知る者はほとんどいないでしょう。しかし、彼が生きた時代のオーストリア帝国においては事情が異なり、子供でさえも彼の“名前”を知らぬ者はいないほどの超有名人だったそうです。
なぜなら、彼は自分自身で、国中の至る所に自分の名前を書きまくったからです。
彼の本業はオーストリア帝国の首都・ウィーンのしがない小役人でした。彼は36歳でこの世を去っていますが、成人してのちはくたびれたズボンを履き、日がな一日「薄暗い文書室の書き物机で公文書を筆写する」仕事をしていました。
ですから、それだけで終わっていれば、国中にいる「その他大勢の単なる一人」に過ぎず、誰の記憶に残ることもなく、ひっそりとその生涯を閉じていたはずです。
しかし、ここが奇人の奇人たるゆえんですが、彼はどうしたわけか、国中に「J. Kyselak kam」(=J.キュゼラーク来たる)と自分の名前を書きまくったのです。
彼が自分の署名をする際に主に用いたのはテンペラ画用の絵具で、これであれば、乾燥してしまえば、雨に流れる心配もありません。
そして、署名する場所が絵具ののりの悪い場合などは、釘で引っかいたり、ノミで彫り付けることまでしたようで、実に念が入っています。
そうやって、国中のめぼしい建物や橋、塔に次々と自分の名前を記していくことになります。
彼の“ひとり署名活動”はよほど徹底していたようで、1825年、ドナウ河の東で古代ローマ時代の遺跡が発見され、掘り起こされた石門を考古学者が調べると、ローマ皇帝を称える銘文の下に、「J.キュゼラーク来たる」の署名が見つかったそうです。ここまでくると、あっぱれというよりほかありませんね。
では、彼がなぜこうした奇妙な行為を採るようになったかですが、確たる理由が今となってはわからないようで、一つの説として、彼の失恋説が紹介されています。
彼は上司の娘に恋をしたものの、相手にされず、その悔しさから、「それなら、彼女(振られた相手)が国中どこへ行こうと、嫌がおうでも見たくもない自分の名前に遭遇するようにしてみせる」という“復讐心”が彼を掻き立てたのではないか、と推察されています。こうなりますと、今でいうところの立派なストーカー男です。
他にも、彼は元々は詩人志望だったものの、全く認められず、せめて名前だけでも知られるようになりたいと考えたのではないか、という説もあるようです。
このように見てくると、キュゼラークという人物の生涯は滑稽なるもやがて哀しいものに見えてしまいますが、世の人間の多くも心の内には彼に通じる“有名欲”を少なからず有しているはずで、その欲を実現した彼は、その時点で、その他大勢からは抜き出たことになるのかもしれません。
そういえば、キース・ヘリングという早世のアーティストも、1980年代当時にニューヨークのサブ・カルカチャーとして花開いたヒップ・ホップ・ムーブメントの渦中で「いたずら描き」によって頭角を現した人物で、その精神は、遠くキュゼラークにも通じるものがあるのかもしれません。
ともかくも、池内さんの当書には彼のような奇人変人の類いの人物が入れ替わり立ち替わり登場し、奇人変人好きの私を少しも飽きさせないと同時に、これを電車内で読むことで他者との出会い頭的な視線のぶつかり合いからも防いでくれ、一石二鳥以上の効果をもたらしてくれています。
というわけで、「奇人変人に感謝!」といったところでしょうか。