2004/06/12 長崎小6女児殺害事件

本日は、発生から10日以上経った事件について書きます。その事件とは、「長崎小6女児殺害事件」す。

この事件は、その特異性から世間の関心を集め、私自身も本コーナーで取り上げるつもりでいながら、どうにも気が重く、今日まで延び延びにしていました。しかし、今日の産経新聞に、加害女児のサイトを検証する記事が掲載されていたこともあり、書いてみる気になりました。

で、まずは、事件の発生から少し振り返ってみることにします。

事件が明らかになったのは今月の1日午後0時45分頃で、事件現場となったのは長崎県佐世保市東大久保町9-10にある市立大久保小学校(出﨑睿子(えいこ)校長/全校生徒数・187人)です。

それはちょうど給食の時間帯で、同小学校6年生(当校は各学年1クラスで、6年生は38人)の教室でも、午後0時15分頃からは給食の準備が始まっていました。想像するに、お腹を空かせた小学生たちが賑やかに準備をする声が教室中に響き渡っていたことでしょう。

その準備が終わったのが約20分後といいますから、午後0時35分頃ということになります。その頃になり、6年生のクラス担任である村里浩義教諭(35)は、2名の生徒がいないことに気づきます。

この間に、犯行は行われていたのです。

間もなくして、一人の少女だけが教室に戻ってきました。しかしその姿は尋常ではない血まみれでした。驚いた担任教師は女子児童が怪我をしたと思い近づきましたが、彼女自身が怪我をしているわけではないのでした。

おそらくは、どのような事態になっているのかわけがわからなくなった担任教師は、もう一人まだ教室に戻っていない児童の居場所を彼女に尋ねます。

「(もう一人は)どこにいる?」

教諭の質問に、彼女は、同じ3階で50メートルほど先にある学習ルームの方角を指差したといいます。

問題の学習ルームというのは、普段は教材などを置いておく部屋で、鍵などはかかっていなかったそうです。何もわからずにその部屋に教諭が駆けつけると、入り口付近に一人の少女がうつ伏せの状態で倒れているのが目に入りました。見れば、なぜか部屋のカーテンは閉め切られています。

この瞬間、学校内は緊急事態に陥り、教頭が119番通報するなど、蜂の巣をつついたような狂乱状態に化したことが想像されます。

通報を受け、警察官や救急隊員が現場に駆けつけたものの、女子児童は既に心肺停止状態だったそうです。それもそのはずで、女子児童は頚動脈部分を深く切り刻まれていたのですから。現場には、凶器と見られる、カッターナイフが落ちていたといいます。

被害者となったのは、同校6年生の御手洗怜美(みたらい・さとみ)さん(12)です。彼女の父親は毎日新聞・佐世保支局長を務める御手洗恭二さん(45)で、佐世保警察署に隣接する同新聞社支局内に家族と一緒に暮らしていました。

私がこの事件の報道を知り、真っ先に同情したのは、被害者の父親、恭二さんに降りかかった不幸の深さです。

新聞やテレビなどの報道によりますと、彼は3年前の2001年9月に妻を癌で亡くしたそうです。その後は男手一つで二人の息子と今回の被害者となってしまった怜美さんを育てていたわけです。

先日の「スーパーモーニング」で伝えられたところによれば、恭二さんは毎日新聞・東京本社の勤務だったそうですが、奥さんの病気が発覚後は、看病の時間がとれ、病床の妻のそばにできるだけいられるようにと、地方勤務を自分の方から申し出たとのことです。

結局は看護の甲斐もなく奥さんを亡くされてしまうわけですが、そのためにと選んだ地方勤務先で、今度は愛する娘さんが凶行に遭ってしまったわけで、この人生の皮肉をどのように受け止めたらいいのでしょうか。

妻を失って茫然自失の状態にあった恭二さんを、末娘の怜美さんが「もっとポジティブになろう」と励ましたそうです。恭二さんにとっては何物にも替え難い愛娘は、自分のそばにいるのが当たり前で、空気と同じような存在だったでしょうから、彼女が突然この世から消え去ってしまった今、呼吸をするのさえ困難な状態にあるのではないかとお察しします。

凶行があったその日も、普段と何も変わらない朝で、洗濯をする恭二さんの脇を怜美さんが通って学校へと出かけていったようです。その際、それが永遠の別れになるとは夢にも考えていなかった恭二さんは、娘の後姿さえ見送れなかったことを悔やんでいます。

彼女のカバンに給食当番のエプロンか何かが入れられた白い袋が下がっていたのが視界の端に見えたことが記憶に残っているそうです。

被害者と加害者の女子児童の間に、どんな事情があったのかは第三者にはわかりませんが、凶行の直前、加害女子児童は、怜美さんを連れて学習ルームへ行きました。怜美さんは、なぜ呼び出されたのかもわからなかったでしょう。

