「とんかち作業」を厭わない村上

本コーナーでは前回、村上春樹1949~)の『職業としての小説家』2015)を、Amazonの電子書籍版で読んだことを書きました。

その締めの部分に、村上がどのように小説を書いているのかを、書けることがあれば書く、と書きました。それをこれから書くことにします。

私はこれまで、村上の小説を、短編を含めれば、それなりの数を読んでました。そして、本コーナーで、読み終えた村上の小説について書きました。

それらの中にすでに書きましたが、村上は、書く前にプロットのようなものは作らず、いきなり書き始めるのではないか、と根拠のないまま書きました。

今回、村上がどのように小説を書くかについて書いた本書を読み、私の「読み」がそう外れてはいなかったことが確認できました。

村上は、どんな長編小説であっても、いきなり書き始めてしまうそうです。話の展開も、結末も、書き始めた時点では、それを書く村上自身が何も持っていないということです。

村上は、『風の歌に聴け』1979)を書いて、講談社の文芸雑誌『群像』の新人賞に応募し、それが「群像新人文学賞」を受賞し、小説家デビューを果たしています。

2作目の長編小説は『1973年のピンボール』1980)ですが、この二作品は、村上が好きなジャズのレコードをかけ、コーヒーとアルコールと食事を出す店を妻とふたりと営みつつ、仕事を終えた深夜から明け方にかけて書いています。

Thelonious Monk – Monk’s Dream / Biography

長編小説の3作品目は『羊をめぐる冒険』1982)ですが、これを書き始めるにあたり、店を経営する仕事を辞めています。小説家として生きて行く覚悟を決め、千葉県習志野(ならしの)市に移り住んだのがこの時です。

その頃からでしょう。今に続く、早寝早起きの生活スタイルに、意識して変えています。

村上は毎日朝早く起き、ひとりでコーヒーを温め、4時間から5時間は、小説を執筆するため、机に向かうそうです。

途中で、ワードプロセッサー(ワープロ)やPCのワープロソフトで書くようになりますが、毎日、原稿用紙で10枚の量を書くことを自分に課している、と書かれています。

もっと書けそうであっても、10枚書いたら終わりです。逆に、10枚書くのが大変そうな日も、とにかく10枚は書くそうです。何より、規則性を大切にしたいからです。

それを村上は「(サラリーマンやOLが)タイムカードを押すみたいに」と表現します。

毎日10枚書けば、1カ月で300枚。半年で1800枚になります。『海辺のカフカ』2002)は、第一稿が1800枚だったそうです。

このようにして、第一稿を書き終えたら、一週間程度、間を置く期間を設けます。

一服が終わったら、最初の書き直しに入ります。これも、頭から、ごりごりと書き直すそうです。

何のプランももたずにいきなり書き始めるスタイルを採るため、行き当たりばったりにならざるを得ず、筋が通らないところも出てきてしまいます。

また、登場人物の設定や性格が途中でガラリと変わってしまうことも起きます。

このくだりを見て、私が思い浮かぶ村上の短編小説があります。それは、映画化された『ドライブ・マイ・カー』です。それについては、それを読んだあと、本コーナーで書きました。

主人公の舞台俳優は、車の運転をするのが好きであるにも拘らず、自分で運転ができなくなり、知り合いの自動車修理工場の社長(だったかな?)に勧められて、北海道出身の若い女性を専属のドライバーに雇います。

その女性ドライバーは、必要なこと以外しゃべらないという設定でした。読み始めたとき、それに魅力を感じました。ところが、読み進めていくと、しゃべらないはずの女性ドライバーがよくしゃべるようになり、「あれっ?」と感じたのを憶えています。

「第94回アカデミー賞」国際長編映画賞受賞 映画『ドライブ・マイ・カー』(PG-12)90秒予告【2021年8月20日公開】

ともあれ、修正する箇所がたくさんできてしまうため、それをひとつひとつ修正していくそうです。

中には、『ねじまき鳥クロニクル』19941995)のように、そこから、別の作品『国境の南、太陽の西』1992)ができてしまうといったことも起きています。これは、例外中の例外だそうですが。

