本日は、ある事柄について考えていただきたいと思い、サンプルとしてひとつの音声データを用意してみました。
その番組が放送されたのがいつだったのかを本サイト内の「私のTV指定席」(現在このコーナーはありません)で確認したところ、5月31日でした。それはNHK衛星第2で放送されている「BS思い出館」という番組です。
この番組では、NHKが以前に放送した数々の名作ドラマからピックアップして放送しています。その回では、かつてNHKで放送された傑作ドラマのひとつ『男たちの旅路』でした。
放送当時、「土曜ドラマ」というドラマ放送枠があり、「土ドラ」の名称で親しまれていました。その枠で放送されて人気を博したのが『男たちの旅路』です。
脚本を担当されたのは、『岸辺のアルバム』(1977)や『ふぞろいの林檎たち』(1983~1997)などでもその名を知られる山田太一(1934~)です。
このドラマに登場する主人公たちは、警備会社で働く警備員です。主要な登場人物は変わらず、一話ごとに完結する作りです。
主要な登場人物は、鶴田浩二(1924~1987)が、特攻隊の生き残りだという硬派な司令補・吉岡晋太郎を演じ、その部下には水谷豊(1952~)の杉本陽平、桃井かおり(1951~)の島津悦子、柴俊夫(1947~)の鮫島壮十郎ら警備会社の社員がいます。
音楽を担当したのはゴダイゴのミッキー吉野(1951)で、テーマ曲は今聴いてもカッコいい仕上がりになっています。ただ、番組の音楽を担当した時は「ミッキー吉野グループ」です。
このたび、「BS思い出館」で放送されたのは、全部で4部まであるうちの第2部・第2話の「冬の樹」(初回放送:1977年2月5日)です。
粗筋を簡単に書いておきます。
ドラマの冒頭シーンは、NHKホールで行われるゴダイゴのコンサートです。その観客誘導に当たっているのが吉岡の警備会社です。そこである出来事があります。
コンサートの終了後、ホールの楽屋口に女性ファンが押しかけ、パニック状態となります。その騒動により、ひとりの若い女性・平山美子(演じたのは竹井みどり〔1959~〕)が転倒し、軽症を負います。
そのあと、思わぬ方向に事態が展開されます。
負傷した美子の父親・平山修一(演じたのは滝田裕介〔1930~2015〕)は、警備に不備があったのではないか、と吉岡ら関係者を厳しく問い詰めるのです。
その一方で、怪我をした美子は自分の両親に不信感を持っており、父に毅然とした態度の吉岡に逆に好感を持ってしまいます。
脚本を書いた山田太一は、本ドラマで、親子関係のあるべき姿について、視聴者に問いかけをしています。
以上、粗筋を簡単に書いたうえで、本ドラマの中からあるシーンの音声データを聴いていただくことにします。
警備に不備があったとして、謝る吉岡と美子の父の修一が対立した結果、本音を闘わせることになるシーンです。
私がこの音声データを聴いていただきたいと思ったのは、実際に起きたある事件のその後の経過について考えて欲しかったからです。
その事件は、本コーナーでも過去に何度か書いたことのある「桶川ストーカー殺人事件」(1999)です。
事件のあらましについては、上のリンク先のページなどで確認してください。
私の手元には、6月1日付けの日経新聞の記事があります。それは小さな記事ですが、見出しには「国賠訴訟二審へ、支援者らが集会」とあり、支援者を前にして被害者の女性の両親が支援を訴える姿を写した写真が掲載されています。
その事件のその後の展開に、私はある種の疑問を抱いていました。そして、今回の支援者らの集会の記事にも同じ疑問を抱きました。
ご自分の娘がストーカー被害の末、無残にも殺されてしまったわけで、無念の思いがあることは十分に理解できます。しかし、その責任を警察だけに負わせることは果たして正しいのか、と私は考えてしまうのです。
同集会の考えを代弁するように、諸澤英道・常盤大学学長(1942~)は「猪野さんが助けを求めているのに警察はやるべきことをやらず、守れなかった」と訴えています。
これも正論で、市民の身の安全を守るべき警察の責任は追及されて然るべきです。しかし、これはド素人の私の推測ですが、市民からの訴えがあったからといって、すべての事例に同じように対応し、犯罪の可能性を未然に推測することは不可能であると思います。もしそれが可能なのであれば、犯罪は発生しないでしょう。
猪野さんのケースは最悪の結果ですが、同じようなストーカー被害の訴えがどれほど寄せられるのかわかりませんが、それが殺人にまで至るケースは、全体の数パーセントに留まるはずです。
それを経験的に知っている警察に対して、訴えすべてに本腰になれ、というのはちょっと無理がある気がしないでもありません。
話を半ば強引に先の音声データに結び付けてしまいます。
鶴田浩二が演じる吉岡という中年男性の指摘は、そのまま猪野さんのご両親への指摘として当てはまりはしないでしょうか?
少しきついいい方をしてしまえば、責任を警察だけに押し付けるのではなく、その何分の一かは、被害を受けた娘自身や、そのような娘に育てた両親にもあるのではないか、と考えて欲しいのです。
猪野さんが犯人となるストーカー男と知り合うきっかけは、彼女自身が作ったものです。そこには警察の責任はありません。そこでもし、猪野さんがもう少し思慮深い行動を採っていたなら、その後の悲惨な結末を迎えることはなかったはずです。
私がこの事件のその後の展開に胡散臭さを感じるひとつの理由は、当時からジャーナリストの鳥越俊太郎氏(1940~)が司会をされていた「ザ・スクープ」という報道バラエティ番組が関わっていることです。
その番組で取り上げる以前、両親はマスメディアのバッシング報道(猪野さんの素行に関する誹謗中傷)により、家から外に出られず、世間から身を隠すように生活していたといいます。それを引っ張り出すことに成功したのが当番組であり、鳥越氏であるといわれ、その後、彼と番組は報道部門の賞を受けています。
ただ、その行為に私が諸手を挙げて賛成できないのは、朝日新聞グループお得意の論理のすり替えを感じるからです。
どういうことかといいますと、最も責任を問われるべき犯人のストーカー男をさておき、「一番悪いのは事件を未然に防ぐことができなかった警察である」と自分たちにとって都合のいい結論を導き出し、それに則ったキャンペーンを展開しているように私には感じられます。
それは別にして、鳥越氏と番組によって、結果的に世間に顔をさらすことになった被害者のご両親は、自分の娘を殺した犯人よりも、警察という国家権力を批判することが唯一の生きがいであるかのように映ります。
そのような猪野さんご夫妻を見ていると、鳥越氏らに利用されているようで、気の毒に思われて仕方がないのです。一度はマスメディアの中傷によって傷つけられ、今度はマスメディアに、都合の良い「駒」として利用されているようです。
今、残された猪野さんご両親に求められるのは、権力の非を訴えることだけではなく、ご自分の娘さんが無残な殺され方をされるまでの親子関係の問い直しであり、自己批判であると思います。
それなくして、たとえ権力側から謝罪の言葉を勝ち取ったとしても、自らの心に負った深い傷が消え去ることはないではありませんか。
僭越ながら、そんなことに思いを致して、もう一度音声データを聴いていただければと思う次第です。
最近はテレビドラマをほとんどといっていいほど見ていません。中には名作といわれるような作品もあるのかもしれません。しかし、見る気が起きないドラマが多い印象で、結果的には、後世に名作ドラマといわれるようなものまで見逃しているのかもしれません。