2003/11/06 写真家・中平卓馬の存在

芸術の秋だからというわけでもありませんが、ふとした時に、アウトサイダー・アートともいえるような作品を生み出しているアーティストに心を惹かれることがあります。

ロベール・クートラスという画家にも心を惹かれました。彼については、数日の内に書きたいと思いますが、今日は、先日(11月2日)の日経新聞に載っていた中平卓馬(なかひら・たくま:1938年東京生まれ。1963年、東京外語大卒業後、現代評論社に入社し、森山大道東松照明らと出会い、写真を学ぶ。1965年に退社、作品や批評を発表する。写真集に「来るべき言葉のために」〔1970年〕「新たなる凝視」〔1983年〕など=2003年11月2日付日経新聞記事より)という一人の写真家について書いてみます。

記事の見出しは、「中平卓馬 病後の挑戦 純粋写真、無心を写す 意図は排して撮影の日々」です。

今回の記事を書いた日経新聞・文化部の記者が、中平さんのある一日に同行し、記事にまとめられたようです。記事には、少し腰をかがめ気味に立ち、こちらを眼鏡越しに見る中平さんの写真があります。服装はジーンズで、モノクロ写真のため色はわかりませんが、説明では、お気に入りの赤い帽子をかぶっています。

そして手にはカメラを持っていますが、今流行のデジカメではありません。

カラー・フィルムを装填した一眼レフ式フィルム・カメラです。レンズもズーム・レンズではなく、100ミリの単焦点レンズ。そして、実際に撮影するときには、カメラを立てて構える縦位置と決めているそうです。

とここまで書いてきて、中平さんという写真家をご存じない方には、「彼のどこが“アウトサイダー・アート”的なのか?」と不思議がられてしまうかもしれません。彼は実は1977年9月、飲酒中に倒れて昏睡状態となり、意識が戻ったときには記憶の一部を失っていたというハンディを持つ写真家なのです。

そんな中平さんであるからか、記事に添えられた彼を写した写真の中でこちらを見る彼のまなざしにも、どこか異質なものが感じられます。

彼が突然倒れて記憶の一部を失い、さらには読み書きの不自由さに後遺症が認められるようになるその直前まで、彼は「先鋭的な作品と批評で1960年、70年代に伝説を築いた写真家」(2003年11月2日付日経新聞記事より)として脚光を浴びていました。

彼の活躍の時代について私は知りません、記事には次のように書かれています。

1968年多木浩二高梨豊らと写真同人誌「プロヴォーグ」を創刊し、時代の旗手となったころの中平作品の特徴は「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれた。画面を荒々しく揺らして、不鮮明にする技法は紋切り型の写真報道に対する挑発であり、安保闘争や反戦運動で揺れ動く社会の空気をとらえて熱烈に支持された。

昏睡状態から回復した中平さんの作風が一変します。そのあたりについて、記事の中で写真評論家の飯沢耕太郎さんは次のように述べています。

まるで銀行の無人カメラ映像。(初めて病後の写真を見たときは)評価すべきか疑問を感じた。(しかし、今では)赤ん坊が撮ったような面白さがある(ように見られるようになった)。(それでもやはり中平さんの写真はあくまでも)アウトサイダー・アート(の範疇に加えるべきだと思う)。

確かに、今回の記事に添えられたもう一枚は中平さんが撮った写真で、そこには駐車している車のタイヤのそばで気持ちよさそうに日向ぼっこをする白い猫を撮っています。誰にでも撮れる「何の変哲もない写真」といえなくもありません。

ただ、中平さんの現在の即物的ともいえる作風は、病気だけによってもたらされたのではない、という見方も示しています。

彼が倒れることになる1977年の4年前。「なぜ、植物図鑑か」という論文の中で、中平さんは過去の自分の作品を否定し、これからは「図鑑」のように情緒も意味も排した写真を撮ると宣言されていたそうです。

そう考えるきっかけとなったのは、1971年の沖縄返還協定への抗議行動で警察官が死亡している事件です。そのときに新聞に載った写真が決め手に使われ、その写真に写ったた青年が逮捕されたそうです。そのときの中平さんの心持を記事は次のように書いています。

「客見的な記録」と称して写真に様々な意味が付され、利用される危うさ。体制に異議を唱えるために撮ってきたはずの写真が、メディアや体制側の意図でゆがめられる事実を痛感し、中平は猛省する。

そうはいっても、日々心が揺れ動く人間が、情緒を排除した写真を撮れるはずがありません。自分の思いのままの写真が撮れず、中平さんは焦り、苦しみます。当時助手をされていた写真家の中川道夫さんは、「中平さんの精神は極度に緊張していて、それも病気の一因だった」と振り返っています。

その焦りと苦しみの中で中平さんは昏睡状態に陥りました。

再び意識が戻った中平さんは、そうなる以前に“願っていた”であろう無心で写真を撮れる心境を手に入れました。

中川さんは「普通の人間は、どんなに情感を排除しようとしても、入り込む。それをやってのける中平さんの存在はやはり奇跡」といい、意図的に情緒を排した作品を手がける写真家のホンマタカシさんも「写真行為としての純粋さは世界一」とうらやむほどです。

当の中平さんは、気負いとは無縁に、横浜にある自宅を午後に出て、行きつけのレストランで夕食を摂る午後4時まで、カメラを提げてする散歩が25年間変らない日課だといいます。

彼が狙う被写体は、たまたま出会った猫であり、鳥であり、眠るホームレスなどだそうです。「自意識を超えた存在」のみが中平さんの琴線に触れ、なんの計算もなしにシャッターを切るのでしょう。

中平卓馬さんの回顧展「中平卓馬展 原点復帰―横浜」(2003年10月4日~12月7日)が横浜美術館で開かれています。

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