そのあたりについては、ネットの事典ウィキペディアに書かれており、村上の妻の助言でそのような判断をした、というような話でした。村上の妻の役割は、このあとに出てきます。

最初の書き直しは、1カ月か2カ月かけるそうです。

その書き直しが終わったら終わりではなく、一週間程度の間を開け、2回目の書き直しをします。今度は大手術ではなく、細かい手術になりますが、頭からどんどん修正していくそうです。

それが終わったら、また一服したあと、次の書き直しです。このあたりから、手術ではなく、修正の段階になるようです。

そのときに村上が大切にしていることは、ネジの締め加減に気をつけることです。全体を同じ強さで締めてしまったのでは、読者に窮屈な印象を与えてしまいかねません。

というわけで、そのあたりは長年の勘と技で、締めるところと、あえてきつく締めないところを作ったりするのでしょう。

これが済んだら、初めて、長い休みを取ります。できれば、半月から1カ月程度、作品を抽斗にしまい込むようにして、休みます。書いたことを忘れてしまえれば理想的です。

同じようなことを、以前、良い文章を書くコツについて書かれた本にもありました。何か文章を書いたら、書いたことが忘れるぐらい間を置き、改めて自分が書いた文章を、自分で書いたことを忘れるぐらいの感覚で読み返し、直すべきところを直すと良い、というようなことが書かれていました。

この休みの期間に村上は「養生(ようじょう)」という言葉を与えています。工事の現場でも、基礎工事が終わったら、養生の期間を持ち、土台がしっかり乾くのを待ちます。

同じように、村上は、最終仕上げをする作品を、しっかりしたものにするため、この休む期間を大切にするようです。

一度、自分の頭から離れていた自分の作品に向かうと、それ以前とはかなり違う印象が得られたりするそうです。そのことで、見えなかった欠点が随分よく見えたりするでしょう。

それを手直ししたら、ここで初めて、第三者の眼を入れます。

村上が選ぶ第三者というのが変わっています。小説家によってそれぞれに違うでしょうが、多くは、その作品を発表する予定の出版社の編集者が第三者になったりするでしょう。

村上の場合は、前回も少し書きましたが、編集者を信用していないところがあります。そんなこともあって、村上は妻にそこまで書いた原稿を読んでもらい、気がついたところがあれば遠慮なくいってもらうそうです。

村上は争うことを好まないと事あるごとに書きます。しかし、作品を書き上げたばかりで頭に血が上っているというようなこともあって、妻に対して感情的になったり、ときには、激しいいい争いに発展することもあるそうです。

その一方で、ケチをつけられたところには何か問題がある、と悟ることを自分のルールとしているそうです。これは、なかなか真似ができないことですね。もしも私が村上の立場であったら、後戻りができない事態になりかねません(?)。

村上の家には、長年使うスピーカーがあるそうです。年季ものですから、最新式のスピーカーに比べれば、出る音は違うでしょう。それでも、村上はそのスピーカーから出る音を聴くことで、音楽の良さを知ることができるというような話です。

村上は自分の妻の眼を、誰よりも信頼していることになりそうです。

問題があるところがあれば書き直し、書き直した原稿をまた妻に読んでもらい、不満があれば、さらに書き直すことをします。

妻の眼を通過して、初めて、正式に、編集部に渡し、読んでもらうことをします。

そのあと、ゲラが刷られることになりますが、これでまだ終わりではありません。

そのゲラとの格闘が待っています。

村上はゲラが鉛筆で真っ黒になるまで、何度も何度も読み返し、直すべきところを見つけたら、容赦なく直すことをします。この作業を村上は「とんかち作業」といい、喜々としてそれをする様子が窺えます。

ゲラに直しを入れ、新たなゲラをまた直すようなことをするため、編集者にはいい顔をされない、というようなことも書かれています。こうしたことが、村上に対する編集者の冷ややかな態度につながっている(?)のでしょうか。

このような村上の執筆方法を知り、これであれば、村上には、たとえば松本清張19091992)のような、同時期に何作品も並行して連載するような芸当は到底できないだろうと思います。