加害女子児童の話によると、学習ルームに着くと、二人で部屋のカーテンを閉めたそうです。これは、今から行う事を外から見られては困るという配慮で、ここからも事件の計画性が垣間見えなくもありません。

加害女子児童は、怜美さんを椅子に座らせると、用意してあったタオルで怜美さんに目隠しをしようとします。しかし、怜美さんに嫌がられ、タオルをすることは諦めます。そして今度は片方の手で目隠しをし、手にしたカッターナイフで一気に凶行に及んだのです。

事件の2日後の産経新聞一面のコラム「産経抄」は、次のように書き出しています。

長崎県佐世保市の小六女児殺害事件で不可解なことは、被害者の女の子の首の傷が深さ十センチに達していると伝えられたことである。凶器はカッターナイフだが、頸動脈が切断され、救急隊も間に合わず搬送もできなかったという。凶行の動機や原因は何であれ、加害女児のこれほどの強い憎しみはどこからきたのか。もののはずみとか、出合い頭の出来事などというものではない。殺意がなくてはこれほどの致命傷は与えられないだろう。不可解というより、底の知れない恐ろしさを覚えずにはいられないのである。

大手マスメディアは、心の奥底では感じていても、それをそのまま文章化することは困難で、そのぎりぎりの表現によって、今回の事件の“本質”がここには書かれていると私は感じました。

私がこの事件から受けた印象も、単なる怨恨ではなく、もっと別の「暗い衝動」がその裏側に決定的な動機として隠されているように思えて仕方がありません。

それでは、ここでいよいよ、今日の産経新聞で検証された加害女子児童のサイトの記事に移りたいと思います。

彼女自身がネット上に自分のサイトを持っていたことは広く伝えられていますが、当然のことながら、現在それを見て確認することはできません。そこで、今日の産経新聞の記事から、彼女がサイトの日記及び詩に書いていたことを以下に列挙しておきましょう(2004年6月12日付け産経新聞記事より。文章は全て原文のまま)。

「闇をこえてこそ光はきっとある―(略)苦渋、絶望、苦しみが私を支配するけれど、全てと戦い、闇を葬り光とこの身の有り難さをそのぶん欲したい―(略)皆で頑張ると、月よりも明るく照らし合えるはず」(2月1日)

「たった一つだけのかけがえのない、『命』をもっているのだから_殺さないで、沢山殺して殺して殺して殺して_森の木も人の手によって焼き払われたりしたよ(略)木も花も動いたり、話したりはしないけど、生きているんだよ_。生きているのだから、全て生きているのだから。神様はいるのですか_助けてください_」(2月2日)

「差別はいらない。すべて不揃いなのは必然的なことで、みんな違って、みんな良い。それが個性なのだから」(2月5日)

「(バスケットボールの)レギュラーに入れてよかった(略)明日もあるのでガンバロー☆」(2月7日)

この書き込みに対し、怜美さんが「おめでとー☆」と書き込む)「(架空と断った上で 彼女の両親は健在)恨めしい。親なんていらないなんて_。親を亡くした私の気持ちわかる? 親がいなくなったらこんなに_。さみしい 親のいる人が羨ましい。家事とかの問題では無い。心の事だ(略)身内の人が死んでも悲しいでしょう? なのに皆はいなくなって欲しいと言った。その皆の親がいるのがずるい」(2月18日)

「(3月以降日記は中断状態が続く。この間、バスケ部を母親の意向で退部)ヒッマだぁぁぁぁぁぁぁ~(略)」(4月8日)

「(チャット仲間にアンケートを実施。生き残りをかけたクラスメート同士の殺し合いに自分が巻き込まれたらどうするかを尋ね)私は_殺し合い、なんて、人を奪い合う事は許されないので殺し合いなんてしません(何綺麗事吐いているんだ)」(4月27日)

「GW(=ゴールデン・ウィーク)3日目。どこにも行ってません(略)つーヵこの頃ヤバイッス。なぜかって? この頃”記憶”が所々飛んでます。まじ。昼飯たべてヵラ何をしたヵ記憶にナイ」(5月3日)

「今日は溜息が出るほど暇でやんす(略)友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで別にいいでやんす」(5月4日)

「昨日学校、ズ○休みしちゃいました」(5月7日)

以上の彼女の文章から、どれほど彼女の内面が読み取れるのかはわかりませんが、彼女は『バトル・ロワイヤル』が好きで、それに似せた自作の小説をサイトに掲載していたそうです。

同級生15人を殺して生き残った中学3年生の女子が主人公で、彼女は自分自身を自作小説の主人公になぞらえていたのかもしれません。舞台設定上のクラス構成は、男子が18人、女子が20人と、女子児童が在籍していたクラスと一致し、さらに、怜美さんをイメージさせる「御手洗遥香」という女子も登場させていたようです。

以上のことを考え合わせて今回の事件をイメージすると、思春期特有の不安定な精神状態に、加害女子児童特有の性格が加わり、何かをきっかけに、とんでもない方向へと向かってしまったのかもしれません。

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