清張などは、締め切りが次々に入り、担当の編集者は、書き上がったばかりの原稿を、引ったくるようにして、編集部へ持って帰るでしょうから。

事実、村上は連載で小説を書くことは一度もありません。すべて、自分が気の済むまで書いて、直して、書き、また直した末に、完成させた小説しか、表には出させないからです。

ある意味の完璧主義といえましょうか。

これが、逆説的に、村上小説の欠点となりそうな気もしないではありません。

そのような工程で自分の小説を執筆するからか、村上は自作に自分で非常に強い自信を持ち、自作への批判を受け止める抵抗力が弱い(?)ようにお見受けします。

江戸川乱歩18941965)は、探偵小説家デビューする前に、今も読み継がれる『天井裏の散歩者』1925)や『人間椅子』(1925)といった「問題作」を書いています。

乱歩の場合は、それを書くための時間が限られ、大急ぎで書いています。そして、自分が書いた作品に乱歩は自分で烙印を押すような心境になります。

そんな作品を書いてしまった自分を恥じ、人に会うのが怖くなり、列車を乗って、遠くへ独り旅に出てしまったりします。

そのように書いた作品や、作品をそのように感じてしまう小説家に私は強い興味を持ってしまいます。

村上は、世間の人が小説家をステレオタイプに考えることを嫌っています。

小説を書くからといって、他の人と違っていなければならないということはない。毎日規則正しく過ごし、同じ枚数を書くことは自由であり、私はその自由を大切にしたい。どうして自分の生活を批判できるのか。というような考えです。

もちろん、どんな工程で小説を書こうが、その人の勝手です。しかし、小説を読む読者は、小説家の苦労を知った上で読むことはしません。

それを読んで面白いか、面白くないか、だけです。

村上がこれまで残した長編小説のいくつかを読みましたが、村上作品が持つ癖のようなものが自分に合わないのを感じることが少なくありません。

具体的にいえば、性的な表現が多すぎることです。村上作品の主人公は、登場する女性とすぐに想いが通じ合い、体まで通じ合わせてしまいます。

時には行為がハードコアポルノ紛いとなってしまいます。『ねじまき鳥クロニクル』から分かれた『国境の西、太陽の西』がそうでしたね。

この作品を執筆したとき、そして、繰り返し書き直した時に、自分が書いた性的な表現を、村上自身はどのような気持ちで読んだのでしょう。

また、初めて村上の原稿に接した、村上の妻はどのような感想を持ったのだろうか、と関心を持ってしまいます。

今回読んだエッセイ集もそうですが、村上が書く文章はなかなか終わりません。何度も何度も同じことを、別の角度からいい直すようなことをします。

あの『ノルウェイの森』1987)にしても、執拗に場面が描かれるため、場面の展開が遅くなり、イライラさせられました。

おそらく、村上は、ひとつの描写でも、とことんまで表現しないと気が済まないのでしょう。それで、よくある小説であれば、舞台が一瞬で変わるべきところ、延々と続くようなことになります。

宮本輝1977~)が、小説家になる前のエピソードを思い出します。

宮本は、ある日、小説家になろうと決め、小説を書きます。それを、ある人に見てもらったところ、冒頭部分を鉛筆で囲んで、罰点をいれ、「これがないところから書き出せたら君は天才だ」といわれます。

村上がその人に作品を見てもらい、いらない部分をバッサリ切ってもらったら、一皮むけた村上作品になるような気がします。もちろん、村上はそんなことは微塵も考えないでしょうけれど。

もしかしたら、村上作品に厳しく当たる編集者は、同じような考えを、村上作品に見ている(?)のかもしれない、と無責任に考えたりします。

私が書くのは、本コーナーの短い文章ばかりですが、書き方は村上と同じで、後先を考えず、書き出します。そのまま、短いので、最後まで一気に書いてしまいます。

村上と違うのは、私は書きっぱなしで、書き直しすることはなく、せいぜい、誤字脱字がないか確認するぐらいです。

それでも、今回、村上のエッセイ集で「とんかち作業」の大切さを学ばせてもらいましたので、それらしいことを少しはして、読みやすい文章にすることを目指しましょうか?

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